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故郷

作者: ビン底

5月4日 14時10分。

少し前まで3月とは思えないほどの真夏日。

浜松駅北口には祭り参加者がごった返しており、街が最も活気を取り戻す3日間もいよいよ後半戦に突入しようとしている。

浜松は静岡県西部に位置する80万人弱の地方都市であり、ゴールデンウィークには浜松祭りと呼ばれる大規模な祭りが開催される。朝から昼にかけては凧を上げ、夜になると中心街、それぞれの自治区でラッパや提灯を片手に練り歩く祭りだ。

待ち合わせ時刻に遅れて彼女がやってきた。

「すみません。遅くなってしまって。」

「いえ、それでは早速行きましょう。」

法被を着た人の波をかいくぐりながら、僕たちは中心街の喫茶店へと向かった。



「本日はよろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。」

アヤさん(仮名、27歳)は切れ長の目が特徴で、凛としたたたずまいで返答してくれた。

「ご職業を教えてください。」

「昼はホテルで受付の仕事をしています。夜はデリヘルです。」

「ダブルワークには慣れましたか?」

「最初は本当にしんどくて夜に何度か気絶しそうになりましたが、なんとか慣れました。人間の適応能力ってすごいですよね。」

アヤさんは笑いながら答えた。

私は趣味で本を作っている。年に一回文学フリマという即売会のイベントに参加し、社会問題やルポ、人肌が恋しい時なんかはコピー本でエッセイを出している。昔から日記を書くのが好きで、いつしか自分は物書きとして人に影響を与えることができたら良いななんて思っていた。しかし私には文才などなく、文学作品を作ったり語彙力が豊富だったりといった事とは無縁だった。エッセイでは集客が見込めず、他に取り柄といったら人見知りしない事と何かを書き切るくらいしかなかったので、このジャンルで活動する事になった。今回は『ルポ 〜地方在住風俗嬢〜』というタイトルの本を出版予定で、アヤさんを入れて5人の嬢にインタビューを行い、出版する予定だ。

「そういった性風俗のお仕事はいつからされているんですか?」

「個人のやり取り含めたら高校生くらいからですかね」

「早いですね。」

「携帯の使用量が払えなくなってしまって。高校入学のタイミングで父親がリストラに遭って一家で節約生活を余儀なくされました。でも高校生からしたら携帯ってライフラインじゃないですか。友達との連絡もできなくなるし。」

「飲食店などのバイトはされなかったんですね。」

「携帯料金だけならそれで十分なんですけど、月のお小遣いも自分で調達しなければならなくなったんです。一応高校生だからって5000円貰ってはいたんですけど全然足りなくて。」

「なるほど。」

私の感覚からすると確かに高校生に月額5000円は厳しい。友達と飲食店に数回、カラオケに数回行ってしまえばすぐになくなってしまう。ましてや追加で化粧品などもこだわり始めたらとてもじゃないが一ヶ月を乗り越えられるような額ではない。

「しかも私の高校は地元のザ・自称進学校という感じで、進学実績が中途半端なのにやたらと宿題をやらせたがる所だったんです。バイトも禁止でした。親は校則とか社会のルールをとにかく遵守するタイプで、私にも『バイトは絶対にやるな』『赤点は絶対に取るな』というスタンスでした。遊びたいし勉強はしなくちゃいけないしお金は必要だしということで、効率良くかつ誰にも気付かれずにお金を稼ぐ必要がありました。」

進学校と呼ばれる高校は校則でバイトが禁止されていることが多い。教師も市内に住んでいる為、飲食店といった接客業では偶然教師に出会ってしまいバレてしまうというケースもよく起こる。

「中学の同級生経由で、なるべく地元より遠くの偏差値の低い男子高校生相手に1回5000円でフェラで抜いていました。自分より頭が良い女を侍らせているのが嬉しかったのか、結構リピートしてくれる方が多かったですね。最初はアゴが痛くて1回イカせるのに30分かかっちゃいましたけど、慣れてからは5分から10分でイカせてました。」

「職人みたいですね。それで月いくらくらい稼げるんですか?」

「最初は月2万くらいでしたけど、最高で10万稼いだこともあります。リピートが多かったので人数的には8人くらいだと思います。」

「高校生活はずっとそのバイトをされていたんですか?」

「時間は短いですが体力とメンタル両方の負荷がかなり高くて、残りの高校生活にかかるお金プラスアルファを計算して半年で稼ぎきって足を洗いました。リピートしてた人から結構粘着されて、一回実家に押しかけられた事もあって大変でした。」

飄々としていたアヤさんの表情が一瞬曇ったので、この件については深掘りを避ける事にした。

「高校卒業後は大学に進学されたんですよね?」

「はい。なんとか現役で地元の国公立大学に合格しました。」

「すごいですね。」

「親がなかなか定職につけなかったので地元以外の進学は無理そうだなと悟って、地元に残る事は高一の時点で決めていました。私立に4年も行ける程の余裕もなくて、これでダメなら就職しなければなりませんでした。」

「背水の陣ですね。」

「母親がすごい学歴コンプレックスを抱えていて、大学へ行かなかった事をすごい後悔していて、『大学に行っていたらもっと良い人生だった』が口癖でした。それなのに家計が苦しいからか『浪人するくらいなら就職した方が良い』ってスタンスでした。訳がわからないですよね。」

アヤさんから放たれた罵倒には怒気はなく、ただただ呆れている事が感じとれる。

「受験はそこまで苦労はしなかったのですが、入学後の学費と生活費を捻出しつつ勉強を続けるのがとにかくきつかったです。高校の時と違って必要になる金額が桁違いだし、必修科目が1年を通して散りばめられている関係で数ヶ月に一気に稼ぐという方法も使えなかったので難儀しました。」

「奨学金は借りていたんですか?」

「全額借りていましたが、家族の生活費に消えていきました。親のバイトではやはり家計を支えきれなくて、家族三人で必死になって働いていました。」

「アヤさんはその頃なんのバイトをしていたんですか?」

「最初はキャバクラで働いていたんですが、コミュ障過ぎて客と話せず店の娘とも馴染めず2ヶ月で辞めました。それからはデリヘル1本でした。」

「稼ぎはどんな感じだったんですか?」

「時給は1万5千円でした。週3〜4で出勤していて月20万くらい稼いでました。」

「すごいですね。でもそれだけ稼ぐと親に怪しまれませんか?」

「バイトを掛け持ちしてる事にして、カフェで時間を潰して深夜に家に帰るようにしてました。」

「なるほど。」

「高校の時の経験もあったので仕事自体は割とすんなり出来たんですが、今度は口だけではなく全身を使わなければならなかったので、最初は体力的にしんどかったです。おまけに客層も悪くてたまに説教されたりもしました。」

ヘルスには店舗型(通称箱ヘル)と派遣型(デリバリーヘルス)が存在する。現在では風俗法の規制で店舗型は減り、自宅やホテルに風俗嬢が直接出向いて行く派遣型が主流になっている。サービス内容は「基本プレイ」と「オプションプレイ」と分かれており、「オプションプレイ」では別途料金が追加で発生する。店舗によってはキスが基本プレイではなくオプションプレイに含まれることもあるのだとか…

「説教されるのはかなり嫌ですね。」

「『君、将来のことちゃんと考える?』とか『自分の子じゃなくて良かった』とか、色々言われましたね。自分の現状を客観視してしまうと、働く意味とか生きる意味が消失してしまって動けなくなりそうな気がして、機械のように対応するように徹してました。」

アヤさんが纏う虚無の香りは、悪意の処世術の代償なのかもしれない。

「ハードな大学生活ですね。」

「結局お金稼ぎ中心の生活になってしまい、だんだんと大学は寝に行く場所に変わっていきました。単位も落としまくって一年の終わりには留年がほぼ確定していました。勿論は母親とは揉めて、ヒートアップしてしまい今までデリヘルで家計を支えていたことを伝えてしまいました。ただ母親のバイトの収入の5倍近い稼ぎで私の収入を当てにしていた事もあったので、感情的に色々言ってきはしましたが、『だったらこの額稼いできてよ』と言ったら黙ってしまいました。」

なんと相槌を打てば良いかわからず、5秒ほど沈黙が流れた。

「今まで色々言われてきたこともあって、大学卒業を期に家を出ようと決意しました。留年云々で色々言われるのも非常に鬱陶しかったので、そこから同じ学部の友人やサークルの友人など頼れる人には全て頼る形で一年時に落とした単位を残り3年間で回収し、なんとか留年を回避する事ができました。高校生の時もそうでしたが、やることさえ決まっていれば愚直に実行に移せるタイプだったのでその時の経験が活きましたね。大学一年で働きまくって貯金が150万あったので、シフトを減らして残りの貯金で大学を卒業しました。」

「計画を立てるのは大事だとは聞きますけど、パフォーマンスがこれだけ上がるとなると説得力が違いますね。」

「ただ卒業はできたものの、就職はできませんでした。実家は相変わらずお金がなかったし、母親は色々言ってくるので気が休まらず、最後の一年間は精神科に通いつつゼミを受けていました。」

「就活は開始時期が決まっているので計画に組み込めるような気がするんですが…」

「正社員として働く姿が想像できなくて、一生デリヘルでいいやって当時は考えてました。時給換算してしまうと正社員はあまりにも割が合わなくて、なんでこちら側から志願して入社しなきゃいけないんだって思ってました。そこでまた揉めて、今まで全力疾走してきた事もありなんか急に糸が切れてしまって、そこから一年間は一気に無気力になってしまいました。ただゼミは研究室のみんなにも会えるし勉強も苦ではなかったので問題なく通えてはいました。」

「精神科ではどんな薬を処方されたんですか。」

「投薬治療は一切行いませんでした。自分で原因がなんとなくわかっていたので、自分が今やばい状態であることを示すために通っていました。流石に医者の診断書が出ている相手に対して根性論や感情論をぶつけてくる人はいませんからね。」

精神科では患者と医者が相談しながら治療方針を決める事ができる。患者側から投薬は様子を見て必要に応じてと言えば、基本的にはその通りに治療を進めて行く事になる。

「結局卒業後は半年間ニートでした。お金もなくひたすら実家にいたんですが、居心地が悪過ぎて一人暮らしを始めるために今のホテルの受付の正社員に応募しました。ただ、受付の仕事だけではとてもじゃないけど貯金ができないので、またデリヘルを始めました。なので大学生活と結局似たような生活をしています。」

「分かりました。貴重なお話ありがとうございました。ちなみに今目標とかはあるんですか?」

「とりあえず実家は出れたので、次は労働から解放されたいですね。投資に興味が湧いてきて、受付の仕事だと投資なんて夢のまた夢なので始めた節もあります。早く不労所得を得たいんですけど、今の収入ベースだと不労所得で生活できるようになるのは20年後なのでまだまだ先は長いです。」

「労働から解放された後は何をされるんですか?」

「何をするのかな…今は生活を成り立たせるのと投資のお金準備に必死で考えてもいませんでした。やめるまでに見つかるといいな。」

話を聞いた感じだとアヤさんは根っからのワーカホリック気質だと思っていたのでこの答えは意外だった。そして労働から解放された後燃え尽きてしまい、生きる理由を見出せなくなるのではないかと少し心配になったが、私から言えることではないので心にしまっておく事にした。

「早く見つかるといいですね。今日はありがとうございました。」

「ありがとうございました。」





5月5日 22時07分。

浜松祭りも終盤になり、近所では最後になるだろう練りの音が聞こえている。

アヤさん含めた5人のインタビューの文字起こし作業が終わり、これから全体の校正に移るところだ。

冷蔵庫に入った麦茶をマグカップに注ぎ、一息つく。

アヤさんの事が脳裏に焼き付いて離れなかった。

自分の地元の平凡な家庭でそんな事が起こっていたという事実に驚きを隠せなかった。

実は私はアヤさんと同じ高校に通っていたおり、2歳しか変わらないので一年間は同じ校舎で過ごしていた事になる(インタビューでは特に伝えなかったが)。私が友人たちと他愛もない話をしたり、愚痴を吐き出しあったり、最後の文化祭に熱中している間にアヤさんは家計の負担を減らすために苦労していたと思うと、罪悪感めいたものに苛まれる。

どんな都市だって暗い一面はある。ましてやアヤさんに関しては都市の問題、というよりはどこの地方でも起こりそうな家庭内の問題だ。しかし私はどうしても、地元の裏の顔を知ってしまったような気分になる。

何に起因するか分からないわだかまりに悶々としているうちに、ラッパの音はいつしか聞こえなくなっていた。練りの会場である公園の明かりも3つから1つに減っており、片付けの準備に取り掛かっている様子だった。

明日の休みが終わればいつもどおりの日常が帰ってくる。いつも通りの生活に戻る。でも浜松のどこかで過酷な生活を強いられている人がきっとどこかにいると思うと、私は手放しに良い街だと言える気がしなくなってきた。

少しぼーっとして頭の中がシンッとクリアになったのを感じた私は、粛々と校正作業に移る事にした。


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