資金洗浄
9月の上旬に茅場町のアクセスポイントからダークWebにつないだ際、日本国籍の偽造免許証とBanamexのモンテレイ支店の口座を1つ買っている。免許証と通帳、キャッシュカードは東京駅の2つのコインロッカーを使って受け取った。
だがBanamexを選択したのは失敗だった。近年メキシコ当局は暗号化通貨のウォレットから外資の国内支店にに直接送金する事を禁止している。その為、偽造免許証でシティーバンクの口座を開設し、Banamexの口座に振り込むことにした。
金を引き出すためにメキシコのモンテレイまで来ている。このスキームが本当に有効かどうか検証できていない。それどころかウォレットから送金できない時点でガセネタを掴まされている可能性が高い。結局Banamexのロビーで終始びくつくことを余儀なくされている。
モンテレイは大きな町で日本企業がいくつも進出している。だが、それでも外国人は目立つ。マフィアの資金洗浄が盛んなこの国で見慣れない外国人が外資系銀行のロビーを何日もうろついて金を引き出している。
既にカネマツの送金先に指定したウォレットは確実にマークされているはずだ。指定した暗号通貨の性質上どのウォレットから何が何処へ送金されたのか分かりずらい。だが、わかりずらいと言うだけで、解析するための機器と人材さえ用意すればできないことではない。
カネマツのシステムをクラックしてから既に1週間が経過している。Banamexの窓口で20万ドル規模の引き出しを4度も繰り返している。ATMの小さな取り引きも合わせれば、入金の度に引き落としを繰り返す胡散臭い口座だということがはっきりとわかるはずだ。
窓口ではこちらでビジネスを始めるのだと説明しているが、もうこれ以上引き出すのは避けたい。口座をいくつか作っておけばよかったと今さらながら後悔している。だが、茅場町のアクセスポイント以降、足が付かずに安全にネット接続できるところが見つけられずにここまで来てしまっていた。
この資金洗浄のスキームの肝はメキシコ当局が不審な口座の動きをチェックするタイミングだ。メキシコでは3か月に一度、クウォータの始まりに各銀行から個人口座の不審な動きの報告をあげさせ、政府が捜査するというのだ。
ここまではっきりした不正チェックのサイクルが割れている国は珍しく、その結果、表に出せない資金を洗浄する為に使われている。政府の利権者はそれを承知の上でこの仕組みを運用している。大きな見返りがある事は想像に容易い。
9月の終わりの今は第3クウォータの終わりが近い。もうすぐに第4クウォータのチェックが始まってしまうというのにまだ身代金で得た300万ドルの1/3程度を引き出したところだ。
税理士のナカミネと知り合ったのはBanamexのロビーだった。ミゲル・ソウタ・ナカミネ・ガルシアは日系3世でマシアス・ロペス商会という地元ギャングのフロント企業の金庫番だった。この1週間で何度かロビーで見かけている内に会話をするようになった。
ナカミネはある貸しをどうにか金に換えたいと考えていた。そして、日本人がせっせと資金洗浄の金を引き出しているのを見つけ、ある提案を持ち掛けてきた。
マシアス・ロペス商会がフロント企業を務めるギャングに出入りしている、ルイスという小売業者がいる。ルイスは一度、ロペス商会に損失を出させている。日本との取引で仕入れたコンテナ2つ分の商品が何者かにすべて倉庫から持ち去られてしまった。
資金を貸していたロペス商会にナカミネが立て替える形でルイスを救った。ナカミネから見ればルイスは信頼できる男だったので、貸しを作っておくのに何の躊躇もなかった。それに7万ペソ分の貸しを作っただけだ。日本円で50万程度だ。
ナカミネはサトルにメキシコに現地法人を作るように提案してきた。ロペス商会とつながりのあるルイスの会社を第一取引先として登録し、ルイスからロペス商会の紹介状を添える形にした。これがあればモンテレイで法人を作ることで一つの問題も起こりようがない。
法人の資本金と、初期運転費用として口座に210万ドルほど入れることに何の違和感もない。ナカミネはルイスに自分の名前を一切出さないようにして、この契約をまとめさせた。
サトルがナカミネと合意した手数料は法人口座に入れる金額の10%の21万ドルだ。大きな金額だが仕方がなかった。既にタイムリミットだったからだ。210万ドルはもう捨てるしかないと考えていたタイミングでのナカミネの提案だった。
サトルは値切らず言い値できっちり支払ったのでナカミネもそれに答えてくれた。サトル名義の米国の口座を開設し、法人口座の資金と引き出していた現金をまとめて株と債券に替えてくれた。必要になったらまた連絡しろと言うナカミネとサトルは握手をして、ルイスに会社登記とBanamexの口座を餞別代わりに渡してモンテレイを後にした。