九 解けた誤解の後で
「フミ゛ャアァァアァァァァッッ!!」
リンが盛大に泣き叫ぶので、異変を感じた侍女が寝所に入室するも、構わないで、ひとりにしてとまた泣かれる。
侍女部屋で寝ていた昼番の侍女も慌てて合流しようとしたら、誰かを射殺さんばかりの真紅の目をした皇帝が風のように横切る。
覇気を纏わせたフェイロンに畏怖を覚えたが、主の危機かも知れないと震える身体を叱責して、侍女はフェイロンの後に続く。
寝所に入室したフェイロンは、途方に暮れていた夜番の侍女に断ってから、泣きながら蹲るリンを冷たい床から引き剥がし、抱きかかえて寝台の上に運んだ。
リンの身体の冷たさに眉根を寄せて、温めるために毛布で包む。
毛布ごとリンを抱き込み、小さな手でフェイロンの衣をヒシッと掴んで来たリンに驚きながらも、ひたすら泣き止むのを待った。
途中、侍女から濡れた手拭いを受け取り、リンのぐしゃぐしゃの顔を拭き終わると、ズボッと毛布の中に頭が引っ込んだ。
イヤなのかと思ったら、まだフェイロンの衣を掴む手はそのままで、少なくとも部屋を出て行けとは思っていないのかも知れない。
「リン、私の事を嫌いではないのか?」
掴んだ手が離された。
諦めの境地でリンの言葉を待っていると、毛布の中から再び伸びて来たリンの両腕がフェイロンの背中に回る。
耳をへにょんと垂れさせ、泣き腫らした顔を晒したリンにむぎゅうぅぅぅっと強く抱きしめられたので、フェイロンはそれが答えだと解釈する。
壊れ物を扱うように、慣れた柔らかさを抱きしめ返す。しゃくりをあげる背中をぎこちなくさすれば、しばらくしてから微かな寝息が聞こえて来た。
泣き疲れて寝落ちしたリンの腕が滑り落ちても、もう片方の太く逞しい腕は外れる事はなく。
フェイロンは、もうこの先リンがどんなに嫌がってもコレを手離すことは出来ないと、堕ちるところまで堕ちたと悟った。
重たい頭で、腫れぼったい目を擦りながら起きたリンは隣にない温かさを悲しく思う。
寝台の上で寝返りを打った耳にグシャリと何かが当たる。手紙だ。
フェイロンからの手紙には、今後の訪れについての提案が書かれていた。
寝るのが早いリンと、仕事の遅いフェイロン。
夜はお互い二〜三時間だけ活動時間をズラして、顔を合わせるのはどうだろうかと。具体的には二十時から二十一時。
公務が片付かない時は、フェイロンはその後仕事に戻るし、大丈夫ならそのまま一緒に寝る事もある。
朝餉は六時から。添い寝した日に朝食を食べるのは変わらない。が、リンからフェイロンに直答でも間接的でも話しかけて構わない。
あくまでも命令ではなくて、提案と言うカタチで、リンが拒否しても何か改善案や疑問があれば教えて欲しいと書かれている。
手紙を読んだ感想としては、リンは意味が分からないと思った。
これでは、フェイロンがリンと仲良くしようと言っているようなものだけれど、リンにはその真意が分からなかった。
出来れば手紙の返事が欲しいと書いてあったので、リンは素直な気持ちをしたためた。
昨夜、散々泣き喚いて痴態をさらした後だったので、今さら何を隠したところで恥ずかしくないと開き直ったとも言う。
陛下へ
(挨拶省略)
昨日の夜はとんだご無礼をして、大変申し訳ございませんでした。
取り乱して、泣くわたくしを優しく包み込んでくださった、陛下のご慈悲に感謝しております。
陛下に嫌われたと思って、あのような恥ずかしい姿をさらし、あまつさえお手を煩わせてしまった事に深く反省しております。
この忙しい中でわたくしとの戯れに、これ以上のお時間を頂戴する訳にはまいりません。
次の嫁ぎ先には充分良くしてただいたとこちらから申します。なので、陛下はご心配なさらずに公務に専念してください。
リンより
フェイロンに危害が及ばないように、危険なものが仕込まれていないか確認作業もしている従僕。リンからの手紙もそれは変わらない。
夕方、リンからの手紙の中身を読んだ従僕は「初夜に失敗した夫に嫌味を言う新妻のようだ」なんて自分なら解釈するだろうなと思いつつも、穏やかな笑顔だけで口にはしない。フェイロンに手紙を渡し、二人の行く末を見守る事にした。
たとえ我が龍の主が眉間に皺を寄せ、いつもより過度な畏怖を撒き散らし、その後の書類仕事をしていようとも。
内心では面倒くさいから早くくっつけとヤキモキしていたが、誰よりも主の幸せを願っていた。
結局、リンはその日ほとんどを寝台の上で過ごした。
起きたのが昼過ぎと言う事もあり、何より昨夜あんなに泣いたので、瞼が腫れぼったくなっていたのもある。
心配そうにする侍女が何度か様子を見に来たが、気持ち的には前よりも大分スッキリしていた。
手紙のおかげもあって、フェイロンには少なくとも嫌われていないと分かったからだ。
ちなみに、今日もお渡りはある。リンが出した手紙の返事には嫌いではない、直接話したいと書かれていた。
(律儀な方だぁ……)
今後の事は気がかりな部分もあるけれど、それはフェイロンに聞けばいいかと思う。
それから気持ちの整理をしても、遅くないだろうとリンは結論付けた。
何せ、このフェイロンに対しての「好き」を今さら無くす事も出来ないし、無理に抑えようとすると、昨夜の二の舞になるのは目に見えていたからだ。
湯浴みを済ませ、夕餉の時に夜番の侍女に昨日の事を謝る。侍女は許してくれた。
今度はため込む前に話してくれと釘も刺されたので、今日のフェイロンの訪れが済んだら、色々と聞いて欲しいと早速約束を取り付ける。
約束の時刻丁度に現れた龍人に対して「おかえりなさい」と言ったリンは、フェイロンの大きな掌に頭をグリグリと混ぜられてから、居間に案内した。
しばらく一緒に過ごしたら、今日はまた仕事に戻るらしい。
お茶を淹れるリンは、隣から無言で手元を凝視されて若干居心地が悪い。
先に話しかけても良いと手紙で伝えられていたけれど、やはり最初は緊張しながら恐る恐る言葉を口にした。
コトリと置いた茶器を皮切りに、昨日の経緯を説明する。
次の嫁ぎ先の希望を確認されて、悲しくなってしまった事。
出来れば、気持ちの切り替えが出来るまでフェイロンに会いたくない事。
何より昨日は幼稚な態度で接して申し訳なかった事などなど。
話をすればするほどリンの耳はへにょんと下がっているのに、フェイロンの雰囲気が何だか柔らかくなって来るのをリンは感じ取っていた。
全ての話を聞き終えたフェイロンは、まずは貰った手紙の感想を述べた。
「嫌われていない」と、むしろフェイロンに対して好意的な感情を持っていると感じられ、少し勇気が出たと言われて、リンは素直に頷く。
次の嫁ぎ先と言うよりは、このまま変わらず共に暮らさないかと言われたリンは、最初何を言われたのか分からずに首を傾げる。
「命令ではない。これは私の願いのようなものだから心まで強要はしたくない」
「わたくしに選択肢があると言う事ですか?」
「そうだ。駄目だと言われたら──」
「命令になるだろうな」なんて仄暗い何かを瞳の奥に宿して言われたものだから、少しばかり怖くて震えた。
しかし、意味を理解したリンの顔は歓喜と気恥ずかしさでみるみる紅潮して来る。
緊張でカラカラの喉を少しぬるくなったお茶で潤してから、深呼吸しても震える声で次の言葉を紡ぐ。
選択肢って、ようはフェイロンの中ではどちらに転んでもリンを近くに置く事が決定しているのではないかと。
「すまんが、手放す気はもうない。許せ」
「許すも何も嬉しく思います。陛下が、その……わ、わたくしを望んでくださって」
「そうか」
リンの赤く染まる頬を指でなぞりつつ、口角を上げるフェイロン。世にも奇妙な皇帝の笑顔はとても控えめながら、リンのこころにブッ刺さって、ますます惚れてしまうと自覚する。
けれど、もうこの膨れ上がる恋情を我慢しなくて良いんだと思ったら、何だか胸に熱いものが込み上げて来た。
頬に添えられた長い指に自身の手を重ねる。リンより少し低い体温が今は心地いい。
ほうっと息を吐いてフェイロンが触れてくれている事実を感受していると、額に口付けが降って来る。
軽い戯れに親愛の情のようなものをリンは感じ取り、されるがまま、そのまま顔中に唇が触れて来る。
最後に互いの口と口が触れ終わって、フェイロンがリンの金眼を見ながら呟いた。
「この間は怖い思いをさせたな」
「こわくても……好きです」
攫われて、荒々しい口付けをした日。
顔と雰囲気に恐怖しただけで、行為自体は大丈夫だったとリンから言われたフェイロンは、言葉に詰まる。
リンが恥ずかしそうにしながら頬をポッと染めて、目を逸らして説明するものだから、千切れそうになる理性を何とかかき集めた。




