四 顔合わ……せ?
足元を照らす灯りを頼りに、宮の門から内側に伸びる石畳みを掃き清める侍女。
居間と寝所、外廊下や庭の枯葉拾いなどはすでにすませた。昼間に掃除をしているとは言え、時間が経てば多少は汚れるもの。
ここが最後と額の汗を拭えば、見知った気配が近づいて来た。
足早に近づいて来たシャナに安堵して、ちょうど聞きたかった事を侍女は質問する。
「シャナ殿、陛下は酒などこちらで嗜むだろうか?」
「いいえ。今までそのような事は御座いませんでしたわ」
もし必要になったら、フェイロン陛下の厨房に取りに行かせると。有難い限りである。
胡桃の入った餅と茶葉を持って来たと言われて、侍女はシャナがこの場にいてくれて良かったと感謝を口にした。
一応こちらでも用意はしていたが、陛下の信頼厚いシャナが見繕ったモノの方が、あちらも手を付けやすいと思う。
こっそり本人に教えて貰ったが、元々は陛下の乳母をしていたらしいシャナ。好みは熟知しているだろう。
夕餉をすませた陛下は今は入浴中で、それが済めばこちらに向かうだろうとシャナは付け加えた。
それから数十分後。使者が訪れを知らせるために足を踏み入れた途端に、リンがいる部屋の前で待機していると──。
居間の方でカタリッと物音を聴いた侍女二人。
((あ、終わった……))
隣に一緒にいたシャナに、リンが寝落ちしたと耳打ちしてから、三人は盛大に溜息を吐いた。
時刻は二十二時を少し過ぎたところ。リンにしては頑張った方である。
それからいくらもしないで、こちらに来る御仁の只ならぬ雰囲気に意識を集中させる。
月明かりに照らされても、夜の闇に紛れるような装い。
龍人特有の二本の角は根元が太く立派で、曲がった先にいけば細く、全体的に横に幾重にも溝が入っていた。
真っ直ぐ腰まで伸びた艶やかな長い髪を靡かせて。
「血塗れ」の由来でもある瞳はなお赤く、物言わぬ真紅の眼が真っ直ぐコチラに向かって来る。
足音が極端に少なく、足捌きが素人のそれではなかった。後ろに兵を二名連れているが、そちらも只者ではない。
双子の侍女は想像のさらに上を行くヤバさの者達が来たと、冷や汗をかきながら両手を組んで傅いてその場で待つ。
本能は強者を前にして逃げたいと言っているが、手も足も震えて上手く動けない。
歩みが止まったと分かったのはシャナが言葉を発してからだった。
「恐れながら陛下。リン妃は事前に説明した通りに、すでに寝入って終われましたわ。日を改めてはくださいませんか?」
((マジか……シャナ殿))
この重たい雰囲気の中で、滅茶苦茶に怖そうな陛下へ進言するシャナの度胸に、内心で双子は度肝を抜いた。
間をおかずに早口で紡がれた低い抗議の声に、再度身を竦ませる。
「何度も言わせるな、今日を逃せば次はない。起こせ」
「では、ご自分で起こして下さい」
居間に続く扉を開け放ったシャナ。
盗み見たフェイロン陛下は太く凛々しい眉と薄めの唇をそのままに、感情の読み取れない顔で室内に消えて行った。
脱ぎ捨てられた沓を護衛が揃えているのを視界に捉えながら、双子は身動き取れずにいる。
会話もないまま、少しの物音と次いで衣擦れの音が続きさらに数分。異変に気がついたのは狼獣人の護衛だった。
「ウチの陛下寝てませんか?」
「……様子を見て来ますわね」
シャナが部屋に入っても大丈夫か聞いて来たので、今更ながら立ち上がり、了承の返事をする。
少しもしないで戻って来たシャナはため息を吐いてから、その場に居合わせた者に混乱を招く言葉を口にした。
「『寝る』と」
「ね、寝る? 待って、ここで!?」
狼獣人の護衛の驚き声を皮切りに、前代未聞の珍事を乗り切るため、皆に変な連帯感が生まれた瞬間だった。
「従僕殿、すまんが念のために陛下の明日の着替えをこちらに。最悪朝議までにはそちらに返す」
「一応は閨の記録をつけるかぁ〜。誰が残る? 皆様明日の仕事はどんな感じよ?」
元々寝ずの番を務める予定だった護衛二名がその場を自然にまとめ始め、忙しいシャナが何度も平謝りしながら宮を後にする。
双子も明日の事があるので、片方は自室に下がった。
主の部屋の外廊下、両扉に左右分かれて従僕の持って来た椅子を置き、護衛二名と侍女一名はその場で待機。
従僕は宮を行ったり来たりと、足りない物を運び入れ、各所に通達を出しに行くのに忙しない。
落ち着かない侍女は椅子に座ったまま、灯りを持って来て縫い物を一心不乱に始めた。何かしていないと落ち着かないのだ。
途中従僕がフェイロン陛下の着替えを持って来る。さらに次は護衛に夜食も持たせて居るのを見て、茶も出していなかった事に気がつく。
何処からか持ち出された、小さな机の上に急須ごと温かなお茶を置く。毒味のためにひと口ずつ器で飲んでから、再び席に戻る。
日が昇るまで鬼気迫る表情で大量の肌着を量産する侍女の姿に、護衛二人は密かにドン引きしていた。
時は遡り、大股で妃の部屋に足を踏み入れたフェイロン。背後の扉が閉まる音と共に静けさが部屋を占める中で、肘掛けに頭を乗せて倒れている女人を見つける。
あまりにも静か過ぎて、最初死んでいるのかと近づけば、かすかに胸元が上下しているのがわかった。
床には本が落ちていて、その間に指を挟んでスヤスヤと気持ちよさそうに寝る姿に、本当に今しがたまで起きてはいたと知る。
あまりの白さと、自分とは違う頼りない小ささを持ち合わせた妃の存在を確かめるように、ソッと頬に手を伸ばす。
こんな安らかに寝ている者を起こすのかとわずかに葛藤して、結局は寝所に運ぶために肩と膝に自身の腕を入れて抱き上げる。
軽すぎる重さにフェイロンは眩暈がしそうになった。ちゃんと食事はしているのか心配になったが、先ほど触れた頬の柔らかさと、掌から伝わる身体つきからして、痩せている訳ではないと知る。
(それにしても、温かい)
天蓋を身体でかき分けて、寝台にある掛け物を捲り上げ、妃を下ろす。
妃を離したのはフェイロンの方なのに、なくなった熱に急に寒さを感じた。
魔が差したのかも知れない。気がついたらフェイロンも寝台に横になり、柔らかくてほどよく温かな物体を抱きしめていた。ほのかに香るミルクのような匂いを纏わせた、リンの体臭を控えめに吸い込む。
ほうっとため息をついて、身体の力が抜け、久しぶりの感覚が来た事に眠い頭の片隅で驚く。
最近は仕事のし過ぎのために、感覚が麻痺して気絶をするように寝ていたので、こんなに穏やかな「眠たい」など、しばらく感じていなかった。
睡眠も浅く、寝ても直ぐに目が覚めてを夜は繰り返すので、少ししたらいつもみたいに起きるだろうと。
なので、妃の寝室に入って来たシャナに「寝る」と何も考えずに伝えた。
目を覚ましたリンは、身動き取れない身体を疑問に思い、背中に感じる何かを確かめるために寝台の上で背後を振り返った。
サラサラとした黒い髪。整った、迫力満点の綺麗な顔の御仁が寝息を立てている姿に、思わず見惚れる。
リンは今でこそ自分のふわっふわの髪を気に入ってはいるが、昔はこんな真っ直ぐな髪質に憧れを持った時期もあった。
布団をめくって、自分の腹に回され、身動きできない原因であった太く逞しい腕を確かめる。
(この状況どうしよう)
立派な二本の角が生え、尖り気味の耳に黒を持ち合わせた龍人。
この国でその色の龍人は、泣く子も黙る「血塗れの黒龍皇帝」しかいない。
瞼を開けたら血のように赤い瞳なんだろうな、と呑気に考えている場合ではなかった。




