最終話 おやすみにゃさい
正式に皇后となったリンは後宮の一角にある「白桃宮」と呼ばれる、広々とした庭の見事な宮に住まいを移した。
流石に終の住処となる宮なので、出来る範囲で少しずつ居住いを整え、実家から追加で送られて来た反物で着るものをあつらえた。
煌びやに身を飾る装身具などは、歴代の皇后に引き継がれる物が宝物庫に保管されていたので、祭事や式典の時に借り受ける事が出来るのがせめてもの救い。
実際のリンの生活は住まいと散歩の範囲が広がっただけで、妃の時と対して変わらない。
どうしても欲しい! と、言って海向こうの技術を織り込んだ、特注で作らせたコタツが一番高い買い物であった。
実家で余っていた物を貰おうと密かに目論んでいたが、なんと。
リンが皇后になって、ネコの一族が政に参加するとの事で、その筆頭であるサイ家当主──つまり、リンの父親も都に引っ越して来る運びとなった。実家は兄が切り盛りするらしい。
いきなり宰相なんて位に割り当てられた父は頭を抱えていた。
(フェイロンはわたくしには優しいけれど、多分お仕事の方は違うと思う)
可哀想なんでリンは実家のコタツは父に譲ったのである。
コタツで茶を啜りながら、モチモチと夜食で用意されていた甘い味の餅を食す。
誰も近くにいない事をいいことに、夜着からお行儀悪く尻尾を出して揺らめかせる。
肌けた脚など、このコタツに入れてしまっては外からはわからない。
なーんて思ってたら、いきなり尻尾をムギュッと掴まれた。
「ふぎゃっっっ!?」
「すまん。思ったより驚かせたな」
「ぉ、おかえりなさいませ」
「ただいま。ああ、楽にしてくれていい」
尻尾に気を取られて放置していた脚を、狭いコタツの中で長い脚に絡まれる。
コタツから飛び出したリンは身だしなみを整えた。
「大変申し訳ございませんでした」
「なぜ謝る? 楽にしろと言ったのに」
悪戯されたので、アラレもない格好を遠回しに嗜められたのかと思ったら、どうやら違ったらしい。
眉間にシワを寄せたフェイロンは前よりかは、リンに素直に感情を曝け出す。
普通の人より表情は乏しいし、笑顔は特に控えめで滅多に見ない。
たまに何で怒ったり、嬉しそうにしているか理解に苦しむ時はリンは質問する事にしていた。
今日の質問の答えは「最近態度が硬い」と。怒ってるんじゃなくて、どうやら拗ねていたらしい。
「わたくしも皇后となりましたし、子どもっぽい事は卒業いたしませんと」
「その喋り方ももっと崩してくれ。リンは皇后の前に私の伴侶だ。普段からそんな気を張らないで欲しい……何だか寂しくなる」
キュンと高鳴る胸を押さえて、リンは思考を巡らせる。
何回かもっと普段通りにしろとフェイロンから言われて来たリンだが、その距離を測りかねている最中ではある。猫獣人の普段通りは、本当に本っっっっ当に自由過ぎて。
ひとりの時みたいに意味もなく床でゴロゴロしている姿とか、恥ずかしくてとても見せられたモノではないし。最悪嫌われたら軽く絶望する。
そう説明するも、フェイロンには納得出来ないみたいだ。
実はリンの方も表情筋仕事してみたいな事をフェイロンに対してマイルドに言っているので、お互い様である。
このままでは話が平行線になるなとため息をこぼすと、フェイロンの方から提案された。
「家族」の距離感でどうだろうかと。徐々に頑張ろうと。お互い。
「一番仲のいい者は誰だ?」
「妹です。……ですが、陛下ではどちらかと言うと兄のほうが──」
「いいから、妹君に接するように私を扱え」
ニャン子は度胸の精神で、リンはやけくそ気味にフェイロンに近づいて膝上へ乗った。
そのまま抱きついて頬同士をスリスリと合わせて、トドメと言わんばかりに猫撫で声よろしく笑顔で名前を呼ぶ。
「フェイロン♡ しゅき」
「…………」
噛んだ。大事なところで噛んだ。
けれど、近距離で真顔なフェイロンの無言が恐ろしくて、絶望に顔を青くしながらリンはピシリと固まる。
流石にやり過ぎたと、ゆっくり、ソーッと膝から降りようとしたら、そのまま床に押し倒された。
抱きしめられたまま、胸元に頬擦りするフェイロン。
絞り出すような物理的にくぐもった声は、少し擦れていた。
「お前の妹君が羨ましいな。サイ家ではこんな事をしているのか」
「年が離れてますか……離れてるか──」
リンは砕けた言葉に直す途中ではあったが、我慢出来なくなったフェイロンに唇を塞がれてしまった。
「……リン? ……寝たか」
確認するとフェイロンが思っていたよりも、時間が進んでいた。
寝息を立てているリンの身体は湯と布を用意させて、汚れと一緒に汗も綺麗にしてやる。
そこまでは余韻を楽しむためにフェイロンの手で。リンの着るものと寝床は今日は侍女にお願いした。
風呂を済ませて、新しい夜着に着替える。
護衛が止めないのをいいことに、フェイロンは庭先に出た。庭に備え付けられた灯りを頼りに、さらに奥に進む。
白桃宮の名に相応しい桃の木がすぐ近くにある、白を貴重とした東屋にもたれかかる人影。
月夜に照らされた姿は影に紛れやすい、灰色の衣装。頭巾から、これまた灰色の三角耳が覗いている。
口元まで覆われた布は、旬終わりの硬めの白桃を皮ごと齧るために降りていた。
男とも女とも分からないその風体が、気さくに話しかけて来る。
「やぁ、素敵な夜をお過ごしで」
「先ほどまではな」
無表情に言い放ったフェイロンに気にする事もなく。灰色の猫は桃を美味そうに食べ続ける。
何なら、懐から取り出した白桃をフェイロンに差し出して来た。いらないと断ると芝居がかったように驚いた顔で、ついで笑って手を引っ込める。
「お姫サンが差し出したモノは飲み食いするのに、ワタシのは食べれないって?」
「……殺される相手くらいは選びたい」
「お姫サンになら殺されてもいいってか〜。かぁー! 愛だね」
こんな後宮の最深部とも呼べる場所には不釣り合いな客人に、フェイロンは不思議な心持ちで対峙していた。
桃を食べ終えた残りの種を投げ捨てて、ケラケラお腹を抱えて笑う姿に殺気は見られない。それが不思議でならない。
「私を殺しに来たのではないのか?」
「いや、ちょっと様子を見に来ただけ。ホラ、今は自覚してるだろうけど、ちょっと前に病んでただろ」
そんなに前から監視されていたのかと、フェイロンは素直に驚いた。
今日は何故だか気がついたが、リンと過ごす内に鈍っていた感覚や、体調などが本格的に戻って来たのかも知れない。
ちなみに、特に問題なさそうなら、当分顔は出さないと挨拶しに来たらしい。
噂には聞いていたが、認識してなかった相手に別れを告げに来るなど、よく分からない事をする。
皇帝に代々受け継がれる日記にも、たまに出てくる猫獣人の一族。
普段は中立を保つ自由気ままな、猫暮らしをしている一族だが、国が危うくなると表も「裏」も活発に動くその様子から、帝国の「最後の頼みの綱」とも言われている。
猫の手を借りた皇帝は力量がないと言われるほど、後世に、特に多種族に貶されるが、散々恐怖政治を強いたフェイロンは今更自分の評価など気にしない。
最初にサイ家に書簡を送った時もそうだった。従うも従わないも、どちらでも構わないと。
たまたま手に入れたい相手がリンだっただけで、それが故意に仕向けられたものか、そうでないかはどうでも良かった。
しかし、他の家臣の心情を思えばフェイロンを亡き者にしてもおかしくはない。
よく分からないが、ネコの一族的にはフェイロンは皇帝として未だに生きていても良い相手なのだろう。
独自の判断なのか、気まぐれなのかすらフェイロンには判断出来ない。
「まぁ、お姫サンを大事にしてる内は大丈夫、大丈夫」
「……私はリンを大事に出来ているのだろうか」
「無理に手篭めにしようもんなら、大将が殺スって前に言ってたけど。ワタシは幸せそうに見えるよ」
コタツが羨ましいと言った灰色の猫に、何だかフェイロンは救われた心持ちがした。
必要な時は出て来るとはいえ、外部とはほとんど遮断され、後宮の奥深くにひっそりと囲われるように暮らすリン。
世間一般的には贅沢な暮らしの部類には入るが、皇后としてはあまりに質素。
いくら本人が幸せだと言っても、フェイロンは我慢させているのではないか? と、心のどこかで引っかかっていた。
「そろそろ気づかれるから、ワタシは戻るよ。陛下のところの番犬は嗅覚が凄まじいからね。じゃ」
「娘達によろしく」と言って灰色の猫が消えて直ぐに、狼獣人の護衛がやって来た。
ネズミでも紛れたか聞いて来たので、よく分からない猫がいたと口にしようとして、やめた。今更、煩わせるほどの事柄でもない。
狼は怪訝な顔をするが、それを無視して、フェイロンはリンの居る寝所に踵を返す。
フェイロンはリンの姿を目に焼き付ける。
腕の中で幸せそうに寝息を立てる、甘い匂いのする柔らかさに縋り付く。
いつものように眠りにつくため──血濡れた色の瞳を隠し。
たとえこの瞳が、次の朝日を写さなくても。
リンに殺されるなら本望だと、今日も己の瞼をソッと閉じる。
人生で最後に見る光景は、愛する白猫がいいと、毎夜繰り広げられる黒龍の密かな習慣であった。
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〜黒龍皇帝の快適抱き枕は眠りの猫姫〜
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END