放課後、ファミレス
「紫童くん、帰るよね? わたしも一緒にいいかな?」
教室がざわりとして、ぼくに話しかけてきた浅倉さんに視線が集中した。浅倉さんが紫童と帰る? なぜ? そんな声が聞こえそうだった。
「う、うん。行こう」
慌てて帰り支度をして立ち上がると、早々に教室を退散した。背中に感じる視線は無視するほかなかった。
「カンナは一組だったよね」
浅倉さんの言葉に、そうなんだ、と妙な驚きを覚えた。思えばぼくは、星崎さんのことをほとんど知らないことに今さらながら気がつく。
「到着っと。カンナは~……、あ、いた。わひゃー、相変わらず囲まれてるね~」
廊下から教室内を窺った浅倉さんが感心して声を上げた。
星崎さんはたくさんの級友に文字通り囲まれていた。
たくさんの人がいるのに、みんなが星崎さんを見ていた。みんなが星崎さんに話しかけ、星崎さんがそれに応えると誰もが嬉しそうだった。会話の内容までは聞こえてこない。ただの日常会話に過ぎないだろうけれど、皆が星崎さんの言葉を心待ちにしているのがはた目からでも窺えた。
「おーいカンナ~」
浅倉さんが手を振ると、気がついた星崎さんは周りに断りを入れながら人の輪を離れ、ぼくたちに近づいてきた。
「お待たせ。行こうか」
「うん。ほら紫童くんも」
「う、うん」
つい気になって、教室のほうへちらりと目をやった。するとやはり、「なんだあの男は」という刺さるような視線が向けられていて、見なければよかったと後悔しながら目を背け、歩き出していたふたりの元へ慌ててついていった。
「ファミレスでも行かない?」
浅倉さんの提案で、ぼくたち三人は駅前のサイゼリヤにやってきていた。
店内はぼくたちと同じように制服姿の学生が多くいた。よくある定番のコースなのだろう。けれどぼくは、クラスメイトと放課後にファミレスに寄るなんてはじめての体験だった。それも相手は女の子だと意識してしまうと、どう振る舞えばいいのかさっぱりわからなくなった。
向かいに座った浅倉さんは慣れた様子でメニューを開き、隣に座る星崎さんと一緒に「どうしよっか」と肩を寄せ合っている。
「ポテト頼むからシェアしようよ。あとはドリンクバーと~、紫童くんはどうする?」
「あっ、ぼくもドリンクバーで」
「わたしも」
「じゃあドリンクバー三つね~。デザートとか食べる?」
「あっ、大丈夫です」
「わたしも」
「そう? わたしはアイス食べようかな~。ここのアイス好きなんだ~」
注文した品が出され、ドリンクバーで飲み物を用意して、ぼくたちの会食は始まった。
「繋がりを意識するってどうすればいいんだろうね」
頬杖をつきながらアイスをつついていた浅倉さんが思い出したように言った。「ねえ?」と隣に置いたリュックをのぞき込む。開いた口からベルタがぴょこんと頭を出した。これだけ人が多いと、姿が見えないゆえに蹴飛ばされる危険性があるから鞄の中に入っている。アルトも星崎さんの鞄の中にいるけれど、こっちは会話に加わるつもりがないらしい。
ベルタは浅倉さんに分けてもらった飲み物を器用にストローで飲んでから、「わからないわねえ」と身も蓋もないことを言った。
「でも、カンナちゃんが言った『とりあえず一緒に帰ろう』ってのは当を得ていると思うのよ。一緒に過ごす距離とか時間とか、そういった物理的な近さが魔法的な繋がりに影響を及ぼすところってあると思うのよね。……知らんけど」
「ベルタ最近それ好きだよね。『知らんけど』って言いたいだけでしょ」
ポテトをくわえた浅倉さんが呆れたように笑った。星崎さんも口元に手を当てて目を細めている。
その星崎さんが不意にぼくを見た。きゅっと掴まれたような気分になる。
「そばにいるのが大切なんだよね」
「その可能性もある、ってことらしいですけど」
「それなら、毎日うちにおいでよ」
唐突な言葉に思考が止まった。どうしたらいいかわからず、つい浅倉さんを見てしまう。浅倉さんも固まっていたけれど、ぼくの視線にはっとしたのか「も、もう~、カンナったら」と無理に笑った。
「冗談にしても、情熱的すぎない?」
「? 情熱的というのはわからないけど、冗談ではないよ」
「えっ。いやでも……ねえ?」
浅倉さんがぼくに同意を求めるように顔を向ける。
「ええと、ご家族だって毎日来られるのは迷惑だと思いますし……」
星崎さんは不思議そうにぼくを見た。常識的なことを言っているのはこちらだと思うのだが、星崎さんがあまりに平然としているので不安や焦りがわいてくる。
「うち、ママしかいないし、今は単身赴任中だから平気だよ」
「そうなんですか、でも……え?」
あんまりさらりと言うものだから聞き流しそうになった。浅倉さんも同様らしく、ぼくたちは顔を見合わせた。アイコンタクトを交わす。つまり、そういうことですか? 浅倉さんがうんと頷いて、星崎さんを見た。
「カンナ、今ひとり暮らししてるってこと?」
「ん。そうだね」
ひとり暮らし。大人じゃないぼくらには関係のない出来事だと思っていたのに。こんなに身近にそれを実行していた人がいたことに畏敬の念を覚える一方、実感が湧かないのもたしかだった。大人びた行動への憧れと、独りきりでいることへの不安がないまぜになる。
家に帰っても誰もいないというのは、どういう気持ちになるんだろう。
「寂しくない?」と、浅倉さんがおずおず尋ねる。星崎さんはふっと笑って、
「近くに叔母さん夫婦が住んでて、よく気にかけてもらってるから」
「……そっか。すごいなカンナは」
浅倉さんの感想に同感する。そんなことないよ、と星崎さんは謙遜するけれど、自分とは違う次元にいると思わずにいられない。
「だから、気にしなくていいよ」
星崎さんがそう言って、話が戻ってきた。そうだ。毎日星崎さんの家に行くという話の途中だった。
ご家族に迷惑をかける心配はないとして、それなら毎日行っちゃおうか、となるぼくではない。むしろ別の問題が立ち上ってきた。ひとり暮らしの女の子の家に男子であるぼくが入り浸るのはよくない気がしてならない。ましてやこちらは思春期である。
「いやあ……」
「何か気になる?」
「気になるというか、まあ……」
「何?」
ぐい、と星崎さんがテーブルの上に身を乗り出した。きれいな顔が近づいてきて、ぼくは思わず怯む。
「……それならまだ、星崎さんにうちに来てもらったほうが……」
勢いに押されて、そんなことをつい口走っていた。
星崎さんの表情がぱっと輝いた。
「それいいね。楽しそう」
「あっ、いいなー。わたしも行きたい」
「行こうよ。レナも一緒に。紫童くん、どうかな」
「うえっ? あー、あの、……はい、ぜひ」
もはや断れる雰囲気でもなく、ぼくは首を縦に振っていた。
「やったー! 楽しみ!」
両手を挙げて喜ぶ浅倉さんと、微笑む星崎さん。言ってしまったときは「まずった」と思ったけれど、ふたりがあまりにも嬉しそうにするものだから、「まあいいか」という気持ちになってきた。
ふと、妹のミカの顔が浮かんだ。兄が突然、女の子ふたりを家に連れてきたら、何を言うだろう。