別視点 少年を救う魔法少女
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「シャドウはまかせて! カンナはその人を!」
遅れて参じた仲間の少女たちが、影法師の怪物シャドウと交戦を開始した。
カンナと呼ばれた少女はその背中を見送った後、沈痛な表情で目の前の少年を見つめる。
肩から胸元までを切り裂かれている。明らかな致命傷だった。
傷口にかざした左手が放つ、回復魔法の柔らかな残光。血はすでに止まった。肉体も再生を始めている。けれど。
「無駄だカンナ」
カンナの背後から小さな銀色の獣が声を掛けた。片手に乗せられる程度のサイズだが、顔つきの鋭さや気品のある佇まいは紛うことなき狼の気風だった。
銀狼は少年の様子を確かめると、ゆっくりと首を横に振る。
「手遅れだ」
「手遅れなんかじゃないよアルト。彼はまだ生きてる」
銀狼アルトは再度、首を振って応える。
「まだ死んでないというだけだ」
アルトは言い含めるような口調で、
「ゆっくりと喘ぐような呼吸をしているだろう。死戦期呼吸の特徴だ。恐らく心臓はすでに止まっている。その少年はじきに死ぬ。……だから、もう遅いんだよカンナ」
カンナの美しい顔が悲痛に歪む。何があっても諦めようとしないのは確かに彼女の美徳だった。けれど今回ばかりは、諦めなければどうにかなるものではない。
シャドウの犠牲になった人はこれまでにも見てきた。そのたびにカンナがひどく心を痛めていたのをアルトは知っている。まだ十五歳の子供なのだ、無理もない。
だからこそ懸念した。まさに死にゆく人を間近に見るのははじめてのはずだ。ましてやその相手が同年代の少年とくれば、このむごい現実がカンナに深い傷を残してしまうのではないかと気が気じゃない。
どのみち失われる命なら、どこか目に触れないところで消えてほしい。アルトにとって最も大切なのはパートナーであるカンナの安全だった。
カンナはその場でうなだれている。アルトも胸が痛む。少年が死ぬのは残念だが、カンナには気を病んでほしくない。なんと声をかけようか考えていると、カンナのほうが先に口を開いた。
「わたし、彼を知ってる」
「……何?」
「紫童リンネくん。同級生。クラスは違うから、話したことはないけど」
アルトは得心する。どこか執着しているようだったのは、そのためか。
「わたし、彼を死なせたくない。……でも、アルトの言うとおり。間に合わない」
カンナは声を震わせていた。回復魔法を使う手を休めてはいないが、じきに現実を受け容れるのだろうとアルトは予測した。彼女も頭ではアルトの言うことが正しいと思っている。ならばあとは気持ちを整理する時間が必要なだけだ。
──その判断は早計だったことを、アルトはすぐに思い知る。
アルトはパートナーを敬愛していた。星崎カンナという少女がどれほど稀有な才能の持ち主か、誰よりもわかっているつもりだった。
それでもなお、彼女が持つ資質を見誤っていたらしい。
「……このままじゃだめ。だったら、こうするしかない」
居直るような声に、アルトはぎくりとする。カンナが顔を上げた。
碧い瞳が燃えている。
星崎カンナは可能性がないくらいじゃ諦めない。
彼女は不可能を可能にする魔法少女だった。
カンナは回復魔法を使う手と反対の手を、リンネの左胸、心臓の上に置いた。その手が神々しい輝きを放ち始める。
「何をするつもりだ」
「アルトも手伝って」
カンナとリンネを中心に風の渦が立ち昇った。周囲の空気が変わり、アルトはぞくりと身震いする。
「防護魔法展開、お願い。外界からの干渉を最大限減らしてほしい」
「どうするんだ」
「彼と契約を結ぶ」
「……何を言っている?」
アルトは耳を疑った。カンナが発した言葉はよく聞こえていた。その言葉の意味も知っている。だからこそ、何を言っているのか理解できない。
「彼に魔法を使わせる。わたしの回復魔法と彼の自己修復魔法、内と外の両面から治す」
「ばかな。人間同士の契約なんてできるはずがない」
「わたしならできるよ」
強い意志を持った碧い瞳が、射竦めるようにアルトを見つめる。
「できなくたって、やる。だってわたしは魔法少女で、アルトの契約者だから。……だからお願い。手を貸して」
まっすぐに自身を見据える少女を見返すアルト。
こうなったら止められない。銀狼はため息をついた後、返事の代わりに少年を挟む位置でパートナーと向かい合った。カンナが微笑む。
「ありがとう」
防護結界を起動するアルト。アルト、カンナ、リンネを囲むように球状の防壁が展開され、内側だけ時間が停まったように空気が凪いだ。カンナが使う魔法が起こす奔流の風切り音だけが聞こえてくる。
アルトはため息をついて、パートナーを見つめた。彼女の目にはいささかの迷いも見えない。
「何が起こるかわからないぞ。君の身にも危険が及ぶかもしれない」
「わかってるよ」
なんでもないことのように少女は応える。カンナがそう言うと、本当になんでもないことのような気がしてくる。アルトは我に返ると、首を振って告げた。
「俺の最優先事項は君の身の安全だ。何かあれば無理にでも止めに入る」
「頼もしいね」
カンナが放つ魔法の輝きが一際強くなる。いよいよ始める気だ。
「巻き込んじゃってごめん」
少年から目を逸らさず、カンナは謝罪を口にした。結界内に立ちこめる魔力の質が変わった。温かいのに、研ぎ澄まされて、ひりひりと肌が焼けつくような感覚。
アルトは防護結界に全霊の魔力を注ぎ込んで応じる。
「カンナの好きにすればいい。この命はもとより君のためにある」
あえて仰々しく。アルトの言葉を聞いてカンナがふっと口角を緩めた。
そして、
「──いくよ」
カンナの内で練り上げられた魔力が解放された。
◆
仲間の魔法少女たちがシャドウを打倒するのと、それはほとんど同時に起きた。
不意に現れた天高く昇る極大の光柱。少女たちは戸惑い、やがてそれが星崎カンナの成した奇跡であることを直感した。
血と闇に染まる亜空間が黄金色の光で塗りつぶされていく様を呆然と見上げながら、各々の想いを胸に抱く。