第1話 ルシアはドーナツが食べたい
ここは、アドノス島エディン自治区の本拠地フォルテザ砦。今やこの島を守る最重要拠点と言っても過言ではない。
一番大きな広間では、30人程が長円形のテーブルを囲って議論をしている。
「クソッ、いくら連絡してもまるで話になりません。なんて頭の固い連中なんだ」
ドゥーウェンは、テーブルを拳で叩いた。軋む音がテーブルの悲鳴の様だ。
ついこの間まで敵方の暗黒神『マーダ』を名乗る男の配下『ヴァロウズ』で2番目に位置しつつ、大胆にもスパイ活動をしていた学者面の男である。
「止むを得ん、相手は戦之女神に仕える修道兵。知らぬ人間の助力より信仰する神の力を絶対とする連中だ」
エディン自治区の総司令であり、最早マーダに仇なす最右翼『白の軍団』を率いるサイガン・ロットレン。
弟子をなだめる意味も含めてそう告げたのだが、失言だったと気がついて思わず自分の口を塞ぐ。
兵でこそないが全く同じ女神を深く信仰する司祭が、この会議に参列している。
「いえ、お構いは不要です。私もロッギオネで司祭の学校に通っていましたが、正直言って、彼等とはウマが合いませんでした。サイガン様の言う通り能力云々ではなく、信じた者が正義みたいな……。とにかく話が通じない方々でした」
戦之女神の司祭でありながら、未だ15歳というリイナは、高原の風の様に涼しい顔でサイガンの言葉に同調する。
「ただ修道兵は確かに屈強で折れない兵士です。兵団長は失われたそうですが、むしろ屈辱の中で、反撃の牙を研いでいるのかも知れません」
彼女は、これを付け加えた。確かに理屈を超える力というのは在るものだ。
「しかしロッギオネを治めている者の情報が掴めないのが、不気味でなりません。ヴァロウズの連中ではなかったのです」
ドゥーウェンをマスターと慕う、ハイエルフのベランドナだ。
風の精霊を飛ばし状況を調査させたが、見た事も聞いた事もない術士が牛耳っているらしい。
「そもそもヴァロウズの生き残りが少ないからな。この間のレイは行方不明。魔導士のフォウが一人で砦を守るのは考えづらい。9番目の竜はカノンから動く素振りを見せんしな」
戦斧の騎士ジェリドがいつもの穏やかな表情で意見する。
そもそも彼とラオの守備隊から合流している槍の騎士、ランチアとプリドールは、ロッギオネではなく、ラファンの砦を墜とす事を任されている。
あと3番目の剣士トレノと5番目の女戦士ティン・クェンについては、一度ラファンを攻め落としたとはいえ、占拠はしなかった。
この二人は遊撃隊の様な存在だろう。
もっとも二人がラファンに現れるのであれば、今度こそ容赦はしないとジェリドは思っている。
それから6番目がいるらしいが、この者についての情報は一切掴めていない。
最後に残る1番目だがこれは完全にマーダの側近であるらしい。よって離れる事は考えにくい。
暫くの沈黙が広間を支配する。
「ちょっと、いいか?」
あまり覇気の感じられない声を出すので、皆聞き耳を立てる羽目になる。彼の声量は大体いつもそうだ。
彼の名はローダ・ファルムーン。騎士見習いでありながら、マーダがエドナ村を襲撃した際には、途方もない力でこれを退け名を上げた。
もっとも当人はこの戦いをほとんど覚えてはいない。
さらにこの間のエドル神殿奪還戦では、ヴァロウズの二丁拳銃使いレイをほぼ一人で封じこめた。
よって彼の発言権は日を追うごとに増している。
「ロッギオネは俺とルシア、二人だけで行く。ロッギオネ兵にとっては若造と女が一人加勢に来た所で何とも思うまい」
彼はボソッと言いのけた。如何にも頼りない感じなのだが、要は自分とルシアの二人さえいれば問題ないと堂々と言ってのけている。
「それに俺達は空が飛べる。しかもこの間よりもだ。だから援護的な戦いも出来るし、有事の際には本気を出せばいい」
彼の事を良く知らない者が聞いたら、イカレているのではないかと思うかも知れない。
だがこのローダ、そして精霊術と武術を一体にして戦うルシアの力を疑う者は、ここには存在しない。
「しかしそれでは、こちらの面子が立たないのです。エディンの『白の軍団』を名乗る我々が、この状況を打開したという結果がないと、戦後にまとまりがつかなくなります」
ドゥーウェンはマーダとの戦い全てが終わった後の話をしている。
例え平和を取り戻したとしても、アドノス島が一枚岩にならなければ、次に大陸の相手をしなければならないのは自明の理だ。
「面子ねえ。だったら私とローダにあのおっきい奴、貸してくれない?」
金髪とエメラルドグリーンの瞳が美しいルシアは少し小馬鹿にした様な態度で、砦の外を親指で指した。
「ほぅ、アレを出すのか。確かに我々の力を示すのに最適で釣りが出る程かも知れん。よし船を出すぞ。乗組員を編成しろ」
「んじゃ、そういう事で私達は、お先に失礼しまーす」
「お、おぃ…」
サイガンが指示を出しているのを尻目に、ルシアはローダの背中を押してさっさと広間を退室した。
二人はそのまま廊下を歩く。
「あーっ、喋ったらなんか喉乾いちゃった。ねえ、このままお茶でもしに行かない? この間、あの角の所に出来たお店、ドーナツが美味しいんだって」
ルシアはローダの前に回り込み、後ろ歩きをしながら声を掛けてみる。
(まだ2時だぞ、腹なんか空いてないんだが……)
ローダはそう思ったのだがルシアに上目遣いで覗かれると、とてもこのまま自分の部屋に戻る気にはなれない。
―そもそもその顔で誘って来るのはズルいんだよな。
「分かった、付き合うよ」
彼は半ば諦め顔で返答した。勿論悪い気はしない。
彼女はそれをまるで見透かしているかの様にニッと笑う。
ローダの手を取ってカツカツと歩みを速めた。慌ててローダも歩を合わせる。
「ところで貴方、さっき確か、さらに飛べるとか言ってたよね?」
「んっ? ああ、言葉通りだよ。滞空時間も長くなったし、なんならエドナ村を襲ったマーダの様に宙で静止する事も可能だ」
ローダは少し面食らった。もうルシアの頭にはドーナツの事しかないと思っていた。
(な、なんですって?)
ルシアは思わず足を止めてしまった。驚いた顔をローダに寄せる。
「な、なんだよ……」
ローダは恥ずかしくなって目を背けた。
(考えてみたら黒い剣士と戦った時、狂戦士化していたとはいえ、知らないうちに封印を解いていたんだよね。あの時既に空を飛ぶ能力を学習していたのだとしたら有り得るのかあ)
ルシアはエドナ村での激しい戦闘を回想する。
―に、しても成長速すぎよ。私もうかうかしてらんないわね。
「おぃ、どうした?」
「ううん、何でもない! さあ、行きましょう!」
ルシアは再び、手を引いてグイグイ歩き始めた。砦の出口はすぐそこだ。
後は能力云々の事は忘れて短いデートを楽しもうと決めた。