花屋を始めました.2
レイチェルの花屋は、初めの数日こそ閑散としていたけれど、日が経つにつれ賑わい始めた。ひと月も経った頃には花を求める常連客と、レイチェル目当ての若者が仕事帰りに訪れるように。
「きょうのおすすめの花はどれだい?」
「はい。リンドウが綺麗ですよ。黄色の小花を一輪添えて花束にしてはいかがでしょうか」
男は三軒隣の主人で染め物工場で働いている。四十歳半ばで成人近い子供が三人。
『こいつは問題ない』
ピットが男の頭の上でとぐろを巻きながら、ぼやく。
買った花を受け取り自宅へ向かう背中を見送っていると、早くも次の客が現れた。
「レイチェル、今日も来たよ!」
次に来たのは二つ向こうの通りに住んでいる十代の青年で母親に渡すと言ってほぼ毎日買いにくる。少しニキビが残った顔の愛想の良い靴職人の卵。
「聞いてくれよ。今日も俺が家を出たとたん雨が降ってきてさ。で、仕事場についたら俺だけびしょ濡れ、これが三日も続くなんておかしくないか?」
カウンターに肘をつく男のズボンの裾に向かって、ピットはこっそり水を吹き付ける。
「そうだ、レイチェル。来週の収穫祭、一緒に行くって話考えてくれた?」
「それが、主催者から広場の飾りを頼まれてしまって」
「そんなの午前中終わるだろ? だからさ……って!? 熱っ、えっ頭が熱い? 燃えてる!?」
男の襟足がチリチリと燃え始め、レイチェルは慌てて濡れた布巾を手渡す。ついでに青年の肩口にいたピットを睨むけれど、悪くないとばかりにそっぽを向かれてしまう。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、でもどうして火なんか。ま、いいか。レイチェルこそ火傷していないか?」
男の手が強引にレイチェルの手を掴む。
「大丈夫です。あの、花を用意しますから手を離して……」
「この花を籠もりにしてくれないかい?」
入り口から腰の曲がった老女が顔を出し、青年を軽く睨みつける。現れたのは隣のパン屋の店主の母親で、きまずそうにレイチェルから離れる男をしり目に手近な花を数本選び始める。
「これで店先に置く花籠を作ってくれないか? それから、あんた靴屋の見習いだろう。こんなところで油を打っていると師匠にいいつけるよ」
「いやっ、俺は花を買いに来ただけで」
「だったらさっさと買って帰りな」
ヒッと小さく声を上げると、男は適当に花を数本手に取り銀貨を置いて出て行った。その走り去る背中を、老女はふん、と鼻を鳴らして見送る。
「アルルさんありがとうございます」
「まったく、若い女性の一人暮らしなのだからもっと気をつけないと」
「すみません」
レイチェルは苦笑いを浮かべながら、花を受けとる。
レイチェルの花籠はひと月ほど長持ちすると評判だけれど、アルルは何かと理由をつけて頻繁に買いに来てくれる。時には仕事に慣れないレイチェルを見かねて店を手伝ってくれることも。
「でも不思議よね。どうしてここの花は長持ちするのかしら」
不思議そうに首を傾げる老女に、レイチェルは引きつらないよう口角を上げる。海綿にはほんの僅かだけ慈愛の雨を含ませている。もちろんピットが体調を崩さない程度なので大した量ではないが。
「これで宜しいですか?」
「ええ、とても綺麗だわ」
アルルはポケットから銀貨を取り出し店の隅にある作業台に乗せ、それから思い出したようにレイチェルを見る。
「明日の収穫祭、行くのかい? 息子夫婦も行くって言ってたから案内させようか」
「ありがとうございます。是非……」
そこまで言いかけて、レイチェルの視線が入り口で止まる。そこには平民服を着ているにも関わらず人目を引く容貌のフェンシル。
「フェル様」
「あら、あんたもまた来たのかい」
老女が呆れるようにため息をつくので、フェンシルは苦笑いを漏らす。レイチェルは隅から椅子を持って来ようとして手で制された。
「アルル殿、今日もお元気ですね。先程あなたのお店でパンを頂きました」
「あら、いつもいつもありがとう」
「いえ、ここのパンは美味しいので。王都一番だと思いますよ」
「そうだろう。お城のパンにだってきっと負けていないさ」
アルルの言葉にフェンシルが当然のように頷くので、レイチェルの背中に冷や汗が走る。
アルルはもし一緒に行くなら声を掛けて、と言うと店を出るついでにフェンシルの背中をパシリと叩いた。
「来るのが遅いよ。虫は私が追っ払ってやったけれどもいつも助けられるわけじゃないんだからね」
「虫?」
フェンシルは眉を顰めアルルを見送ると、整いすぎた微笑みを浮かべてレイチェルを振り返る。
「レイチェル、今日来たのは誰だ?」
「えーと、特に問題ないです。お花も買ってくれましたし」
「それは質問の答えになっていない。背の高い奴か? それとも赤髪の? あぁ、ニキビ面もいたな」
『金髪碧眼もな』
ピットが最大限の威嚇をするも、それが見えないフェンシルはレイチェルの左手を掬い上げる。
「これじゃ、効き目が弱いのか? ならばもっと目立つのを」
「で、でも。あまり大きいと仕事の邪魔になりますし」
ラピスラズリの指輪を恨めしそうに見るフェンシルに遠慮がちに言うも、耳を貸す気はないようで。
「女性の一人暮らしはやはり危険だな。これからはもう少し頻繁に顔を出すようにしよう」
『三日置きに来るお前が一番危険だけどな』
ピットとしてはフェンシルにも火を吹きたいところ。しかし、「フェンシル殿下に水と火を吹きかけたら口をきかない」とレイチェルに言われているのでググっと唸り我慢する。
「ですがフェンシル殿下もお忙しい御身、無理はなさらないでください。それから。お店を閉めますので先に二階に上がって頂けますか」
「あぁ、分かった……と」
階段に向かおうと身体の向きを変えたフェンシルが何かに躓いたようにたたらを踏む。どうしたのかと見ればピットがわざと起こした空気の塊に引っかかったようで。
「申し訳ありません。お怪我は」
「大丈夫だ。それにレイチェルが謝ることではないだろう」
(いえ、私の、ピットのせいです)
うっと言葉を詰まらせるレイチェルの頭にポンと手を置くと、そのまま何ごともなかったかのように階段を上がって行った。
「ピット!!」
『だって、三日に一回って来すぎだろう。その度に夕飯も食べていくし、図々しいにも程がある。レイチェルは俺との時間が減ってもいいの?』
「三日のうち二日はピットと二人だし、フェンシル殿下は食事を終えたら帰られるじゃない」
『当たり前だよ。レイチェル、あいつが何を言っても絶対泊めちゃダメだよ。ああいう面構えのいい男ほど内心何を考えているのか分からないんだから』
はいはい、とレイチェルは相槌を打ちながら戸締まりを確認すると、さっさと二階へと上がっていく。
その足取りがいつもより軽いことが、ピットはさらに気に食わない。
誤字脱字報告ありがとうございます。
何度見直してもなくならない……。
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