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宙の花標  作者: ながる
第二部 地上の星に舞う蝶は

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02.店主

「ウルセー」

『しかも! よりにもよって、何このスーツ! 何よ! ずっと引きこもってたくせに! まともに就職でもしようっての!?』

「しねーよ。いいからサッサと商品出しやがれ。買ってやる」


 ツバメは渋い顔をしながら試着室から出てくると、私に目配せをして唇の前に人差し指を立てた。


紫陽(しはる)さんはしばらく黙って様子を見ててくださいね』


 イヤホンからも安藤のひそめた声がする。

 とりあえず、小さく頷いた。


『駄目よ。却下。どこに着て行くの? パーティとかならあなたはもっと華やかな方が似合う。茶のダブルか、明るいグレーのスリーピース』

「どこにも行かねえよ。体裁を整えるだけだ。起こしたか? 寝てていいぞ」

『こっちの仕事中よ。ともかく、そこにいるならちょっと待ってなさいよ。午前中は無理だけど、なんとか休みをもぎ取って行くから。ちゃんと見立てて――』

「そんな暇無ぇ。何でもいいからモノよこせって。ここなら待つこともなく着替えまで済ませられると思ったから、来てやったんだ」

『――はぁ?』


 明らかに不機嫌を滲ませた声はいったん静かになって、代わりに周囲から微かな機械の駆動音が響いてくる。

 ツバメは舌打ちすると、頭をがりがりとかきむしった。


「だからめんどくせえって言うんだ」

『まぁ、ここまでは想定内ですけどね』


 安藤の声にかぶさるように、先ほどの女性の声が今度は接客のトーンに変わって、再び降ってきた。


『いらっしゃいませ。初めまして、かしら。お嬢さん。本日のお探しものは、ラウンジでのディナー用のお召し物? それとも、タカと同じようにビジネス用のスーツでも?』

『カメラですよ。店内にはかなりの数あるはずですから』


 突然話しかけられて驚いている私に、安藤がさりげなく説明する。


「先に言っとくぞ。そいつは死んだ崋山院の婆さんの孫だ」

『かざ……な、何!? なんで、崋山院のお嬢様とタカが!?』

「婆さんが死んだからだよ。今、詳しくは話せねーんだ。察しろ!」

『もう! 突然現れて何を察しろって言うの? ワタシ、気になることはトコトン追求するわよ。後で必ず教えてもらいますからね。で? どこに行くの?』

「ここで崋山院カスミに会う」


 大きくて長いため息が店中に響いた。


『察するというか、予言できそうなんだけど? 刺されないように恰好だけじゃなく、口も慎みなさいね?』

「ウルセー」

『スーツの理由は解った。でもあなたはそこまで頭回さないわね。安藤ちゃんあたりの助言かしら。だとしたら、こっちかなぁ……お嬢さんのは必要ないのね?』

「あ、はい。大丈夫です」


 反射的に応えてしまってから、まずかっただろうかとツバメを見た。彼は渋い顔をしてたけど、それはもうずっとそんな表情だ。


『私が壊れたことは外に出ていませんから、そこだけ気をつけて対応してください』


 安藤の声に、ああ、そうかと急に緊張してきた。私は、無事(?)を分かっているけど、世間ではまだ安藤は死んでさえいないのだ。考え始めると、なんだかすごくややこしい。


『ねぇ。タカ。久しぶりだもの。降りてこない?』

「やだね」

『じゃあ、私が行くまで待っててよ』

「それも、やだね。俺は帰る」

『もーぅ! つれないんだからぁ』


 甘えてじゃれつくようなトーンは聞いているとなんだかくすぐったい。

 その時、レジの奥からワゴンタイプのロボットがゆっくりと近づいてきた。大きめの箱と、手のひらサイズの箱が一つずつ乗っている。


『じゃあ、いいわ。可愛いお嬢さんにお願いしちゃお☆』


 ツバメはめいっぱい眉を寄せて、カメラの一つを睨みつけた。


「おい?」

『お嬢さんはいつこっちに帰ってくるの?』

「え、と。伯母様とのお話が終われば、戻ろうと思ってましたけど……」

『まぁ。ついてる! あのねぇ、届け物をしてほしいの。スーツとは別に小さな箱があるでしょう? 空港までは使いを出すから。ね? 頼まれてくれたら、お礼に新作夏物から一点プレゼントしちゃう!』

「――お嬢さん、断れ」

「え? 空港まで持っていくだけなら、別に……」


 小さな箱だ。手荷物にも入るだろう。

 ツバメの舌打ちと重なって、女性の明るい声が返ってきた。


『ありがとーう! 優しいのね! じゃあ、じゃあ、良かったら会員登録して行って? タカが着替えてる間に、サイズも測っちゃいましょ? あ、選ぶのはもちろんゆっくりでいいのよ?』


 パッと二番の試着室の電気が点いた。


「行かなくていい」

『やーん。タカは邪魔しないで!』

「得体のしれないヤツに情報をくれてやるなって言ってるんだ」

「……え?」


 立ちふさがるようなツバメの言葉にドキッとする。


『失礼! それは、超シツレイ! ワタシ、美容とファッションに関しては、変な私情挟まないわ!』

「届け物は美容でもファッションでもないな」


 ぐっと瞬間言葉に詰まって、彼女は小さく息を吐いた。


『今、あんまり動けないから、持ってきてもらえると助かるのは本当なのよ……』


 拗ねたような弱々しい響きに少し同情心が湧く。ツバメは冷たい態度だけど、彼女の方はツバメを慕っていそうだったから。


「いいですよ。空港で待ってる誰かに渡せばいいんですね?」

「お嬢さん……?!」

『……お嬢さんったら……! なんて、イイコ!! 誰が行けるか、すぐは決められないけど、『Kazan』の社員証を見せるように言っておくから!』


 あれ? 『Kazan(うち)』の人なの?

 感激した声に、今度はツバメが息を吐く。ガリガリと頭をかくと、苦々しそうに吐き捨てた。


「……わかった。一緒に行く」

「え?」

『いーわよ。来なくて。さっさと帰ればいいじゃない。ワタシは勝手にお嬢さんと友好を深めるから』

「深めなくていい! お嬢さん、荷物を渡したら、それで終わりだ。金輪際、この店にも近寄るな? わかったな?」

『ヒドーイ! 営業妨害だわ!』

「ウルセー!!」


 スーツの箱を抱えると、ツバメは電気の点いた二番の試着室に入ってしまった。

 安藤は黙ったままだし、どうして急にツバメの気が変わったのか分からないまま、私は呆然とツバメの入って行った試着室のドアを眺めていた。

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