03話
「――というわけで今日は帰れるから一緒にご飯を食べよう」
「うん、じゃあ家で待ってるね」
通話を切ってスマホをしまいつつ珍しいこともあったもんだと内心で呟いた。
父が定時――十九時には家に帰れるらしい。
いつもは二十二時過ぎの帰宅がデフォルトなので、これは年に一度あるかなってくらいの稀有な例だ。
ただなあ、今日も日高ちゃんが藤子先生の家に泊まりに行くとか言ってたんだよなあ……あの二人を二人きりにしたら怪しいんだよなあ……。
でも、やっぱり父との時間も大切だ。
自分と私のために頑張ってくれている父を労りたい。
そのため、帰りにスーパーに寄ろうと決めた。
「やっほー」
「あ、日高さん、どこに行ってたの?」
「ちょっと藤子先生のところー」
この陽者は侮れない、あはり距離の詰め方が早すぎる。
ついこの前まで話しているところすら全然見たことがなかったというのに。
「楽しみだな~文葉ちゃんも来るよね?」
「いや、今日はお父さんと過ごすから」
「ほーん――って、その言い方だと普段はいないの?」
「私が寝た頃くらいに帰ってくるからね」
それで私が起きるよりも早く家を出ていくから大変な人だ。
問題なのはどういう職種に就いているのか分からないということ。
やばいことはしていないだろうから危惧はしていないけど、とにかく怪我とかはしないでといつも願っている。
「ふふふ」
そこで彼女は笑みを浮かべた。
だけどなんだか憂いを含んだ笑みだった。
「家族で仲良くていいねっ、私の家は違うからさ。もうね、みんなが集まっても会話がないの。お父さんもお兄ちゃんも携帯を見ながらご飯を食べるし、お母さんは無表情でさ、そこにいるのが苦痛みたいな感じで……だからさ、学校ではワイワイ同じように盛り上がってくれるお友達といたいんだよね」
「そうだったんだ……」
だから私みたいな陰者にも柔らかい態度で接してくれるのかもしれない。
もし友達が家族みたいな反応になってしまったら怖いから。
藤子先生は基本的に真顔で怖い感じがするけど暖かい人だ、そのため彼女も無意識にというか意識的に求めてしまっている、というところだろうか。
「だけど問題もあってさ、いつだって明るく振る舞えるような強さがなくて……嫌な気持ちにさせてしまうときがあるんだ、他の子を」
「人間なんだししょうがないよ。それに無理をしてほしくない、やめたいならやめてもいいと思うよ」
どうせ関わるなら素の彼女と関わりたい。
藤子先生もそれを望んていいることだろう。
だって虚しいんだ、無理されていたら自分だから? という疑問が生じるから。
いきなりは無理だと言うなら練習台として使ってくれてもいい。
そこまで軟なメンタルはしていない。もしクソザコメンタルだったらここまで乗り切れてはいないだろう。
小中高とほぼ友達〇で乗り切ってきているんだ。
悪口だって言われたことあるけど、私にはポジティブに考えられるスキルが備わっている。
「文葉」
「あ、はい」
「えへへっ、ちょっと試してみただけ……」
ど、ドキッとしたぁ!?
だって私の名前を呼び捨てにしたときの彼女、冷たい感じがしたから。
なんか普段は明るいのに私にだけそういう一面を見せてくれて、そしてそういう愛らしい外見でクールな様子を見せてくれて心臓が跳ねた、あと、最後のがめちゃくちゃ可愛かった。
「文葉ちゃん? 顔が赤いよ?」
「う、ううんっ、なんでもないよ。でさ、私には日高ちゃん本来の態度で接してくれていいからね」
「……うん、藤子先生にも同じこと言われたし」
今度は違う意味でドキリとした。
そうか、まあ当たり前だよねと内で呟く。
別に先生は私にだけ優しいというわけではない。
困っていたら放っておけないタイプだからこれからもこういう子が増えることだろう、そうなったとき私は先生と距離がどれくらいできているだろうか。
「仲、いいね」
「藤子先生が優しいだけだよ。だけど、ちょっといいなって思ってる。だって格好いいし、優しいし、綺麗だし、自分じゃ絶対になれないような存在だからさ」
「そっか。うん、もっと仲良くなれるように願っておくね」
先生がいつか呼んでくれたらそのときは行けばいい。
自分から近づくことはもうしない、邪魔をしたくないから。
って、別にこれは家に行くときはの話しであって、会話くらいはするけどね。
「日高、ちょっと来い」
「あれ、藤子先生? はーい」
ぐっ、目の前でされると複雑だな。
というか私もどうしてこんなにモヤモヤするんだろう。
別に先生に恋感情があるわけじゃないのに。
「あははっ、そういうものですか?」
「ああ、案外そういうものだよ」
「そうですね……ちょっと頑張ってみます」
多分話しているのは家族とのことなんだろうけどあれは違う。
あの「頑張ってみます」は先生に対してに違いない。
ああもうやだやだ、邪魔をしたくないとか言ってその内側を醜い感情で埋め尽くしていたら意味がないじゃんか。
「片桐」
「あ、はい」
手招きされたので近づいてみたらまたもや頬を掴まれた。
私の頬って毎回掴みたくなるくらい魅力的なのだろうか。
「あんまりガン見するなよ、気づいてないとでも思ったのか?」
「え、あれ、見ちゃってました?」
「ああ、瞬きもしないでな」
「やだ私ったら恥ずかしい……すみませんね、奥さん」
だって気になるんだもん、しょうがないよ。
見方によっては見せつけられているようなものだからね。
応援するとか言ったけど、それとこれとは話は別。
……するなら裏でとかにしてほしい。
「なにが奥さんだ。一度も恋人すらいたことのない私に対する侮辱か?」
「え、それなら嬉しい!」
「なにが嬉しいだ日高め!」
ああ残念、私と日高ちゃんで考えていることは似ているんだけど。
「ねえ先生、好きな人とかっていないの?」
「いないな、ちなみに学生の頃からいたことないな」
「へえ、それじゃあこれからも?」
「どうだろうな、決まっているわけじゃないからな」
「もしかしたら私を好むかもしれないよ?」
「そういう可能性も〇ではないかもな」
おぉ、積極的。
というかもう私、帰ってもいいですかね?
なんで私もわざわざ放課後に残っていたのかは分からないけど。
こうして先生が来てくれるのを待っていたとか? だけどそこには日高ちゃんもいて? しかもいい雰囲気で? 私はそれを見ることしかできなくて?
うん、自分もそうだけど先生が私を呼んだ理由が分からない。
「え、やった!」
「同性に好かれて嬉しいか?」
「仮に私が藤子先生を好きになった場合、その人に好かれたら嬉しいでしょ」
「ま、嫌われるよりは断然な」
「うん。あ、先生、門限もあるしそろそろお家に行きたい」
ちょっといい雰囲気のときに言うのがまた上手い。
あれだな、去年の私を見ているみたいだ。
もっとも、彼女の方が上手いし自然ではあるけれど。
「無理だな、一九時までは残らなければならない決まりだからな。そしてそのときになったら既にアウトだ」
「ははっ、というか門限とか嘘だからね。多分、二三時を越えて帰っても心配すらされないよ」
あ、また憂いを含んだ感じの笑みだ。
父とはほとんど一緒にいられないけど、それでも会えば楽しい時間になる。
もし父の態度が日高ちゃんの家族みたいだったら寂しくて仕方なかっただろう。
だけどなんでだろう、もしそうだったら先生に甘える口実ができたのに、なんて考えてしまうのは。
別にそこにやましい感情があるわけじゃないし、家に泊めたくらいで問題視もされないだろうから、とか思ってしまうのは。
「そんなことはないぞ、親が子を心配しないわけがないだろう」
「そうかな? その割には全然会話もないけどね」
家に帰ってもおかえりすら言ってくれないと彼女が愚痴る。
私なんて一年間のほとんどがそうだけどねと、内で苦笑した。
「だから今日はもう大人しく帰れ」
「残念だけどしょうがないよね、文葉ちゃんじゃあね!」
「あ、うん、気をつけてね」
最低な人間だな、私って。
どうして彼女が先生の家に行けなくてホッとしているんだよ。
「片桐はどうして残っていたんだ?」
「それがよく分からなくて。あ、今日はお父さんが早く帰ってこられるみたいなので一緒にご飯を食べるんですよっ。さっき聞いたときはスマホを落としそうでした! おかしいですよね、父とご飯を食べられるだけでこんなに驚くなんて」
「いや、たまにしかないのだからおかしくはないだろう、それくらい嬉しかったってことだろう?」
「……ですね、本当に珍しいことですから」
まだ四月だけど多分今年中にはもう起きない事だろうと予想した。
そう考えると今日一緒にご飯を食べたいという気持ちが出てくるし、逆にこの一度を味わわない方がいいのではないかという気持ちも出てきた。
今日はいいけど後が寂しすぎるだろう。
「先程といい、いまといい、難しい顔ばかりしてどうしたんだ?」
「……最近、日高さんと仲がいいですよね」
「私は担任だからな、できれば全員と仲良くなりたいと思っているぞ。あいつは明るくて助かる、ただ、無理をしているのは微妙な点だがな」
「だから素のままでいいと言ったんですよね? まだ出せていないみたいでしたけども」
「そっちの関係も良くなっているみたいだな」
はぁ、私たちの間に友情関係なんてあるのだろうか。
はぁ、なんでか知らないけど先生関連のことになると途端にポジティブでいられなくなる。
そして先生は無自覚にイケメンムーブ、と。
「日高さんの素を引き出してあげてください」
「だけどあれだろ、どこかの誰かさんが寂しがり屋だからな」
「日高さん以外の子も同時進行中ですか?」
「はぁ……貴様に決まっているだろう」
確かに寂しかったからお世話になっていたわけだけど先生ほどではない。
私は知ってる、お酒を飲みながら泣いていたこと。
しかもたまにお母さんのことをママとか言ってしまうことを。
それがもう可愛くてキュンキュンして、だからこそ緊張しなくていいんだと気づけた件でもあったわけだけども。
「それに変な言い方をするな、語弊があるぞ」
「そうですかね……」
私から行かないとか言っていた自分はどこにいったんだろ。
「片桐のお父さんは優しそうな人だったよな」
「あ!」
「ん?」
「お父さんと結婚してください」
なんでこんな画期的なことをもっと早く思いつかなかったんだろう。
父と結婚してくれれば同じ家でずっと過ごすことができる。
そうすれば他の女の子に取られることもなくなるというわけで。
「馬鹿なことを言うな、それに無理だぞ」
「生徒の父親だからですか?」
「いや、そういうことではない」
じゃあなんで?
単純に父のことを全然知らないということだったら一緒に過ごしてみればいいと思うんだけど。
「まあ、細かいことはいいだろう? そろそろ片桐も帰れ」
「……別に元々そのつもりでしたけど」
「なんだ貴様、さっきから面倒くさいやつだな」
「ふんっ、知りませんよ先生のことなんて」
寧ろ家に来てほしいくらいだった。
だけど父にだって先生の家に泊まったことがあることは言っていないし、できるわけもない。
早く帰ってきた家に娘の教師がいたら驚くだろう。
「それではさような――」
席を立ち出ていこうとした私の前に立ちふさがる先生。
「あ、あの?」
「いまの言葉は本当か?」
「わ、私がいつも言う冗談みたいなものですよ」
そう、ずっとこうやって構ってもらってきたんだ。
でも強力なライバルも出てきたことで、そろそろ効力もなくなっているはず。
「そうか、気をつけて帰れよ」
「わっ、頭を撫でないでください」
「いいだろ、同性なんだから」
「まあそうですけど。藤子先生も気をつけて帰ってくださいね」
「……ああ」
さて、私はスーパーに行ってステーキ肉でも買って帰ろう。
それを美味しく焼いてお父さんのスタミナを少しでも回復させてあげたいから。
「ふふふ、喜んでくれるかなあ?」
傍から見たら気持ちが悪い笑みを浮かべているだろうけど、一切気にせず学校をあとにしたのだった。