02話
翌日。
今日も今日とて自分の席で静かに優等生らしく本を読んでいると机の端をタップされた。
ニヤニヤしていたか!? と驚きながら視線を上げると、
「やっほー片桐ちゃん!」
その子は昨日藤子先生が言っていた子――日高夕日ちゃんだった。
え、どうしてクラスの人気者が!? とまたもや困惑していると、隣の席に彼女が座る。
よくある勝手に座るというやつではなく、彼女の席が隣なのだ。
「やだな~そんなに驚かなくてもいいでしょ? 毎日挨拶はしているじゃんか」
「あはは……うん、やっほー」
そう言いながらも人当たりのいい笑みを浮かべているのだからやっていられないんだよなあ。
陰の者に向ける笑みじゃないから、浄化されちゃうから!
「ねえ片桐ちゃんってさ、渋谷先生と仲いいよね」
ぎくっ!? って、別に変なことはしていないんだし気にする必要はないか。
「うん、去年からお世話になっているからね」
「私、先生のお家に行きたいんだけど、どうすれば行けるかな?」
「あ~あの人は優しいから言ったら行かせてくれるよ」
今日あの人の家から通ってきたんだよ! でも、今日から禁止なんだよ……。
いつもなら「一緒に行く?」なんて気軽に言えるんだけど、流石に一日で反故にするわけにはいかない、私が破るときは藤子先生がお酒禁止の口約束を破ったときだ。
「片桐ちゃん、一緒に頼んで?」
「うん、頼むくらいならいいよ」
いまはなんか難しい顔で紙とにらめっこしているだけだし大丈夫だろう。
「藤子先生」
「…………」
って、どれだけ集中してんねん……。
私は先生の肩に触れて意識を強制的にこちらに向けさせ――それでも向かないぞこの人。
「先生!」
「……ん? ああ、日高か、どうした?」
くぅ、流石クラスの人気者さんだ。
……日高ちゃんの声にだけ反応するとか微妙にショックを受けた。
「先生のお家に行きたいです!」
「んーもう少しくらい仲良くなってからだな」
「それなら片桐ちゃんもいたら大丈夫ですか?」
「片桐か、ふむ」
ニヤニヤしててむかつく。
一応勝負みたいになっているから負けさせたいという思いがあるんだろう。
「藤子先生、日高さんをお家に案内してあげたらどうかしら」
「……貴様は誰だ。まあ、構わないが」
「だそうよ、日高さん」
「ありがと! やっぱり持つべきなのは友だね!」
あれ、私って日高ちゃんの友達だったのか。
それとも陽の者は会話をしただけで友達認定する生き物たちなのだろうか。
一生そちら側に立つことができないだろうなと私は察したのだった。
「おぉ、広いなぁ」
「でしょ? ……あれ?」
乗車禁と家禁の話はどうなった?
どうして当たり前のように藤子ちゃんの家にいるの?
「ふっ……ふふ、片桐はっ、所詮……その程度だよな!」
彼女の笑い顔を見て思い出した。
車のところまで一緒に日高ちゃんと行ったら日高ちゃんに車内へと引き込まれたんだった。
彼女も酷い人だからそのまま発進させて、当たり前のようにまたこの場所へ来てしまったということになる。
でもあれだ、彼女が楽しそうにしていてくれればそれでいい、負けたのだとしても勝ったような気分だった。
「ふぅ……まあ適当にゆっくりしてくれ」
「ありがとうございます!」
そう言った後、当たり前のようにお酒を冷蔵庫から出してきて飲み始めた。
「負けですね」
「貴様が先に破ったからだ。大体、昨日が給料日だったからな」
「え、だって金欠だって……」
「買いに行けてなかっただけだ」
卑怯な人だ。
律儀に私だけが守る形にならなくて良かったと思う。
「へえ、藤子先生ってお酒を飲むんだ」
「まあな、別に教師だからって禁止にされているわけではないからな」
「あと家では柔らかい感じがして私は好きだな」
「お世辞はよせ、日高のような人気者に言われると私でも凹むぞ」
「いやいや、だって藤子先生って人気者だからね、みんなは変な遠慮をしちゃっているみたいだけど」
「いや、あからさまに避けられているぞ? みんなが日高のような人間だったらいいんだがな」
なんだろう、もっと好かれてほしいんだけど好かれてほしくないこの気持ちは。
多分あれかも、みんなに好かれるとこういう機会が増えて相手をしてもらえなくなっちゃうからかな、いまだって私はおまけみたいな存在だし。
というか私、もうちょっとくらいは約束を守ろうとしたんだけどなあ。
「先生、藤子ちゃんって呼んでいい?」
「それは駄目だな」
「どうして?」
「とにかく駄目だ、喋り方はそのままでいい」
「ちぇ、残念」
陽者って凄い。
最初の頃の私はここまで積極的に動くことができなかった。
そもそも私がここに入り浸るようになったのはなんでだっけかと思い出していると、ちょっと顔が赤くなった藤子ちゃんに頬を掴まれ強制中断。
「変な顔をするな」
「いふぁいふぁい」
「どうした、今日はやけに口数が少ないぞ」
「あくまでメインは日高さんだもの、そこででしゃばっていたら空気の読めない嫌な人間でしょう?」
「だからその喋り方はやめろ」
ちょっと大人びた感じで好きなんだ、この喋り方は。
まあ、元お母さんの話し方を真似ているだけなんだけど。
急に帰ってこなくなったと聞いたときはびっくりした。
だって修学旅行から帰ってきた日だったから。
私が旅行に出かける日に「楽しんできなさい」なんて言ってくれたのに、一番楽しさを求め出ていったのはお母さんだった、なんてね。
「変な遠慮はしなくていいよ片桐ちゃん、否、文葉ちゃん!」
「う、うん」
陽者は距離の詰め方が極端だ。
だけど自分と似たような存在だと関わるのが大変になるし、これくらい引っ張ってくれる存在が人生において重要なのかもしれない。
いまだって嫌な気持ちは一切ないし、寧ろ可愛い及び人気な子が名前で呼んでくれて嬉しいしで、どこか気持ちがふわふわしていた。
「ってあれ……? なんか頭がぼうっとする……」
「んーもしかしてお酒の匂いで酔ったの?」
「え……」
だけど今回が初めてというわけではない。
何度もジュース片手に一緒に飲んできたというのに。
「しょうがないやつだな片桐は」
「ごめん……」
「日高、ちょっと待っててくれ」
「うん」
私、いまお姫様抱っこされてる?
藤子ちゃんの温かさと力強さを感じてなんか嬉しくなった。
「ほら、寝ておけ」
「え、でも泊まりは……」
「どうせここに来たのだから変わらないだろ」
「うん……あ」
「ん? どうした?」
「行かないで……」
これは演技しているわけじゃない。
どうしてか分からないけど日高ちゃんと二人きりになってほしくなかった。
自分に優しくしてくれる人は貴重だから独占欲が出ているのかもしれない。
こっちはなにも返せているわけじゃないのにとは思いつつも、彼女の服の袖を掴むのをやめることはなかった。
「別に出かけるようなことはしない、だから安心して寝ておけ」
「……うん」
優しい微笑み。
暖かさを感じる紺碧色の瞳。
どちらかと言えば暗い色なのにどうしてこうも素敵なんだろう。
「文葉ちゃん大丈夫?」
「あ、うん……こんなことは初めてだったんだけどね」
わざわざ来てくれるなんて彼女も優しいなあ。
私にもこれくらい他人を思いやれる心があってほしい。
「もしかして、私がいたから? 慣れない人と学校外でもいるからかな?」
「ううんっ、そんなことないよっ」
「そっかっ、それなら良かった!」
あ、違うや。
藤子ちゃんからだけではなく日高ちゃんからも感じる。
みんなの優しく柔らかい笑みが好きだ。
「あれ、藤子先生どうしたの? 複雑そうな顔をしているけど」
「いや……なんでだろうな、私にも分からないんだ」
「んー藤子先生も寝たら? お酒が良くなかったんじゃない?」
「いやいい、酒には強いからな、これはそういうのじゃないんだ」
あ、ほんとだ、さっきと違って曖昧な表情を浮かべている。
どの表情であっても好きだけど、どうせなら笑っていてほしいと思う。
「ほら戻るぞ、そいつは寝かせておいてやれ」
「うん、分かった――って、いま何時?」
「二十時過ぎだな」
「うわやばっ! 門限十九時までだった」
おぅ、門限とか実際に決まっている家庭があったのか。
小中高と親しい友達がいなかったから自然に早く帰宅する組だった、だから違和感がある。
はしゃぎすぎて夜遅くに帰宅からの門限設定だろうか。
「って、それだと駐車場のときからアウトだったわけだが?」
「てへっ、送って?」
「元々そのつもりだ、女を一人で帰らせられるわけがないだろう」
そこで何故か日高ちゃんがこちらを指差す。
「だけどさ、いくら仲良くても泊まらせるのは良くないと思うよ」
「そうだよな、私は教師で片桐は生徒だからな、同性でも良くないよな」
やっぱりそうだよねえ、というのが私の感想だ。
いくら同性だろうと特定の生徒を贔屓してはいけない。
「ただなんだ、こいつのお父さんは帰りが遅くてな、寂しいって言われたら気にかけてやらなきゃと思ってな」
「そこはあれじゃないかな、誰か他の子と仲良くするように言うべきじゃない? 例えば私っ、とか」
「そう言ったんだがな、なんか微妙そうな顔をしていたんだ、片桐が」
「えぇ!? ひ、酷いよ~」
うわっ!? こっちに攻撃が飛んできたぞっ?
「ち、違くて! 授業中も他の子たちとお喋りしているからそういうところは苦手だなって。せっかく可愛くて人気で求められてるんだから、もうちょっと切り替えができればいいかな~なんて、うん……」
別に嫌いとかそういうのじゃない。
いまさっきだって彼女といられて嬉しかったわけだし、いいことばかりなのかもしれない。
でも、あともうちょっとが足りない。
陰者が偉そうにとか言われたらそれまでだけど。
それにあれだ、藤子ちゃんが授業をしているときは顕著になるのも微妙な点だった。
藤子ちゃんの声が聞こえづらくなるし、なんか藤子ちゃん相手だから日高ちゃんがはしゃいでいるみたいで嫌なのだ――って、結局私は独占欲が酷いらしい。
「ごめんね、うるさくて」
「ううん、授業中だけは控えめにしてくれれば明るくて好きだから」
「えへへっ、ありがと! うん、それなら気をつけるね!」
ただ嫉妬しているだけじゃんか、これじゃ。
なのに日高ちゃんはきちんと受け入れてくれて、それでも柔らかい笑みを浮かべてくれていて本当にいい子だ。
藤子ちゃんは……あれ、また複雑そうな顔……仕方ないから私も帰ろう。
「あ……」
「ん? どうしたの藤子先生」
「私、酒を飲んでしまったよな? 車、乗れないぞ……」
「「あ……」」
一応歩いて帰れなくはないけど三十分ずっとはきついな。
「じゃ、じゃあ、今日は泊まっていこうか!」
「うん、だってしょうがないもんね」
「今日だけだ、それならいいだろう?」
「うんっ、というか二人きりじゃなければ大丈夫だと思うよ」
「いや、日高が言っていたように気をつけていくよ」
うん、私のせいで彼女が首に~なんて嫌だし、私も気をつけていこう。
だからせっかくなら今日はと楽しんでおいたのだった。