幕間 ダールデンを見守る者
「お〜い、シャルル〜」
目の前で横たわる少女はいつもどおり、ゆったりとした口調で私の名前を読びます。
天上界、その一角にある雲のようにできた地面をごろごろと転がって――。
だらしがない。そう思っていた感情はとうの昔になくなりました。
これが日常なので、むしろ元気に走り回っている姿を見たら、何かあったのか心配になってしまうくらいに。
少女は転がると、私と目が合いました。しかし、その目には私は映っていないでしょう。
瞳を蒼く輝かせているのですから……。
また下の様子でも見ているのでしょうね。
まぁ、私も人のことは言えませんが……。
横たわる少女――ユリア様に仕えて数千年。無限に等しい命の代償は、果てなき退屈と言っていいくらいには、暇なものです。
「シャ〜ル〜ル〜、いないのかい」
「はいはい、ここにいますよ」
私は子供を宥めるように答えます。
「キミにお願いがあるんだよ〜」
お願い? おやつの催促、でしょうか?
「なんでしょう?」
「ダールデンのところに行って欲しいんだよ」
ダールデン? 最近やってきた神の名前です
ね。私が彼の世界をのぞいた時は、実に新米らしい生活をしていた気がします。
「何と伝えてきたらいいんでしょう?」
「あ〜、そういう意味じゃなくて、彼を見守っていて欲しいんだ」
言ってる意味がちょっとよくわかりません。こんなことは初めてです。
「私にユリア様の元から離れろと?」
「う〜ん、僕もキミがいないといろいろ面倒だからな〜。彼が遊戯で1回勝つ? それまででいいよ〜」
1層の神に何かあったんですかね? それとも先日増えた天上界の兵たちと何か関係があるのか。
「神、ダールデンに何かあったのでしょうか?」
「初めてだからね〜」
「初めて? とは」
「初日以外で世界の人口を0にした神は」
0? 遊戯による完全敗北。そのうえで誰1人として蘇生をしなかったということですか。
「なかなか残虐な神のようですね、ダールデンは」
「ううん、その逆だよ〜」
「逆、ですか?」
「彼は、どの神よりもやさし〜んだよ」
なるほど。精神が崩壊してしまうかもしれないから、見守っていて欲しいということですね。負に落ちない点はありますが……。
「創造神として、彼に肩入れしすぎじゃないでしょうか?」
「だから――キミにお願いしているんだよ」
これは断ることはできそうにないですね。
まぁ、1回勝つまでですし、遅くても1年間ほどでしょう。
「わかりました。ユリア様のその願い、承ります」
「そのユリア様ってのはいい加減止めにしない? キミだって元々は――」
「――それでは私は行ってまいります」
私はあなたに救われた身。過去のことなんかはどうでもいいのです。
「あ〜、彼がもし1度勝っても、キミがそばにいたいと思ったなら、キミの好きにしていいよ〜」
「はぁ。では」
そんなことはあるのでしょうかね。
そうして私は天上界から降り立った。
○
ずっとダールデンさんを見続けました。遠くから、見守るように。
遊戯で1度勝利する。今までの神たちならばどんなに遅くとも1年以内にはしてきたことです。
しかし……彼にその時は訪れなかった。いつまでたっても。
遊戯には参加はしていました。断ることなく……。そして開始と共に彼はこういうのです。「負けました」と。
ペナルティーによる強制デスマッチを恐れ、彼は負け続けました。貢献度がマイナスになっても、毎日、毎日。
10年、20年と経つうちに私はユリア様の元へ帰ることを諦めていたんでしょうね。
彼が作る世界を眺めることにしました。
増え続ける人口。いえ、意図的にそうなるように仕向けていたんでしょうね。
私は時々暇を持て余して、人の輪に入り、狩りや採取にも赴いてはみましたが、やはりこの体は軟弱なものでした。
ダールデンさんには、年に何回か行くところがあります。
使われていない洞窟と、その近くにある滝をを真夜中に眺めていました。
おそらくメニュー画面を見ていたのでしょう。「元の世界へ帰りたい」と嘆いて泣いたり、人の名前を呼んで泣いたりしていました。
大切な……人だったのでしょうね。
ユリア様の言っていた、どの神より優しい神。その意味がなんとなく分かった気がします。
何百年か過ぎた後、ダールデンさんは面白そうなことを始めました。
ボール遊びや盤上の遊び。なかなか興味深いです。
できたらあの退屈ぐうたら神、ユリア様に……おっと、私としたことが、失言でしたね。
創造神ユリア様にもあのような遊びを教えたいと考えました。
ですがユリア様は体を使うのが苦手ですからね……。
子供相手に糸遊びを教えているのを見たときは、これしかない。と思いました。
そうして私はダールデンさんに声をかけることにしたのです。
「何をしているんですか」
私がそう尋ねると、ダールデンさんは喜んで色々教えてくださいましたね。
次第に話をする回数も日々増えていきました。
私はユリア様のご要望通り、彼を見守っていたかった。長い月日は、それをより近くへと、誘っていきます。
ダールデンさんも、元々はだらしのない方なのでしょう。長年1人で暮らしていても、色々と行き届いてないことがありましたし。
そうして程なくして、ダールデンさんとは結婚することになりました。
利害の一致。上辺だけの結婚。
ただ、結婚してから数百年たった今、本当の私の気持ちがどこにあるのかは自分でもよくわかりません。
ユリア様の元に帰りたい気持ちも、もうしばらくはこのままでもいいと思う気持ちも、どちらも持ち合わせています。
答えが出ないのなら、もうしばらくはこのまま彼を見守ることにしましょう。
彼が立ち上がるその日まで――。




