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◆3の2◆

 ◆神聖歴千五百二十六年 五ノ月 第四日 北方辺境領 ルーヴェ街道◆



 あの時、魔侯国の軍勢は旧諸侯領を蹂躙しリーイン川を渡ろうとしていた。そもそもこの『旧諸侯領』に今『旧』という一文字が付くのだって、奴らがそこの支配権を握っていた『諸侯』たちを、虱潰しに殲滅してくれたせいなのだ。


 そのままであれば遅かれ早かれ魔侯軍はリーインを渡河し、ウランク平野に進入しただろう。それを一時的にでも足止めしたのはエルス・ヨージフ・ド・モンタギュー将軍率いる『暁の軍団』であった。


 けれども十分ではなかった。大身の貴族たちはそれぞれの利害にしか関心が無く、魔侯国の三つの軍の打撃力に対抗するために必要なまとまりを欠いていたのである。


 起死回生の一手としてヨージフが王家に進言したのは、少数精鋭の敵中突破によって魔侯軍の本陣を突き、魔王ワズドフの首級を挙げるという無謀な賭けであった。


 結果としてヴーランク王家はこの賭けに勝ち、混乱に陥った魔侯国軍が潰走を恐れて撤退した結果、正に『総取り』としか言いようのないほどの成果を手に入れた。



 騎馬の民の系譜を受け継ぎ、独立独歩の気風を誇示していた『旧』諸侯たちは、それまでに第二次フンギリィ戦役で根絶やしにされており、彼らの割拠していたかの平原は完全に王家の物となった。


 フンギリィ平原の南側、緑海から中つ海の『海の回廊をつなぐ真珠』と呼ばれたコーンエ、サヴォ、タンディヴォリ、ツロイア、アテ、カプスト等の港湾都市連合も、時を置かずヴーランク王に臣従することになった。


 ワズドフの死により遠征軍が統制を失い撤退したとはいえ、緑海対岸には小魔王ワズイールの支配するウンマヌエル侯国と、同じく小魔王ハジーブの治めるジュルダン侯国が健在だ。これらの魔侯国軍による再来寇の可能性を否定できない限り、彼らには他の選択肢は無かった。



 そして港湾都市連合の東側には、今回の勲功に対し『暁の瞳』のリーダーである勇者ロークスに『恩賞』として与えられたエンブリオ東方辺境伯領がある。『海の回廊』の東端であるミズリル、シモア、デルの三港を含むとはいえ、そのほとんどは未開の原生林が広がる夜の森(ナッハ・ヴァル)であった。馬匹や使役する魔獣を伴うような大軍が通行可能なのは、海沿いの道だけなのである。


 夜の森(ナッハ・ヴァル)は、サザンヌ山脈を背骨とするようにして、そのまま北方辺境地まで続いて横たわり、古来から人の行き来を阻んでいた。魔侯国軍がミクラガルドの地峡を渡り、ナルコムス平原の南端沿って王国へ侵攻した経路を再び辿ろうとすれば、その征く手を塞ぐのはロークスということになる。


 「まあ、それだけではないな。ロークスに与えられた東方辺境伯という爵位は、あいつを新たに広がった王国の東の端へ追い遣り、ネフと同じように、国の中心である王都から遠ざけるためのものさ」



 二つの長櫃チェストを受け取る前の日、ネネムから聞かされた言葉を、鞍の上で俺は反芻していた。ネフのナハティス僧院群大僧院長という地位も、体良く彼女を北の辺境へ追い遣る口実だったわけだ。



「この国を支配している人間たちには、危機感など無いよ。兵士たちが泥に塗れ、血を流し、死んでいった時に、奴らは何をしていた? 戦場から遠く離れた城の暖炉の前で、安楽に寝呆けていただけだ。そして魔侯国の軍勢が一度退いた途端、今度は欲に塗れた利権争いだ。王家も同罪、いや一番罪深いと言えるな。兵士を死地に駆り立てたのは王家だが、それに報いるつもりなど無かろう」


「だから師匠は王家からの褒賞を受けなかったんですかい?」


「『野の獲物が狩りつくされたら、後は猟犬が殺され料理される』と言うからな!」


「俺は貰いましたぜ。ありがたくね」


「士爵の身分と年金八百エキュか! はした金だな! 旧諸侯領と都市連合領を得たことで、王家の版図は二倍以上に増えたんだぞ! ポルスパインと連合する前から考えたら四倍だ」


「俺は、元は貧民窟の浮浪児でございますぜ……それが今は」


「ノア・グスコブドリ士爵様か! たいしたもんだ!」


「お貴族様方からは、とんだ道化者あつかいですよ」


「まあ、ワズドフの天幕に『暁の瞳』が突入した時、お前もいたと聖女に言われてはな」


 女の身にもかかわらずその場に立ち会ったネフが声高に主張してくれなければ、それだって無かったことにされたに違いない。お偉い方々にとって、俺のようなドブネズミ同然の男が、そんな華々しい場面に名を残すのは、実に不愉快な事だったろう。


「何にも無しとは、さすがにいかなかったんでしょう。師匠もせめて、報奨金だけでももらっておきゃあよかったんですよ。絶対、あいつらに目を付けられてますぜ」


 今思えば、ネネムの行方不明事件がその所為せいだったとしてもおかしくは無い。だが、あの師匠がそう簡単に裏をかかれるだろうか? だが、こうも早く俺に追っ手がかかって来たことを考えると、謀略には『いともやんごとなき身分』の誰かが関わっているに違いない。


「ロークスは先ず聖騎士団団長になった後に東方辺境伯、郷士の次男としてはあり得ないほどの大出世か。暁の軍団ではヨージフ将軍はロークスの後釜の聖騎士団長。副将のダンは子爵に陞爵。騎兵隊長のトマスと歩兵隊長のモンは両方とも男爵だ。工兵部隊長ソートンと輜重部隊長ネルコは士爵位と年金八千エキュ。他の兵士で手柄を立てた者は特別一時金。そんなもんか?」

 しかめっ面で、指を折りながらネネムがそう言った。


「みんな、喜んでましたよ」


「貰えるものは貰っとけってだけのことさ。……それに、サティヴァイスには何も無かったろう」


「あー、サティね。あいつは……その」


「庶子だからな。下手に爵位を与えると、カイエント侯爵家が困ることになる」


「じゃあ『聖騎士』ってのはどうなんですかい? サティは今や『聖騎士の中の聖騎士』ってことになってますよ」


「そんなのは眼中に無かろう。ヴーランク家は武張った世渡りを嫌うからな。表向きあまり血を流さずに済ませてきたからこそ、あれだけ大きくなったのだ」




 そもそもヴーランクの王家の歴史は幾人かの例外を除き、尚武の気風とは縁遠いものだとネネムは言う。

 ヴーランク家はリーイン川上流域を発祥地とし、伝統的に策謀と婚姻外交によってその版図を広げてきた。


 十五年前、現国王ジョルジュ・リスト・ルイジ・ピウス・ドン・ヴーランジェは、最初の妻を亡くした後、二度目の結婚でボルスパイン王国の王位継承者マリア・テレシア・ルミナス・ドナ・ポルスパインとの婚姻契約を結ぶことにより、ヴーランク王国及びボルスパイン王国の共同統治者となり、統治する領土の面積をおよそ二倍にした。


 その半世紀ほど前には、先々代の王がエンランド島とアンランド島からなる連合王国の支配者との婚姻で、その二島についての統治権を獲得している。ちなみにこれが、現在の王太子ピウス・マルキス・アマデウス・ドン・ヴーランジェが持つエンランド公爵領だそうだ。


 で、このマルコ王太子だけでなくその妻のルシア王太子妃も、ルミナ王妃より歳上だ。いや、第二王子のマシウスや第二王子妃のエレノアだってそうだ。


 マルコやマシウスは王の最初の妻の子であり、ルミナ王妃が産んだのは、第三王子のカロル・ジョルジュ・チェザレ・ドン・ヴーランジェと第一王女のセシリア・マリア・テレス・ドナ・ヴーランジェだ。


 それで、このカロって第三王子は、ヴーランク王国の王位継承権は長兄マルコと次兄マシウスに次いで第三位だが、ボルスパイン王国については第一継承権を持っている。ボルスパインの第二継承者はセシル王女だという。


 正直なところネネムの話を聞いても、権力者たちの考えや内情は、俺にはよくわからなかった。ただヴーランク王家やその周辺の高位貴族たちが、戦争を苦手としていることだけは確かだ。少なくともここ半世紀ばかりの間、この国で大きな戦いは無かったのだから。


 無論、小競り合いとか小さな反乱とかはあったが、そこは王家や大貴族の圧倒的な兵力で押し潰して来たのである。財力にまかせて武装を揃えた兵士、魔力により身体を強化した騎士たち、お抱え魔導士のふるう魔導の技などに対して、農具や古ぼけた武器しか持たない反徒や野盗の群れの抵抗は蟷螂の斧に過ぎなかった。


 だが今、そのような『高位貴族たちにとって都合の良い平和』は、自分たちと同等以上の武力を持つ魔侯国という存在によって砂上の楼閣と化している。


 魔侯国の騎兵や魔獣を従える魔王の眷属たちは身体強化や魔導の技を王国の戦士たちと同等に使い、その他に『獣化』という切り札まで持っていた。


 俺たちは本当に崖っぷちまで追い詰められていたのだ。戦場で奴らと相まみえた者はそれを疑ったりはしない。


 だが、そこにいなかった権力者たちは、この不都合な真実を受け入れはしなかった。さらに、戦って奴らの侵攻をくい止めた人間たちを、自分たちの私利私欲のため、不遇の中に追い込もうとしているのだ。



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