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◆11の3◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二十五日 アルシャーン公爵領 ゼド運河◆


 ケルノの船泊まり(ポー)はかなり大きな溜め池(リゼファ)で、周囲は石工が成形した石材により護岸されている。運河が再開して間もないと言うのに、そこには多くの川船が(もや)われていた。


 聞けば当たり前のことで、前回の決壊で水位が下がり足止めされた運河船の内、大型でまだ安全に通行することが難しいものが、更に水位が上がるのを待っているのである。


 まあ大型と言っても、運河の幅が狭くなっている部分があるため、どの船も幅は十フート余に限られていた。その代わり大型の運河船はやたらと細長く船幅の十倍以上もある。


 まだここで足止めされているのは、水位が不足していると運河には、この長い船が通り抜けられない箇所があるからだった。


 さてケルノ村は旧街道の分岐点でもあることから、周辺の農地から日にちを掛けて荷を運んでくる人間も多い。それらの地域の産物を、ここから川船に載せ出荷するためである。また四日に一度は、ここで(マルシェ)が開かれるという理由もあった。


 ただ旧帝国時代にはあった石壁(ウィルドピェ)は、歴史時代の戦役によって破壊されており、いくつかの建物の一部として、その名残を見せているだけである。


 今では城壁(ウィル)に囲まれていないので町とは言えない。だがケルノは栄えている大きな集落で、いずれも小さくない三軒の宿があっり、我々はその内の一番良いと言われる宿に泊まっていた商人たちを追い出し、王子たち一行の部屋を確保した。


 まあ部屋を譲るのは、身分から考えれば当たり前のことである。大型でない川船なら既に動き出しているのだから、商人なら商人らしくさっさと腰を上げて次の場所に移動し、商売にいそしめば良いだけのことなのだ。ギィだって聞かれれば、きっとそう言うだろう。


 夕食は田舎料理であるにしろ新鮮な材料を用いて作られており、不味くはなかった。俺が北方の辺境地で旅した際に街道宿で出された、何日も材料を注ぎ足して煮込み続けたごった煮(ソップ)などとは、大違いである。


 この運河を日頃利用する人間の中には、裕福な商人や高位貴族もいて、そういう宿泊客の要求にも応えなければならないのだ。当然と言えば当然の事である。


 それでも伯爵夫人は不満顔だった。しかし事前に知らされていなかったのだし、ここでオレルアの城で出されたと同じレベルの料理を期待すること自体、無理と言うものだ。


 テーブルには、卵料理や詰め物をした家禽のロースト、白い麺麭(パン・ドゥミ)とバター、最後にチーズと野苺の煮込み(コンフィチュ)出される。


 ワインはラモレ渓谷のどこか(ドメーヌ)で生産され、樽で運ばれてきた物だろう。子どもたちには水で薄められて提供されたが、大人ぶりたいカロ殿下は、ご不満そうだ。これは生水を飲んで腹下しなどしないためで、酔うためではないのだから仕方ないことである。


 いくら濁っていない水でも、そのまま飲んでは病気の元なのだ。腹を壊す病を避けるため、生水は一度煮立つまで加熱するか、ワインで割るべきである。それは川水でも井戸水でも同じだ。これは、聖教会の教えである。


 戦の最中であろうと、この教えを無視するのは大馬鹿者だ。戦場で敵の刃によって殺された者の数より、腹を下して体力を失い命を失った者の数の方が実は多いのだから。


 とは言うものの、実際には水溜まりの泥水を(すす)って、生き延びることになるのが、兵士の逃れられない宿命でもある。俺は「そこを乗り越えられない人間は、皆死んでしまいました」と話し、王子は不平を鳴らすのを止めた。


騎士(シニョール)ノアの話は、いつもためになるな」


 チェリス婆さんが、明らかに皮肉混じりと分かる口調で、そう評した。


「私の師匠と、リオスという錬金術師から得た知識です。水七か八に対しワイン一を混ぜることで、生水の中にいる病の元となる生き物を、殺すことができるのだそうです。その生き物は、目に見えないぐらい微細なので、水に混じっていても見つけられないと言います」


「ほほう。しかし見えないのに、どうしてそれが真実だと分かるのかな?」と、チェリス婆さん。


「そこまでは……しかし、その生き物は、水を煮立たせることでも死ぬそうです」


「でも、一度煮立った水は美味くないですよ」


 伯爵夫人(ローズ)が会話に参加した。


「ですから、僧会はハーブ茶を奨めています」


「あれは不味いから、嫌い」と、セシル王女が顔をしかめる。


「王女様、いろいろな味のハーブがございます。解毒効果のあるものも、多いのです」


 諭すように言う女伯爵に、王女がイヤイヤをする。


「だって、変な香りのするものばかりなんだもの」


「とても甘くて、喉の腫れや咳を鎮めるお茶もあるのですがね」


「甘いの?」


 俺の言葉に、王女が興味を示す。


「ええ、でも、飲み過ぎると子どもには良くありません。飲み過ぎると具合が悪くなるのに、甘いので子どもは沢山飲みたがります」


「我慢のできない子どもには、毒になると言う訳だな」とチェリス。


「まあっ!」


 俺に向けた言葉だったのだが、揶揄(やゆ)されたと思ったのだろう。王女がぷっと頬を膨らませる。


「薬は毒にもなるし、毒も薬として利用できると言うことです。(まつりごと)も同じでございますよ」


 俺がそう言うと、王子が頷く。伯爵夫人は固い表情だ。俺が帝王学(エチュ・ドンペラ)などに言及するのは僭越だと考えているのかもしれない。だが俺は彼に、生き残るための術を教えると約束したのだ。


 それにこれからカロ殿下に魔導の手解きをするには、どうしたって霊薬(ソーマ)の力を借りねばならない。今、俺が伯爵夫人の前で王子に伝えた言葉は、その意味での布石でもある。


 そう言えば、オレルア最初の夜あの二人の侍女が、香草茶を毒味するのを嫌がったことを思い出す。あれは聖者の弟切草(エレクツム)洗霊草(ラヴェンドラ)聖母草(カマイメロン)だった。


 僧会の運営する治療院ばかりでなく、町場の薬師でも、安眠を促すため普通に処方する薬草である。一種の家庭薬で、多分あの侍女たちも実家にいた時に、何度かは飲まされたことがあるはずだ。


 ただ甘草などとは異なり、口当たりが良いとは言えないせいで、子どもたちには人気がない。あの二人の侍女たちは家の年寄り辺りに、ああいう香草茶の類を飲むよう強いられた経験が、あったのかもしれなかった。


「シーバ家では郎党に、微量の毒を与えます」


 唐突にシーバ女伯爵が、そんな話を始めた。晩餐時の話題として相応(ふさわ)しいとは思えないが、何か理由があるのだろう。


「毒に対する耐性を付け、また毒を盛られた感覚を記憶するためなのです」


 言っている意味は分かるが、セシル王女の前でそれを言うのは、どうかと思う。王女はまだ幼く、聞いたことを人前で口走らないとも限らない。俺なら子どもを、そこまで信用することはできない。


「王族の暗部として聞いたことがあります。しかし、(むご)いことでございますね。その毒を用意した者は、王家からよほどの信用を得ていたに違いありませんが……」


 遠回しに口にした伯爵夫人(ローズ)の言葉は、「シーバ家(おまえたち)は、それほど信用されていないぞ」という、毒のある嫌みである。無論それは、神輿であるルミナ王妃と、それを担ぐポルスパイン閥の間に、カロ王子とセシル王女を伝手として入り込もうとする女伯爵(チェリス)への、牽制でもあった。


「シーバ家は毒を使って人を殺し過ぎたと、伯爵夫人は言われるのでしょう。そうではありませんか?」


 自嘲混じりの口調で、チェリスが言い返す。確かに王家としても、“毒使い”に自らの子女の命を預けるのは、躊躇(ためら)われることだろう。また腹心にそのような者を置けば、臣下が疑心暗鬼に囚われることになりかねない。


「魔導師も神官僧も魔導力(マナ)を使うため、錬金薬(アルケミア)の処方に助けを借ります。ただ使い方を誤れば、それは毒にもなると、学ばなければなりません」


 ここで露骨に対立されるのは迷惑だ。俺が割って入り、取り成すようにそう言うと、伯爵夫人(ローズ)は視線を落とし、しばらくしてから口を開く。


「誤れば、石になってしまう……そうですね」


 この女は、魔導を忌諱(きい)している、いや怖れている。だが、権力に魔導は付き物だ。平民ででもあれば、一生眼を逸らして生きていくことができるかもしれないが……。


 この女が心に何を抱えているのかは知らないが、ここで有耶無耶(うやむや)のまま放置するのは拙かろう。


「いいえ、処方や加行(カリタ)は、生きるためのものでございますよ。むしろ魔導力(マナ)に溺れ、押し流されることから、人を救うものです」


「そうなのか?」


 カロ王子が、興味深そうに尋ねた。良い機会だから、少し話しておくことにする。


「真の魔導の力は、人智をはるかに超えております。それは本来、(いにしえ)の神々の技であり、人の手には余るものなのです」


「古の神々?」と、王子は首を傾げる。


「“エイボンの書”によれば、地底世界ン・カァイに棲むザドグィまたはツァソグゥアと呼ばれる神が、人類に魔導の知識を与えたと言います」


「ザドグィとは?」


 王子が更に聞きたがるが、質問は後にして貰おう。


「ダゴンの神殿に仕えた年若き神官が、神々の夢を盗み取ったという逸話も、伝わっております」


「アシトドのムソン・ルトンの話なら、前に師匠(ブドリ)から聞いた」と、王子。


「良く憶えておられました。それとは別に、幻夢世界の地下を支配する神ノデンスが、夢を通じて、魔導の技を人の子に伝えたという伝説もございます」


「いったい、どれが正しいのだ?」


 眉を上げて聞く王子。うん、俺もこの話を聞いた時は混乱したよ。


「私の師匠であるネネムによれば、どれも真実なのだろうと」


「どういうことだ?」


「魔導の技は、様々な時代に様々な神々から人が得た、あるいは盗み取ったものと思われます。その根拠は、魔導が人から人へと夢を通じて伝えられるにも関わらず、いくつもの流儀に別れていることです。神聖教会の奉じる神聖術でさえ、大きく三つに別れていることを、ご存じでしょう」


「メルクリウス、ヴァナディス、アルラトゥの、僧団のことですか?」


 伯爵夫人(ローズ)が、目を見開いてそう言う。貴族なら、あいつら三つの僧団の仲が、必ずしも良くないことを知っているだろう。


「はい。師匠(ネネム)は、ノデンスというのはアルラトゥの神格とする知識と書記の神ネボ又は霧の神ムンムのことではないかと……。そしてメルクリウスでは地底湖の神アブズゥが、ダゴン神に対応するはずだと、言っておりました」


「それは、推測に過ぎないのだろう?」と、女伯爵(チェリス)


「遙か昔、旧支配者たちがオールト雲(てんくうのかすみ)の彼方へ去った後、残されたのは神々を(かた)る分霊たちでした。その分霊たちでさえ、我々人間に取っては、神々と呼ぶしかない超越者であったのです。魔導術の伝承は、その神々(ぶんれい)たちがこの星を支配しようと互いに争い、人類を使役していた時代のことです。長い歳月の果てに、魔導の夢を通して受け継がれてきた記憶の多くが、薄れ消えかかっていても仕方ありません」


「実は、シーバ家には、そういう昔の伝承は、あまり伝わってはいないのだ。もっぱら家の技である風の属性を、いかに戦闘に生かすかを研鑽(けんさん)し続けて来たものでな」


 躊躇いがちに女伯爵(チェリス)が、そう認めた。


 ここで正面切って指摘するのは(はばか)られるが、シーバ家の持つ魔導力自体の強さは、王家の魔導師団内に占める第二位という階位に相応しいとは、とても言えない。同じ風属性でも、第四席である“暴風のペリィ”ことペリィ・シーダル・ド・ポワレの方が、力そのものは大きいというのが、俺に漏らしたネネムの評価だった。


 そのシーバ家が伯爵位を得ているのは、歴代の当主が血統の持つ特性を生かし、武勲の実績を上げてきたからである。ペリィの“暴風”は、威力こそ大きいが使い所が難しく、下手をすると味方まで巻き込んでしまう。それに較べシーバ家は、巧みに操った風で敵陣に毒を送り込み、時には千を超える軍勢を無力化して見せた。


 シーバ家は悪評を被ることを承知の上で、風と毒を利用することに特化し、三代に渡り武功を上げ続けたのである。その結果現在では、魔導師団の第二席として、王家から伯爵位を賜るに至っていた。だがその代償として、犠牲にしたものも多かったに違いない。


 現当主であるチェリス・ブランディ・ドナ・シーパ、この女伯爵は、それをどう考えているのだろうか?


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