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◆11の1◆

◆11の1◆


◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二十五日 アルシャーン公爵領 ゼド運河◆


 あの事件は表向き、オレルアに入り込んだ野盗を捕縛しようとした騎士団員が、手柄を焦って返り討ちにあい、無残にも殺された……ということになっている。


 犠牲になったのは、五人の騎士・盾持ちと三人の従者に、普段から彼らとつるんでいた下人が五人、残りの二人は街の与太者という話だ。騎士と従者も、日頃からあまり評判の良くない連中だったらしく、個人的にはほとんど同情を買わなかったという。


 しかしこの騒ぎで、騎士団としての面子は丸潰れだ。俺の顔見知りの従僕が、騎士や従者の中に、俺が関わっていると噂する者がいると教えてくれた。ただし、正面切って口にする人間はいない。


 そんなことを言えば、俺を襲撃しようとした企みを、事前に知っていたと白状しなければならないからだ。それに、十五人もの人間を一人で片付けた男に敵対することも、躊躇(ためら)われたに違いない。何にせよ間もなく、俺はオレルアから居なくなるはずなのだから。


 俺に後悔はない。敵対して、俺を殺しにかかった男たちを、返り討ちにした。それだけのことである。この殺伐とした世では、珍しいことではない。


 殺した後に金品を奪ったことも、俺たちが戦役の間中ずっと続けていたことだ。そうでもしなければ戦いを続けることなどできず、干上がって朽ち果てていたろう。後腐れがないように立ち回ることさえ忘れなければ、間違ったこととは思わない。


 そもそも今、王族だの貴族だのとふんぞり返っている連中の祖先だって、かつては同じことをしていたはずである。でなければ現在あの所領を持ち、富を蓄えているはずがないのだ。


 伝統的に「血を流さない」と讃えられているヴーランジェ家でさえ、その家訓の対象は王侯貴族限定であり、庶民の命がいくら挽き潰されようと、気に留めることなどあり得ない。


 まあこれはネネムの受け売りで、彼の話を聞くまで俺は特に気を留めることもなく、それが当たり前だと思っていた。一部の学のある人間を除き、世の人のほとんどは、同じ考えだと思う。


 ピンドゥス山地とサザンヌ山脈の間にあるフンギィリ平原には、少し前まで追い剥ぎ男爵だの強盗騎士だのという二つ名を持つ領主たちが、居を構えていた。


 彼らはそこで、東西を繋ぐロマ街道や河川交通の要衝に城砦(じょうさい)を設け、自分の縄張りを通る交易商人などから税と称して財物を奪っていた。また度々言いがかりをつけ、身代金を要求する営利誘拐や、他家へ侵入しての略奪をおこなっていた。


 魔侯国軍があの地に侵攻した時、ヴーランクや都市連合の人々が直ぐには彼らに支援の手を差し伸べなかったのも、フンギィリに割拠していた諸侯の中に、これら評判の悪い領主たちが大勢含まれていたという理由があったことは、否定できない。


 そのまま魔侯国軍がヴーランク王国に攻め入っていたら、これはとんでもない愚策ということになっただろう。現にロークスの一族が先祖代々守っていた荘園を含むピンドゥス山脈とアルペント山脈に挟まれる辺りや、パシリーとテルミナスの間の旧国境地域は、実際に魔侯国軍先兵により、徹底的な略奪を受けていたのである。


 だが怠惰と無策によるとしか思えないこの消極的な戦略(?)も、“暁”の奇襲により魔王ワズドフが倒され、魔侯国軍の崩壊と敗走が起こると、奇跡の大逆転という以上の成果をもたらすことになる。


 フンギリィ平原に群雄割拠していた諸侯たちは魔侯国軍により殲滅されており、その空白地帯を埋めたのは、魔侯国軍に怯え、戦うことなくリーイン河の西岸で守りを固めていた(?)ヴーランク王国軍であった。


 ヴーランク王家と配下の諸侯の軍勢は一兵も損じることなく、名目上は“魔侯国軍からの解放軍”としてこの地に入り、無主となったフンギリィの土地の領有を宣言した。これに異議を唱える者も、抵抗する勢力も、そこには残っていなかったのだから、まさに濡れ手に粟と言うべきだったろう。


 また魔侯国軍に降伏し、財物を献納することで身を守った海沿いの都市連合国家も、否応なしにヴーランクの庇護下・支配下に入ることになり、税を納めることとなった。


 結局この世は、口では何と言おうと“勝った者が正義”である。ただ魔侯国軍の末路を見れば、勝敗は何時ひっくり返るかも分からない。(いや、中っ海と緑海の向こう側には二人の小魔王が支配する藩国が健在で、どちらかがあの地を統合して、再び攻めて来ることもあり得るのだが)だから、賢く抜け目なく、立ち回ることを忘れてはならないのではある。




 秋の初めの雨がラモネとシェラネンの山地に降り、ゼーナ河とラモレ河の水嵩が増していた。その流水を引き込んでいる運河の水深も深まり、大型の川船の航行が可能になっている。


 ただ今回エドナンから提供された、全長三十五フート・幅七フートの平底船では、馬車を載せて運ぶのは難しかった。


 曳舟道(トゥパス)を十頭の騾馬(らば)が進み、長いロープで繋がれた曳舟を牽引する。今朝は小雨交じりの曇天だったが、今は晴れ間が見えていた。間もなく山麓では落葉樹が色付き、平地でも少しづつ涼しくなってくるだろう。


 この運河は、数箇所に設けられた閘門(こうもん)で区切られていた。それぞれの閘門には、水門と付属の貯水池がある。かなり大掛かりな施設で、貯水池は、閘室(こうしつ)の水位を変えるために、水量を供給するためのものだ。


 少し説明を付け加えると、閘室(こうしつ)というのは、水路の一部の前後を仕切った設備である。水路では、水位の低い側から入った船の背後で水門を閉じ、貯水池から水を流し込む。


 これにより閘室内の水位を上げ、閘室内の水位が高い側と一致したら、前方の水門を開け、前へ進むことができる。


 この閘門扉や給排水装置の仕組みは、大きな水圧に耐えねばならない。また水位調整のための貯水池も、緩やかながら起伏を越えなければならないゼド運河では、不可欠なものなのである。


 その建造や運用には、見掛け以上に高度な技術力、更にその事業を支えるだけの財力が必要だ。平和ボケして、散漫になっているように見えるヴーランク王国だが、国内各地の産物を運び人の往来を便利にする、このような運河の開削を成し遂げるだけの力を持っているという点では、侮りがたい存在なのである。




騎士(シニョール)ブドリ、そこで何を見ているのかな?」


 平底船の(とも)の方から姿を現したのは、しばらく姿を消していたシーバ女伯爵(コンデーサ・シーバ)であった。


「おや、女伯爵、あなたもこの船に乗り込んでおられたのですか? すると配下の方々も、ご一緒でしょうか?」


「いや、この狭い船に二十人以上が乗っていたら、それこそ気付かぬ方がおかしいだろう。一緒に乗っている供は三名だけで、残りは前と後ろの別の船に分乗させている」


「ほお、すると前にいるあれと、後ろを追ってくるあれですか?」


 王子と王女のために用意されたこの船は、かなり贅沢な造りで新しく、明るい色で美麗に塗装されている。それに較べて前後の船は、長い引き綱を利用している関係上、かなり離れてはいるが、それでもそう新しくは見えなかった。この船よりも、かなり小さくもある。


「そうだ」


「あれでは随分窮屈でしょう」


「荷船ではないからな。人を乗せるだけなら、あれで十分だ」


 均等に分けているなら十人前後が、ぞれぞれの船に乗って四泊五日の船旅を過ごすわけだ。郎党を連れ歩く貴族も大変だが、主人の都合で引き回される家来衆もなあ。この前の襲撃騒ぎのようなことがあれば別だが、多分普段は退屈だ。俺には奉公なんか、勤まらないな。


「また襲ってくる者が、いるとお考えですか?」


「オレルア騎士団の巡視で、怪しい者は排除されていると思ったが、この前のようなことが、あってはな……」


「野盗の仲間が忍び込んでいた件ですか」


「騎士団員が返り討ちにあうとしたら、相手は相当手強いことになる」


「では相手は?」


「どう考えても、ただの野盗ではないだろう」


 まあ、普通そういう結論になるよな。もっともシーバ女伯爵だって、一筋縄ではいかない貴族様だ。俺にこう言うこと自体、探りを入れているのかもしれない。


「それらしい情報が?」


「いや、エドナンテス殿も、何も言っておられなかった」


 そう言えばエドナンは都市伯だから、建前上は女伯爵と同格だ。もっとも公爵家継嗣ということを考慮すれば、「エドナンテス殿」とシーバ女伯が呼ぶのは、どうなんだろう?


「チェリス様は、エドナンテス様と親しかったのですか?」


「もう十年近く前にもなるだろうか。彼の初陣の後見を、公爵にたのまれてな」


「なるほど」


 初陣という一時のこととはいえ、“毒霧の魔女”に息子の後見をゆだねるとは、アルシャーン公爵も変わっている。王族ではあるが傍系で、勝手をしても咎められないという自信なのだろうか?


「何、相手は人数ばかりは多かったが野盗の群で、我が家にとっては数年おきの行事のようなものだ」


 十年前か、その時何があったのだろう?


「気になるのか? ああ、間違えるな。シーバ家としても、何時でも毒を使うわけではないのだぞ。だが野盗の掃討は、当家に割り当てられた、汚れ仕事のようなものだからな」


 そこに息子を送り込んだ父親としての公爵も、大したものだと思う。エドナンにとっては良い経験だったろう。ただ、本当の戦いではなかったというだけのことだ。


 話している間にも、騾馬たちに曳かれた川船は、ゆっくりと運河を進んでいった。


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