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(お断り) 今回は残虐な殺戮シーンの描写を含みますので、苦手な方は読まずにスキップする方がよいかもしれません。感想等については、活動報告に書きました通り、お待ちしております。 2021.12.10. 野乃
◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二十一日 アルシャーン公爵領 オレルア◆
普段であればラモレ河とゼーナ河の両水系から得られる水量で、十分な水嵩を確保できているはずのゼド運河だが、今はまだ曳舟をやっと浮かべるだけしかない。
それでも急ぎの旅程を抱えながら足止めされていた者は少なくなく、喫水の浅い小舟にこぼれそうに荷と人を積んで、船溜まりを離れていく姿が見られた。
俺は、エドナンの「もう数日待つべきでしょう」という言葉を確かめて欲しいという伯爵夫人の頼みで、船着場に近い堰堤までやって来ている。時刻はもう八の刻だが、季節柄空はまだ明るく、水脈を吹き抜ける風が快い。
振り返って河畔の路を引き返そうと歩き出す。少し先でラモレ河から水を引き込んでいる水門が設けられていて、土手沿いに迂回し、石橋を渡らねばならない。
道沿いに植えられた高いポプラの樹が樹頭で風に揺すられ、ザザッっと葉音を立てる。青い空を見上げると、高空の雲が早く流れていた。これは、明日は雨に降られるのか。
歩みを止める。どうやったのか、路の前後には人の姿が無い。
「まだ足元は明るいのに、待ち伏せとは酔狂なものだな!」
声を掛けると、水門の管理小屋と思われる石造りの建物の陰から、ゾロゾロと大柄な男たちが姿を現した。ふむ、騎士団の訓練場で見かけた覚えのある顔が混じっている。
「オレルアの騎士ともあろう者が、徒党を組んで何を始めるつもりかな?」
「ふん。知れた事よ。コソコソと立ち回って逃げ隠れしていた鼠を、ついに捕まえたということさ」
「自分たちのしていることを承知の上の言葉なんだろうな? まかり間違えば、謀反と見られても仕方ないのだぞ」
どう考えても、騎士団長の命に従った行為とは思われない。先々を考えるエドナンが、こんな面倒を許容するはずもなかった。
「運河の通行が再開すれば、逃げ切れると思ったか? 残念だったな。俺たちの面子を潰して、そのまま行かせる訳がないだろう。ああ、人の目を期待しても無駄だぞ」
リーダーらしき、髭面の男があざ笑うように言う。鎖帷子の上に紋章が描かれたサーコートを羽織り、剣帯には両手剣を吊していた。
「ほお、どうやったんだ?」
「野盗の一味が、様子見に紛れ込んだと通報した者がいるのさ。我々騎士団が「危険だ!」と言えば、この辺りに近づく者はいない」
捕物をすると言って、近辺を封鎖したのか? これは相当大掛かりな企みだ。本当に謀反かも知れない。少なくともエドナンの威令が行き渡っているなら、こんなことを仕出かすとは思えなかった。
「やれやれ、オレルア騎士団も落ちたものだな」
「何だと!」
「サムソンの仇討ちのつもりかも知れないが、規律も何もあったものじゃない。こんなことが許されると、思っているとは」
「誰がだ! 素性も怪しい下郎が急に行方をくらますのは、珍しいことではない。大方後ろ暗いことがバレそうになり、あわてて逃げ出したのだろうさ」
「つまりお前たちの所業は、騎士団長のあずかり知らぬことだと?」
「誰が知らせると言うんだ?」
そいつが見廻すと、周囲の男たちも嫌な笑い浮かべた顔で頷く。数えると十五人ばかり、必ずしも騎士身分とは見えない奴らも見える。従者か馬番か、そんなところだろう。こいつらは自分たちの人数に油断し切っている。
これだけいれば、俺が手を出すのを控えるとでも思っているのだろう。甘いな、馬鹿の集まりだ。
「逃げるなよ。この前のは試合だが、これは果たし合いだ。お前たち、まさか生きて帰れるとは思っていないだろうな」
俺がそう言うと、一瞬怯んだ者がいる。サムソンとの勝負を見ていたらしい小者だ。
「怯むな! はったりだ! 相手は一人だぞ。これだけの人数で押し包めば、直ぐに圧倒できる。それに俺たちを殺せば、コイツは終わりだ。エドナン様も、生きてオレルアから出す訳にはいかん!」
先ほどのサーコートの男が、あわてて怒鳴った。今ここで、脱落者を出す訳にはいかないからな。
「何だ、そう思って手加減を期待しているのか? お前たちの方は、俺を殺しに掛かってきているのに! 甘い! 実に甘いな! おまけに主人を蔑ろにする、不忠者だ」
「言わせておけば!」
男が両手剣を鞘から引き抜いた。直ぐには振りかぶらず、牽制するように前で振り回している。だが周囲の者はまだ抜刀せず、躊躇っていた。人数が多いが、いざという時即座に戦意を高められる程には、訓練が行き渡っていない。雑魚も混じっているようだし、実戦経験が無い烏合の衆など、こんなものだ。
俺は腰の片手剣を引き抜き、瞬歩を使って踏み込んだ。振り抜いて喉笛を切り裂き、相手の後ろへ抜ける。
男は膝丈の鎖帷子を着込んでいたが、頭部から頸部までを守る鎖頭巾や頭兜を置いてきていた。用心深いようでいて、間が抜けている。
「ケフッ、ヒュー」という息の漏れ出る音と派手に吹き出す血飛沫を背に、俺は手槍を振り上げようとした別の相手に迫る。こいつも刃先で、首の血管を掻き切った。
囲みを抜けて走り出す。数瞬後、自失していた男たちが怒号を上げ、武器を持って俺を追い始める。
数十歩走ると振り返り、一団となって追ってくる男たちの頭上に向けて、左腕を突き出した。彼らの頭上の空間が数箇所で一尺四方程めくれ上がり、そこから小さな黒い物がバラバラと降り注ぐ。
走りながらそれを振り払った男たちは、次の瞬間激痛に脚を止める。そこで転倒し、のたうち回った者は、更なる悲劇に見舞われた。彼らの周囲の地面には、鉄製の撒き菱が散乱している。
狼狽して彼らがどうしてよいか分からずにいる内に俺は駆け戻り、鉄菱が少ない道際を摺り足で抜ける。俺の狙いは、最後尾にいたほとんど無傷の数人だ。
俺が近づくと彼らは、あわてて獲物を取り直す。二人は足を気にしているので、軽傷とは言え直ぐに立ち向かっては来ないだろう。残り三人は無傷のようだ。
厄介なことに三人とも六尺棒を持っている。騎士ではなく、馬番か何かのようだ。多分数あわせのために声を掛けられ、のこのこと付いてきたのだろう。だが容赦をするつもりはない。俺は囲まれる前に側に寄り、剣を振り抜いた。
二人の首を刈り、最後の一人の胸を突くと、流石に返り血を浴びた。顔を伝う他人の血を拭って振り向く俺の顔を見た軽傷の二人が、「ヒッ!」と短く悲鳴を上げる。
騎士と思われる一人は剣を手に持っていたので、そちらから先に刃を向けた。足の裏に傷があるらしく、踏み込みが浅い攻撃を躱し、逆手にした剣で脇腹を刺す。逃げだそうとしたもう一人は、刃を水平にし、左背中に突きを押し込んだ。
これで戦闘能力が残っている者はいなくなり、残りの八人は後始末に過ぎない。這いずって悲鳴を上げ、逃れようとする者から片付けていく。誤って自分の撒いた鉄菱を踏まぬようにする方が、大変だった。
すべての男たちに止めを刺した後、革手袋をはめて、鉄菱を拾って廻る。何しろ痺れ薬が塗ってあり、量も小桶で三つほどもあるから、実に大変だった。その後死骸を引き摺って道を外れた場所まで運ぶ。当然死骸に刺さっている分も回収した。剥ぎ取ったサーコートに集めた鉄菱を包み、離れたところに隠す。
死骸から嵩張らない金目の物を探し出し、その戦利品を一人が持っていた腰袋に集める。銀貨が十数枚、指輪、耳輪、そんな物だ。それから河で顔を洗い、着衣の返り血を拭う。
誰か様子を見に来るかと待っていたのだが、誰も来ない。仲間がいるのではなかったのか? 仕方がないので日が暮れる頃、城に帰った。顔見知りの下人に声を掛け、こっそり裏口から入る。
後で探りを入れたら、俺を襲ってきた奴らは、非番であったらしい。だからいつも通り、どこかで群れて飲んだくれているのだろうと判断され、直ぐには発覚しなかった。死骸が見つかったのは、カラスの群が集まっているのを不審に思った人間が茂みに踏み込み、異臭に気付いたせいであった。
ただし報告した者より先に死骸を見つけた人間が、まだいたらしい。何故なら、武器をはじめ鎖帷子や衣類、果ては革帯や靴まで、俺が残していた物すべてが、剥ぎ取られていたからだ。屍体が見つかったのも、俺が放置した場所より、更に道から離れた樹間だった。
それで最初は、これだけ大人数の屍体だったにもか変わらず、身元を特定するのに手間取ったのだ。何しろ丸裸で、カラスや獣に食い荒らされていたからな。