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◆10の7◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二十日 アルシャーン公爵領 オレルア◆#2


 自分を守ってくれる者を(おとし)めることが、どんなに危険なことかと(たしな)める伯爵夫人だったが、セシル王女は、そんな気は無かったと否定した。


「つもりがあろうと無かろうと、結果は同じでございましょう。マルガとミカエラも考えさえすれば、当然気付いていて、姫様をお諭ししていなければならない立場だったのです。愚かな臣下など、王家には不要なばかりでなく危険でさえあります。それに、もし……」


 と、ここで伯爵夫人は意図的に言葉を止めた。王女は、不審げに次の言葉を待つ。


「……もし、二人のどちらか片方が、本当は愚かどころでは無いのだとしたら……。姫様はどうお考えになりますか?」


 わずか十歳の姫君に、答えられる問い掛けだろうか、これは? 案の定首を傾げるばかりで、セシル王女からは言葉が出てこなかった。伯爵夫人の“教育”は、かなり厳しい、いや無理があるのではないか?


「ノア殿?」と、伯爵夫人。


「そうですな、愚かでないなら、敵方への内通者という可能性もありましょう」


「内通?」と、更に混乱する王女。


「あのような襲撃の際、確実に目的を果たすため、標的となる人物の側に手引きをする誰かを送り込んでおくというのは、よくある手です」


 俺は仕方なく説明を付け加えた。


「そんな! マルガもルミエラも、アレックスの縁者でしょう。シャンボーのお城へ出立する時から付いてくれていて、母上もよくご存じです」


 避暑のため王都を出る際からであれば、半年近くにもなる。ただ王都にいたのなら、ポルスパイン派以外からの接触の機会は、あったと考えなければならない。あそこは各勢力の陰謀が渦巻く、魔窟だからな。


 なおアレックスとは、ローズの夫であるラゴ伯爵のことだ。セシル王女の母親である王妃が、私的な場では伯爵をそう呼んでいるのだろう。伯爵はかつて、ポルスパイン王家の家宰であったし、外交にも携わった。王妃の腹心で、ルイジ国王との婚姻や連合王国成立を実現させた、立役者でもある。


「時には何年も前から、相手の身辺に埋伏の毒が送り込まれることもあるのです」


 ヴーランジェとポルスパインの両王家が共同統治するヴーランク・ポルスパイン連合王国の王太子は、ルイジ国王の第一王子、ピウス・マルキス・アマデウス・ドン・ヴーランジェである。ただ、この王太子と、第二王子のルイジ・マシウス・ピエロ・ドン・ヴーランジェまでは前王妃の産んだ子であり、ポルスパイン王家の血統ではない。


 両王家の血筋を継承するのは、第三王子であるカロと第一王女のセシルだけだ。この二人が十二歳と十歳という若年でなければ、血統の正統性から、カロやセシルに連合王国の王位を継がせよという声が出てきても、おかしくはない。


 先年には一時、王太子が現王太子妃であるルシアを離縁し、セシル王女と兄妹婚することを考えているという、黒い噂が流れた。王太子を貶めようとしたマシウス(第二王子)派の捏造だったらしいが、これを聞いた王太子妃が激怒し、関わった者数名の首が(本物の首だ)飛んだという。


 事ほど左様に、王家の継承を巡る禍根は断ち難く、根深い。生き残りたければ、幼くても物を知らないでは、済まされないのである。ただ王子と王女は、母親であるルミナ王妃の元で、そんな策謀やほの暗い動きから守られて育ってきた。


「カロ様がノア士爵に師事し鍛錬していることを、単なる気散じと捉えてはなりません。あなた様方二人は、両王家の血を引く、貴種中の貴種なのでございます。けれどもそれは、お二人が無条件で崇め奉られるということではございません。王族である矜持を持って立つ気概が無ければ、政略の駒として利用され、邪魔になれば除けられるだけでございます」


「……では……私も剣を?」


「姫様は北方辺境伯令嬢のエレイン様のようになりたいのですか?」


 エレインは北方辺境伯フィリッペ・レオニダス・ルイス・ドン・ボルジックの長女だが妾腹の出で、武張ったことを好む女丈夫(じょじょうふ)であり、五人力との噂もある女騎士だ。ボルジック辺境伯の北方騎士団では百人隊長を務め、騎乗して荒野を駈け、野盗の討伐にあたっているという。


 ただし王都のやんごとないご婦人間で交わされるこの話は一種の醜聞であり、通常「……だから行かず後家なのでございましょう」と続く。まあこの国では、貴族の令嬢で三十代後半まで独り身であれば、そう言われても仕方ないと考える人間の方が多いだろう。


「エレイン様が三人の騎士と戦い、打ち倒したというのは本当でしょうか?」


 好奇心を覗かせた子どもの顔で眼を輝かせ、王女が尋ねた。


「女騎士の中には、身体強化の力で、男を凌駕する者もまれにおります」と、伯爵夫人が話の腰を折られ顔をしかめたので、俺が代わりに答えた。「しかし地力が違いますから、同じ技を持つ男にはかないません」


 がっかりした表情の王女に、伯爵夫人が追い打ちを掛ける。


「姫様、女の中には確かに殿方に勝る者もおりましょう。しかしそれは特別な者で、もしここに百人の普通の男と百人の普通の女がいて、これを戦わせれば、まず間違い無く男百人が勝ちます。それが千人と千人であれば、なおさらでございます」


「でもでも、聖銀騎士団には一騎当千の者もいるのでしょう?」


「聖銀騎士団には女戦士などおりません。それにあの獣どもなど……!」


 伯爵夫人も、聖銀騎士団にはあまり良い思いを持ってはいないようだ。あのヨーセルム陥落後の“大失墜”の際には、一部の者たちが海沿いに西へ逃れ、アトロス海峡を渡ってポルスパイン王国へ逃れた。その際、落ち武者だった彼らを保護してくれたポルスパインで、聖銀騎士団は乱暴狼藉と略奪を働き、恩を仇で返すような振る舞いをしたという。


 この話を俺に聞かせてくれたギィによると、「多分奴らも、着の身着のままで逃れてきて、国へ帰るにも帰れなかったのだろう。まさに“貧すれば鈍する”で、さもしい限りだが、ポルスパインにとっては、ただの迷惑で済ませられる訳がなかろう」とのことだ。


 だから今でも、聖銀騎士団とポルスパイン貴族との仲は極めて悪い。だがそれから四半世紀が過ぎ、その時には産まれてさえいなかった王女には、直ぐに思い至ることができなくとも仕方ないのだろう。だいたい連合王国の成立から、まだ十五年ほどしか経ってはいないのだ。


「カロ殿下が騎乗し剣を振るえば、付き従う騎士や兵士の士気は高まり、人々も歓呼の声で仰ぎ見ましょう。けれども姫様、あなた様が同じことをなされれば、あなた様を伴侶にと望む者は、余程の物好きか、何か訳ありの者ということになりますよ」


「訳あり……?」


「例えば、あなた様の心と手以外の何かを望む者、あるいは容貌が醜かったり、年寄りで、嫁の来手が無いという者でございましょう」


「そんなの嫌!」


 現実を突き付けられてショックを受けるのは、まだ子どもだからだ。王侯貴族の婚姻に物語のような関係を夢見る方が、間違っている。


「伯爵夫人、剣を持って振るえとは申しませんが、馬に乗り走らせる術は、姫君も学んだ方が良いかも知れません」


「走らせるですって! まさか?」


「ええ、横乗りではなく、騎士のように騎乗することです」


「「まあ!」」


 王女と伯爵夫人が、王女は目を輝かせ、夫人は論外だと言うように、声を上げた。貴族の婦人が騎乗することも無い訳ではないが、その場合は男のように跨がるのではなく、片側に両足を揃えて下ろし、鞍に腰掛けるように座るのが普通である。


 ただこれでは、馬を駆けさせるのは非常に危険で、せいぜい並足で乗ることしかできない。女が、何かに跨がる姿を人目に曝すのは下品だと見なす風潮がその背景にある。特に若い女性がそんなことをして見せたりすれば、野卑な視線を誘いかねなかった。


「いけません、そんなこと!」


「どうして?」


 否定の言葉を口にしたのは無論伯爵夫人で、王女は深く考えずに首を傾げている。床に転がっている二人に意識があり、まともに声を出せる状態であったなら、きっと伯爵夫人と同じ反応を示しただろう。


「女が馬に跨がって乗るのは、はしたないことでございます」


「ヴァーナ姉様も馬には乗れるって。兄様が言っていたわ」


「それは……」


 伯爵夫人も、聖女として名高く、王族にも連なるネフのことを、頭から否定することは、さすがにできなかった。


「ねえ、そうなのでしょう、ブドリ?」


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