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◆10の6◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二十日 アルシャーン公爵領 オレルア◆#1


 ギィからの報せには、ネネム師匠が王都近くの僧院にいるとしか書いていなかった。その他には、師匠からの言伝(ことづて)も無ければ、現在の様子にも触れていない。


 居場所から考えると、師匠が話もできないほどの重傷を負っているか、何か重い病(魔導的なものかもしれない)で伏せっている可能性がある。そういう人間が頼れるのは、聖職者だけだからだ。



 (サン)クルトの僧院は、星辰の娘ヘカテを信仰するアルラトゥ僧団の支配下にある修道場で、地母神ゲェに仕えるヴァナディスの僧会とも繋がりがあった。クルトシュタインの対岸にある大僧院とその周囲に広がる石造りの門前町は、傷病に苦しむ人々が巡礼として集まって来る癒やしの聖地である。


 また町の城壁の外に石塀で囲まれた場所があり、その内側には広い薬草園があった。そこで育てられた薬草を乾燥させた物や蒸留酒に漬けたリキュールなどを、国中の薬種商が買い求めにやって来る。僧院の奉仕によってもたらされる癒やしと、薬種の販売が、あの門前町を長きに渡り繁栄させていた。


 ただしネネム師匠が居るという僧院はそこではなく、王都近くの森の中に在るその分院だった。樹木に囲まれた岩山の上にひっそりと佇立し、都市の繁華さや人の生業を感じさせる耕作地とは隔てられている。ただし王都の門からは馬車で半日も掛からない距離にある、王都から本院である大僧院へ旅しようという巡礼者への取り次ぎ場所でもあった。


 聖クルトの分院であるから、そこは癒やしの場でもある。かつて王都を疫病が襲った際は、ここに逃げ込んだ人々も多くいた。聖クルトの修行僧たちは、病に冒された者もその親族たちも、厭う事なく受け容れたのである。そして分院の僧たちまでもが同じ疫病に倒れた後も、本院である大修道院からは援護の人材が派遣され続けた。


 このような献身が、疫病が克服された後に高く評価されたのは当然の事である。王家や高位の貴族と言えども聖クルトの権威を軽々しく扱うことはできず、王都の近くにありながら、未だにその不輸不入権(インムニタス)を冒すことは(はばか)られていた。



 俺が騎士爵などという厄介なものを賜っていなくて、王妃からカロ王子とセシル王女の護衛を命じられてもいなければ、直ぐさまサン・クルトにいるという師匠の元へ向かっていたところだ。何と言ってもネネム師匠は、俺にとって親同然の存在なのだから。


 だが彼ら王子と王女が明らかに命を付け狙われている状況で、幼い二人を放り出し、危険に晒すような真似はできなかった。俺は師匠の無事を祈りながら、このまま旅を続けるしかない。


 いや王都にたどり着きさえすれば、そこから師匠の居るという岩山の僧院までは、目と鼻の先なのだ。今はできるだけ早く、当面の目的地であるゴルデンブルクへ向かうことを考えよう。




 カロが妹に木刀を渡して振らせたことで、大騒ぎが起きた。無論子どもの戯れで、十二歳の男の子がようやっと振れる重さの棒を、乳母日傘で育った王女が自在に振り回すなど、できるはずもない。


 両手で何とか頭の上に持ち上げて見せたが、俺があわてて取り上げた。姫様はぷっと頬を膨らませ、自分にもできると主張したが、俺は「怪我をするところです」と、取り合わなかった。


 それが余程気に障ったらしく、ご機嫌斜めだった姫君を、あの侍女たちがまた(あお)ったらしい。セシル王女は、伯爵夫人(ローズ)にまで不満を漏らした。


「それはノア殿の言うことが、道理にかなっております。姫様が木刀を握り、お手を怪我でもされたら、どうなさるおつもりです!」


 控えの間からのぞき見していた俺は、当てが外れてポカンとしている王女と、まだ何がどうなっているのか悟っていない侍女たちの顔を見て、笑い出しそうになった。


「そもそも姫君は、騎士たちのような、固い胼胝(たこ)のできた()になりたいのでございますか?」


「そんなこと! ちょっと持ってみたかっただけ。それに、刃などついていない、ただの木刀よ」


「怪我をしなかったのは、ノア殿がとめたからです。木の棒だと侮ってはなりません。それで人死にがでることも、少なくないのです」


「そんな……」


 伯爵夫人を味方に付け、俺を叱りつけて貰おうと思っていたらしい姫君は、言葉に詰まっている。


「だいたい、お前たちもお前たちです」と、侍女たちに向かい、「マルガ! ルミエラ! 先ず、お前たちが姫様を止めるべきではありませんか! 万が一お怪我をされたら、お前たちもただでは済まないのですよ」


「そ、それは、カロ様付きのあの者が……」


 顔色を蒼くした侍女の一方が、そう言って口ごもる。


「ノア殿がとめたと言ったのは、お前たちではないのですか! それとも、姫様でございましたか?」


「それは……」侍女たちを庇おうとした王女だが、伯爵夫人の吊り上がった眉を見て、迷いを見せる。「……どうだったかしら……」


「カロ殿下も、その場に居合わせたのでございますよね?」


 視線が定まらなかったセシル王女も、とどめを刺すような伯爵夫人の言葉に、諦めたように頷いて下を向く。どうやら“腹心の侍女たち”を、見捨てたようだ。


「マルガとルミエラ、お前たちは姫様への忠誠心からではなく、己の思惑で姫様を利用し、そそのかそうとしました。前からそんな気配はありましたが、ここ最近は目に余ります。最早、姫様の側へ置くことはできません」


「ローズ様は、あのような下賤(げせん)(やから)に、私どもより重きを置かれるのですか?」


 マルガと呼ばれた歳上の侍女が、不服そうに異議を唱えた。風向きが変わっているのに気付かないのは、伯爵家の一門という驕りの故か。


「お前たちは増長のあまり、私の言葉が聞こえなくなっているようですね。私は、お前たちの行いが“姫様のためにならない”と言っているのです。いくら夫の家門に連なる者とは言え、我が血統はポルスパイン王家に忠誠を誓う者、姫様を(ないがし)ろにするお前たちの不忠を、見過ごすことなどできないと、分からないのですか?」


「そ、そんな! 不忠などと……滅相(めっそう)もない……」


「では万が一、姫様がお怪我をなされた時、お前たちはどうするのです? 姫様のお身体に傷が付いても、それをノア殿の責任と言い逃れるつもりですか?」


「姫様がお怪我など……」


「しないと言い切れるのは何故です? 先日危うい目に会ったばかりなのに」


 なるほど、表に出さないよう振る舞っていても、伯爵夫人もあの襲撃には命の危険を感じたのだろう。ただ上に立つ者の矜持と、王子王女の養育を任された責務から、心の動揺を隠し通して来たのだ。


「それに素振りなどは、カロ殿下もなされております」


 歳下の銀髪の侍女が、相棒を取り成すつもりか、そう言った。それは結果として火に油を注ぐようなものだったが、彼女は伯爵夫人の冷たい怒りに気付かずにいる。


「まったく、お前たちの実家の男どもが、頼りにならないのも当たり前です。娘たちに“武”の怖ろしさ、そして意味と価値を教えられなかったとは、余程腑抜(ふぬ)けているのでしょう」


「いくら何でもそのお言葉は、あまりの言いようです……ローズ様!」


 伯爵夫人のきつい言葉に、ルミエラが顔を打たれたかように立ちすくみ、両掌で頬を覆った。まあ二人の実家の(しつ)けが(ろく)なものではないことは、俺にも分かる。これから先のことを考え、伯爵夫人も見切りを付けたに違いない。


 獅子身中の虫というのが、一番たちが悪いからな。それは先の戦役の中でも、俺たちが身に染みて学んだことである。


「ノア殿。この娘たちはこう言っております。もしノア殿がこの二人の立場だったら、どう答えたでしょうか?」


 声を掛けられた俺は、身を隠していた衝立(パンターヤ)の陰から出て、王女たち四人の女が居る奥の間に入った。黙って会釈をし、笑いかけて口を開く。それまで気配を消していたから、俺を見て伯爵夫人以外の三人は息を呑む。


「左様ですな。ひれ伏して家の者たちの不甲斐なさを詫び、今後は心を入れ替え王女様に仕えるのでお許し下さいと懇願することでしょう」


「ぶっ、無礼な! 下郎の分際で」と、マルガが(わめ)いた。くすんだ金髪が振り乱され、いつもの取り澄ました態度も上っ面だけだったと分かる。


「伯爵夫人、どういたしましょうか? 平時ならまだしも、これからの困難を考えると、この者たちを両殿下のお側に置くのは危険だと思います。ただ、二人は伯爵家の一門に繋がるとのこと、ここで暇を出されるのは拙いのでは?」


「そうです。私たちはお前などとは違うのです。分をわきまえなさい」


 何を勘違いしたのか、ルミエラが空元気の声を張り上げ、顎を突き出して俺を見た。


「姫様、よくご覧になって、学ぶのです」と、王女に諭すように伯爵夫人は言った。次に俺を見て、「ノア殿、ここで血を流してはなりませんよ」と付け加える。


「承知」


 俺はそう応え前に出ると、マルガとルミエラの鳩尾に、当て身を喰らわした。


「な、何を……!」


 伯爵夫人が王女の口を塞ぎ、「……するのです!」という声を押し殺した。モゴモゴと身をよじりながら、王女は伯爵夫人の腕を、振りほどこうとする。


「セシル殿下、お静まり下さい。この二人はあなた様の耳に悪意ある誹謗中傷という毒の言葉を注ぎ、あなた様を操ろうとした不忠者です。しかも己の不明から、それを当然としか思っていませんでした」


「マルガとルミエラを……どうするの? それに、私を操ろうとしたって……」


 恐怖に擦れた声を王女が絞り出す。伯爵夫人が目配せした。どうするかは、俺に丸投げか!


「アルシャーン家に預けてはどうでしょうか? 一緒に連れていっては足手まといです」


「殺さないの?」


 王子のか細い声に伯爵夫人が首を振り、教える口調で王女に告げる。


「他家でしばらく過ごし、主家に仕えることの恩義を、思い知って貰いましょう」


 伯爵夫人は、王家の奉公を許されること自体が、恩顧(おんこ)なのだと言いたいのだろう。それが貴族の特権を、保障するものだからだ。俺のような下々の者には、条件付きでしか同意できない考え方だが。


「じゃあ何故……二人を、うち……打ち倒したの?」


「姫様に“武”の意味を考えて頂くためでございます」


 床に転がっている二人のことなど顧みもせず話し掛ける伯爵夫人を、王女は少し怯えた目で見ている。これは、俺より夫人の方が怖いんだな。


「“武”?」


 伯爵夫人が頷いた。


「姫様も、この前の襲撃のことをお忘れではないでしょう?」


「あ、当たり前よ。遠くからだけど、屍体が地面に転がっているのを見たわ」


 俺の足元に横たわっている侍女二人の姿を見て連想したのか、王女は視線を逸らし身を震わせて答えた。馬車の窓から遠目にしただけのはずだが、あの時の印象は強烈だったのだ。


「では姫様も、ご自分の命を狙い、身柄を奪おうとする者がいるということを、ご理解なされたはずです」


「えっ? ……ええ」


 まあこの年齢の女の子なら、現実から眼を逸らしていて当然だ。でなければ、夜も眠れないことになる。だからこそ侍女たちの甘言(かんげん)に流されたのだろう。


「あの時、ノア士爵(シニョール・ノア)シーバ女伯爵(コンデーサ・シーバ)の手の者が阻止しなければ、命を奪われ地面に横たわっていたのは、私どもの方だったでしょう。あるいは姫様も……」


「それは……分かっているわ、私だって……」


 今更脅さなくても、という表情で、眼に涙を浮かべている。


「本当でございましょうか? それなら、ご自分の身の護りである者を、(そし)(いや)しめようとする言葉に、耳傾ける素振りを見せられたのは何故でございましょう? 私は姫様にお教えしたはずです。貴い身分にある方の一言は重く、時には口を閉ざしているだけでも、人の死生を左右することがあると。姫様はノア殿を遠ざけ、御身の護りを一つ、失いたいのですか?」


「そんなつもりは無かったわ。マルガたちだって……」


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