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◆10の5◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第十九日 アルシャーン公爵領 オレルア◆


 カロ王子は十二歳だ。俺に言わせれば子どもだが、王族というものは子どもらしさに甘えて毎日を過ごすことが、許されない場合もある。


 ここ最近の体験で。彼はそのことが身に染みて分かったのだろう。周りをよく観察し、俺の話を聞いて、努力して大人になろうとする気配が見られた。


 だがそれを、まだ十歳のセシル王女に望むのは無理のようだ。最近は兄であるカロを奪われたと感じているのか、俺に腹を立て何かと当たってくる。子どもの癇癪など可愛いものだが、王女にはお付きの侍女がいて、そいつらが王女の不満に一々相づちを打ち、煽るような言葉まで口にする。


 王女への阿諛追従(あゆついしょう)だけでは収まらず、侍女たちは俺を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)する言葉を、公爵家の人間に漏らし始めた。


 陰で口にしたものだから、俺には伝わらぬと思ったのだろう。あるいは宮廷でも同じことを誰彼となく仕掛け、今まで過ごしてきたのかも知れない。


 だが公爵家の拠点であるここオレルアでは、彼女たちは異分子であり、何かと目立つのだ。しかも俺は既に、身分の低い公爵家の家人に幾人かの伝手を作り、噂や出来事などの情報が耳に入るようにしてある。


 これは港町ポラァノで浮浪児をやっていた頃からの、習い性のようなものだ。おかげで何度も命拾いもしているから、たとえ尻が軽いとか臆病だとか言われても、やめる気はない。


 俺が親しくなったのは、侍女たちが声を掛けたのよりも小身で外見だってパッとしない、普段は口も重いような使用人たちである。こういう人間たちの中には、保身のため鈍そうに装っていても、かえって耳聡い者がいたりする。


 侍女たちは、直接あらぬ噂を流した相手に口止めすることは忘れなかったが、近くで聞いていたかも知れない身分の低い者のことなど、気にも留めなかった。普通宮廷では、そういう小者に侍女たちが讒言(つげぐち)されることなど、“あってはならないこと”とされていたからである。


 貴族の一員である侍女たちが、そういう下人の言葉により何らかの罪に問われることは無いのだ。彼女らが否定すれば、証言した下人が鞭打たれるか、悪くすればその舌を切り取られることになる。


 だから彼らは“証言”したりはしない。俺のいる側で、うっかり“独り言を呟く”か、“他の同じような身分の下人と噂話を交わす”だけなのだ。俺にとっては持参した安酒をそこに忘れて帰っても、得られる見返りは十分と言える。




「ローズ様、少しお話しがございます」


 回廊で出会った俺に名前で呼ばれた伯爵夫人は、一瞬ムッとした顔になった。


「ブドリ殿、カロ殿下付きとなったからと言って、付け上がることは許しませんよ。ここには殿下もおられませんし、(わらわ)とお前は対等ではありません」


 俺は内懐(うちふところ)に入り込むように近づいた後、一歩身を引く。間に空いた距離に、夫人が半歩引き寄せられ、驚いたように目を見張る。声を低く話し掛けた。


「その殿下が、私に漏らされたのです。伯爵夫人が王妃様の判断を疑っている、いやむしろ否定しているのではないかと……」


 伯爵夫人は驚きと(いきどお)りを浮かべ、手に持っていた紗の扇子を握りしめる。俺に詰め寄り、押し殺した声で詰問した。


「何と言うことを! そのようなことがあるはずもありません。ブドリ、お前もしや?」


 彼女の夫であるラゴ伯爵は、ポルスパイン派の重鎮である。ローズもポルスパインでは重きを成す家の出で、伯爵家に嫁ぐ前からルミナ王妃に仕える身であった。彼女は、俺が王子に、あることないこと吹き込んだのではと、疑ったのだ。


「そうではありません。カロ殿下は聞いてしまったのです。あなたがお連れになった侍女たちが、“王妃様がブドリの身分を上げて、殿下の護衛としたのは間違っている”とセシル殿下に話しているのを。しかも次の日には、エドナンテス様の小姓に“身分の卑しい人間を、王妃様が両殿下の護衛にされた”と、不満げに言っていたのも聞いたのだそうです」


「まさか、そんなことが! あの者たち、……あんなに良くしてやったのに!」


 侍女たちは伯爵夫人の“引き”で宮廷に呼ばれ、王妃に仕えてカロとセシルの世話係という仕事を任された。それが公爵家の家人の前で、王妃を(おとし)めるような言葉を口にしたとなれば、夫人にとって大きな失点となる。


「カロ殿下は“あの女たちはローズが連れて来た縁戚の者たちだ。ひょっとして、ローズも同じように考えているのではないか?”と、ご心配なさっています」


 大人になりつつあるカロ王子の信頼まで失ってはと、年甲斐もなく伯爵夫人が狼狽しているのが伝わってきた。下手をすれば、夫の伯爵にも累が及びかねないと、そう思ったのだろう。


「いいえ、いいえ、とんでもないことです! ルミナ様への私の忠誠に、一点の曇りがあるなどと……でも、そのようなことを、王子様ご自身の耳で聞かれたと言うのですか?」


 俺が王子に讒言(ざんげん)したのであれば、いくらでも言い繕うことができる。だが、俺は“王子から聞いた”と言ったのである。であれば、臣下としてその言葉を否定することはできない。


「殿下は、“ブドリ、決して盗み聞きしようとしたのではない。妹の顔を見に行ってみれば、近頃何かと口うるさいあの者たちが妹に言いつのっている声が聞こえ、思わず身を隠しただけなのだ”、“それを聞いたから、次の日も顔を合わせるのが嫌で、引き返そうとしたのだが、小姓との話題が母上への批判だった”と」


「まさか、そんなことを……」


 扇子を持つ夫人の手が震えている。侍女たちを切り捨てるにしても、ポルスパイン貴族の中で大揉めに揉めるだろう。だがアルシャーン家に知られているからには、誰かがその責を被ることになる。


「無論私は伯爵夫人が王妃様に背くなど、無いと信じております。だからこそ個人的にお話ししようと、ここで声を掛けさせて頂いたのです」


 伯爵夫人には、当然逃げ道を用意してやらなければならない。追い詰められた女は、何をするか予想がつかないからだ。


「なるほど、それでローズと呼ばれたのですね」


 四十を過ぎているはずなのに、艶然と笑って見せた。俺と“個人的な”関係を築くことで、カロ殿下を牽制しようというのだろう。さすが“ポルスパインの雌狐”と呼ばれるだけある。俺は関係を持つつもりなど無いが、それにしてもさっき狼狽(うろた)えたのは、何だったのだ?


「はい、その通りです、ローズ様。しかし、私の言葉だけで信じよと求めるのは、片手落ちでしょう。ただ、カロ殿下に直接お聞きになるのは、かえって不信感を煽る結果となりかねません。王子にしてみれば、“盗み聞きをしたのか!”と責められているように感じるでしょうから」


「では、誰に確かめよと? エドナンテス様の小姓ですか?」


 当然それは気が進まないだろうな。内輪の醜聞になりかねないことを、他家の者に尋ねるなど。


「いえ、お小さい時からよくご存じで、ローズ様に心を開いているセシル王女がおられるではありませんか。それとなく水を向け、日頃侍女たちとどんな話をしているかお尋ねになれば良いのです。決して責めるようなことをおっしゃってはいけません。ローズ様ならきっと、どんなことを侍女たちが話していたのか、本当のところを聞き出すことができます」


「なるほど、それならできそうですね」


 気が抜けたのか、ホッとした顔になる。後はこの伯爵夫人に任せよう。これで間違い無く、解決するはずだ。


 セシル王女だって、自分が“良い子”にならなければならないことには、直ぐ気付くだろう。そうなれば“悪者”は、迂闊な侍女たち以外にいない。王女のような身分の者が守られるのは、当然のことなのである。


 そもそも侍女たちは王女を(たしな)め、王女の漏らした不平不満が他所に知られることが無いようにするべきだった。その責務を怠ったばかりでなく、あろう事か他家の者に触れ回るなど、あってはならないことなのである。


 今が旅の途中であり、他家への滞在中だという事情がなければ、直ちに責任を問われ、叱責されて当然であった。伯爵夫人も注意ぐらいはするだろう。後は、エドナンテスがどう動く、あるいは動かない、つもりか、探りを入れるかな?


 ラゴ伯爵家への“貸し”として留めるというのが、最善の落とし所だ。公爵家としては、ラゴ伯爵と仲違いしても何の得にもならない。間違いなく、そうなるだろう。



「ブドリ。ローズが僕に、少しはセシルの相手をしてやれと言うのだ。この頃お前との訓練ばかりで、まともに話もできず、寂しがっているからと」


 朝の鍛錬の前に、困った表情になったカロ王子がそう言った。自分が学ぶ時間を優先したいと、その顔は言っていた。せっかく慣れてきた日々の訓練手順を崩したくないと、困惑しているのだろう。


「そうですね。では、伯爵夫人の許可が出ればですが、セシル様にも少し、鍛錬に参加して貰ってはいかがです?」


「何だと! セシルはまだ十歳だし、それに女だぞ!」


 僅か十二歳の王子がそう言うのは、大人からしてみれば可笑しいが、兄としての矜持があるカロにとっては、当然の反論である。


「ああ、無論最初は見学です。カロ様が励んでいるのを見守るだけで、満足されるかもしれません。何と言っても、ここでは毎日暇を持て余しているでしょうから」


「ああ、それは分かる」


 ある程度毎日の訓練(ルーティン)(こな)すことができるようになってきた王子に、成長しつつある自分の姿を見て欲しいという欲が生まれても不思議ではない。だから“見学”なら、許容範囲に納まりそうだ。


「それに今後のことを考えると、乗馬ぐらいはできるようにしておいた方が良いかも知れません」


「何だと! セシルに、ズボンを穿()かせるつもりか?」


 想像もしていなかったのだろう。王子が目を見張り、口を半分開けて絶句した。


「ヴァーナ様も、馬には乗れますよ」


 ネフは女性がする横乗りではなく、普通に騎乗して馬を駆けさせる。そうでなければ、軍団について回ることなどできないからだ。


「むっ、従姉(いとこ)殿もか?」


「万が一、この前のような襲撃があった場合、自分で馬を走らせることができれば、助かる可能性がグンと増します。我々が戦って敵を引きつけている間に、逃げることができるからです」


「むむ、そうか」


 カロの口元が引き締まり、頬が少し上気する。どうやら王子は、残って敵と戦う者の中に自分を入れて、その場面を想像しているらしい。現実にはそれはあり得ないのだが、今のところ妄想するのは勝手だからな。


 次の日には日傘を差したセシル王女が、朝の鍛錬を見に来るようになった。伯爵夫人も、王子と王女の関係改善を図ることは、急務だと感じたらしい。


 ベンチに座って兄に声援を送ったり、水を汲んだコップを差し出すくらいなら、問題はないと考えたのだろう。それに城の庭であっても、屋外に出れば良い気晴らしになる。侍女たちと部屋の中で刺繍をしながら、つまらぬことを話しているより、よほど健康的だ。


 無論まだズボンを穿くという提案はしていない。それは主に、乗馬をする者か肉体労働をする平民のための服装だからだ。もし王女が剣技を学ぶ気になれば、その際にも必要になる。


 運河に引き船を浮かべ、行き来できるようになるまで、あと一週間は掛かるそうだ。エドナンテスは騎士団の一部を率いて、運河沿いの土地の安全を確認に出掛けた。残った連中の一部が、居酒屋で管を巻き、俺に“思い知らせる”ための計画を練っているという。


 俺は一歩も城からは出ていないが、彼らの情報は友人たちから毎日入って来る。暴発しそうな予兆があれば、報せがある手はずだ。


 最近は木刀で連続した打ち込みができるようになったカロは、妹に得意顔を見せないよう、精一杯の努力をしている。だが、そろそろ慢心が出て来ているから、鼻をへし折ってやる必要がありそうだ。


 それから三日ほどして、ギィから手紙が届いた。ネネム師匠が王都近郊の聖クルト修院にいるという内容であった。


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