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◆10の4◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第十五日 アルシャーン公爵領 オレルア◆#3


 命の遣り取りの重さが分からぬ男が、死んでいることも自覚せず俺に挑んできた。本来であれば首を掻き切られた死人のくせに、逆転があると考え違いをしたらしい。


 今は俺に投げ飛ばされて背中から地面に落とされ、動けないでいる。サムソンの体重は二百斤はあるだろうし、防具の重さも加わっていた。それが六尺ほどの高さから、踏み固められた地面の上に叩き付けられたのである。


 手加減して背中から落としたからまだ生きているが、頭からなら首の骨が折れているはずだ。あるいは頭蓋が割れているかもしれない。やっと我に返ったモールスが、側に駆け寄る。


「おい、サムソン。大丈夫か?」


「骨が折れているかもしれません。無理に動かさぬ方が良いでしょう」


 たとえ奴が死んだとしても、審判の判定を無視して己の負けを認めず、俺に襲いかかったのだ。カロ王子の見ている前でもあるし、エドナンテスと言えども俺を(とが)めることはできまい。


「誰か騎士団付きの神官を呼んでこい!」


 エドナンテスに命じられ、従者の一人が走り出す。次に俺に向かって、尋ねた。


「先ほどの技は身体強化か?」


「ほとんど体術ですが、強化も少しは使っています。しかしそれに頼り切るのは、実戦では良い方法とは言えません」


 俺がそう答えると、エドナンテスは顎を指で擦りながら、しばらく考え込んだ。おいおい、こいつにまで俺が教えなければならないのか?


「相手が自分と同等以上の技と力を持つ戦士であり、しかも味方より多勢であっても、戦って勝たねばならないのが戦場というものです。力任せで圧倒できる敵ばかりではないのです」


「つまり我々は弱い敵(ざこ)ばかり相手にしてきたから、本当の戦では使い物にならないと言うのだな」


「野盗相手になら勝てましょう。しかし魔侯国軍と戦うことになれば、手痛い目に遭うことになります」


 ムッとした顔をして、サムソンの取り巻きの一人が何かを言いかけたが、エドナンテスのひと睨みで押し黙った。これは騎士団長の統制が行き渡っていると言えるかのどうか、危うい所だな。


 無論身分からも、騎士団のパトロン一家である面からも、エドナンテスの地位は揺るがない。ただ本当の実戦と言える経験が無い騎士団は、ある意味烏合の衆でしかなかった。


 エドナンテスが騎士団長として真っ先に学ぶべきことがある。騎士団員に戦う目的とそのための訓練の重要性を、いかにして理解させるかということだ。ただの力自慢ばかりが集まっても、目的意識とそれに相応しい努力無しには、本当の戦力とはなり得ないのだ。


 来たるべき内戦の時、彼と彼の騎士団が“こちら側”の味方として戦うことになるなら、その前に鍛えておく必要があるな。彼らはカロ王子と同様に未熟で、何をどうすべきかが全く分かっていない。


 そこまで考えて冷静になる。騎士身分になったとは言え、元こそ泥風情が益体(やくたい)も無いことを考えた。それはもっとお偉い方々の役割だ。俺なんぞがしゃしゃり出れば、大火傷をするのが落ちである。


 ここは保身に走るが吉かなっ……と、身の振り方を迷っていると、王子がおずおずと話し掛けてきた。


「ブドリ、魔侯国の兵とは皆、そんなに強いのか?」


 こいつは真面目に答えておこう。


「殿下、彼らの一人一人には強い者も弱い者もおります。けれども彼らは砂漠の民、戦いの厳しさというものを知っているのです。負ければ、命を失うか、奴隷として勝者の持ち物となり尊厳を失う。彼らはそういう生き方の中に生まれた時から置かれております。だから戦う時は、常に命懸けで戦う。どんな強者(つわもの)も、戦う相手を見くびったりすれば全てを失うことがある。本来の勝負は一度きり、それは最後の一瞬で決まることもあるのです。それが分からぬ戦士と、一緒に戦うべきではありません。殿下ご自身の身を、危険に晒すこととなります」


「つまり……どんなに弱い魔侯国民も、強いということか?」


 困惑した顔で、王子がそう尋ねる。日差しの中で彼の額には汗が浮かび、耳の下までで短く切った黒髪が湿っていた。


「鍛錬を、最初から鍛錬に過ぎないと考え、試合の勝敗を後から覆せると思って試合に臨むような輩は、戦いが命の遣り取りであることを忘れているのです。そのような相手には、いくら言葉を重ねても無駄でございましょう。試合うだけの価値はありません」


「おいおい、ひどいことを言うな。サムソンはあれでも、この騎士団では一・二を争う強者(つわもの)なのだぞ」


 エドナンテスが困ったというような顔をして、眉をしかめた。こんなことを公言することで俺は、オレルア騎士団全員を敵に廻したことになる。


「だとしても、性根を入れ替えない限り、一緒に戦おうとは思いません」


「命が幾つあっても足りないぞ!」


「“月の出ない夜もある”でございますか、エドナン様? 別に挑発している訳ではありませんが、私にはオレルア騎士団全員を相手にしても、生き残る自信がございます。“月の無い夜”は、むしろ私に有利です」


「オレルア騎士団全員、六百人を敵に廻すか?」


「“暁”を見くびらないことです。せっかく平和になったのですから、命を大事になさるべきでしょう」


「ネフィの弟である私の首を刈るか?」


 随分と余裕のある口ぶりだ。高位貴族であるアルシャーンの一族を、平民風情が脅すことなどできるはずがないと思っているのだろう。


「別に望んでいる訳ではありませんが、降りかかる火の粉を払うのに躊躇(ためら)うなどとは、お考えにならないで下さい。ご自身の護りが、あのワズドフより堅固(かた)いと思われるならば、私ごときの言葉など気になさることもございません」


 居合わせた騎士団の面々に、殺気が走った。エドナンテスが命じれば一斉に襲いかかって来るだろう。


 そこへさっきの従者が、茶色の貫頭衣をまとった神官を連れて戻ってくる。サムソンの状態を診た後、エドナンテスの方を見て口を開いた。


「骨折は無いようですが、相当な勢いで叩き付けられたみたいですな。こういう症状は強い打撲を受けた時、例えば落馬した際などによく見られます。気が付いても、しばらくは動けないでしょう」


「命に関わることはないか?」


「さて、内臓が傷を受けていなければ、いずれは回復しましょうが、様子を見てみなければ何とも……」


「分かった。連れて行け」


 担架が持ってこられ、サムソンが運ばれて行く。それを見送ったエドナンテスが、再び俺の方に向き直る。


「さて、気が削がれたから、この辺にしよう。最近我が騎士団の気の緩みが、気になっていた所だ。今日は良い刺激になったことだろう。それにしても、命拾いをしたな、ブドリ」


「全くでございますね、エドナン様」


 悪い微笑(わら)いを浮かべてみせるその顔に、俺はそう応えた。するとエドナンテスは思い出したように、身体を固くして一部始終を見ていた王子に声を掛けた。


「うむ。おやカロ殿下、どうなされました? はははは、なぁに、ちょっとした余興でございますよ」


 まだ蒼白な表情の王子が、小走りで俺の側まで来て、袖を引く。


「ブドリ、大丈夫か?」


「ご心配なされますな。エドナン様がお命じになった事です。後を引くようなことはありませんでしょう。そうでございますね、エドナン様」


「ああ、サムソンたちには、良く言い聞かせておこう。いやはや、お前が聖銀騎士団を相手に大立ち回りを演じたとは聞いていたが、話半分と思っていたのだ」


 エドナンテスが(あき)れ顔でそう言う。随分と耳聡いことだ。アルシャーン公爵家ともなれば、王の身辺にも耳目となる人間を配しているのだろう。


「さて、何のことか……?」


 そう言って俺は王子を促し、エドナンテスに会釈をすると、その場を去ることにした。


「ブドリ」


 しばらくして王子が俺に寄り添うように近づき、小声で囁く。


「何でございますか、殿下?」


「本当は、命拾いをしたのは、どっちの方なのだ?」


「殿下」


 誰も近くにはいないが、どこに耳目があるか分からない場所である。俺はさり気なく、周囲に気を配った。


「何だ、ブドリ?」


「殿下はまだ武において子犬にも及ばず、臣下を従わせるだけの威厳もお持ちではありません」


 王子は前を見たまま歩き続ける。うむ、良い傾向だ。少しは分かっているのだろう。


「酷い言い様だな、ブドリ」


「でも真実でございましょう?」


「それは、まあ」


 表情は動いていない。質問したことを責めるまでも無いか。自分の弱さは自覚している。それだけで大きな成長だ。今日あの場に連れて行って良かったと言えよう。


「それがお分かりなら、誰かを挑発するようなことは、口になさらぬ事です」


「しかし……」


 この言葉には不服そうだ。誰かと自分を比較しているのか? そうか!


「エドナン様は綱渡りするだけ、自分の足元に自信を持っておられるのです。それなりに実績もおありです」


「だからと言って、お前を試すようなことをして良いのか?」


「あれは私をと言うより、“暁”を試されたのです。同盟を結ぶだけの価値があるのかと」


 王子は黙り込んだ。考えているのだろう。エドナンテスの年齢になった時、自分に何ができるのかと。それはまだ分からない。それまで生き延びられるかでさえ、確かでは無い。王族という彼の身分には、ほんの小さな躓きでさえ、致命的な結果をもたらしかねない怖ろしさがある。


「殿下」


「何だ?」


「殿下は私に師事するとお決めになられた」


「?」


「それは、“暁”と繋がりを持つことを選ばれたということになります」


 今度こそ絶句して、王子が俺を見る。エドナンテスが俺を試したのは、自分の選択の結果だと、やっと気付いたのだ。


「アルシャーン公爵領からは、ポルスパイン王国まで街道が繋がっています。海路でも、アンジの港からビスケット海までは、それ程距離がありません。直ぐ隣同士なのです。殿下と敵対するか、味方同士になるかは、(おろそ)かにできることではないでしょう」


「私は考えが足りないのだな」


 王子がしょげた顔になった。少しは慰めておこう。


「それに今気付けるなら、十分です。強さとは“武”だけの問題ではありません。先ほどの殿下がお尋ねになったことにお答えするとすれば、私ごとき者でも、あの騎士団六百人と戦って勝つ、全員の命を刈ることは、できないことではありません。それなりの段取りに持ち込めればですが」


「そうなのか!」


「ですが、それができるだけの才覚がある者は、そんな“無駄な”ことはしないでしょう。割に合いませんから。彼らの、もっと上手い利用法を見つけるはずです。癇癪を起こして玩具を壊してしまうのは、愚かな子どもか、もっと愚かな大人だけです」


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