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◆10の2◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第十五日 アルシャーン公爵領 オレルア◆#1


オレルアは古くはロマ帝国の城塞があった場所で、その後はヴィス一世の王国分割によって生まれたオリオンス王国の王都でもあった。


 遡ってロマの時代以前には、ドゥルイッドたちが歳祭のため集まる、ケナブム族の集落地だったともいう。


 ラモレ河は危険な河である。それゆえ帝国街道を作ったロマの建築技術でも、架橋できる場所は僅かしかなかった。その橋の一つがあり、ラモレ流域でここが最も領都パーリスに近かったこともあり、ここオレルアは戦略的要所だったのである。


 近年になってゼド運河が開通し、パーリスと結ばれたことで、更に栄えることになった。


 城壁に囲まれたこの都市の人口は今では三万を超え、城壁外の貧民窟や周辺の農地に暮らす者たちの数を加えれば、倍の六万近くにも及ぶとされている。


 このオレルアの抱える騎士団の定員は、騎士百騎、盾持ち二百五十、従者百五十、その他百の、総計六百名とされていた。


 単一の都市の常備する戦力としては、いささか過大に思えるが、この都市を差配する都市伯エドナンテス・ライオス・ドン・アルシャーンは公国の継嗣である。つまりこの騎士団はアルシャーン公爵家の戦力の一部であり、彼らにはオレルアから上がる税収に加え、公国からの支援金があった。


 アルシャーン公爵家は、ヴーランクでも尚武の気質が高いと評されている家柄である。だからその一翼を担うオレルア騎士団の士気が低かろうはずはない。


 現に西の城壁に近い騎士団の訓練場を訪れてみれば、互いに相手を倒そうと重い木刀を振るって打ち合っている、数十人の男たちの姿が見られた。


 回廊で囲まれたその広場には赤土が敷き詰められ、ガタイのいい男たちの流す汗が染みこんでいる。聞けば騎馬訓練のためには城壁外に馬場があり、厩舎もその側に置かれているという。つまりここで行われているのは、(かち)での戦闘訓練だけということだ。


 大柄で筋肉質な男たちが汗を飛び散らせ、唸り声を上げながら肉体をぶつけ合っていた。雄叫びと打撃音。弾き飛ばされて転がり、泥だらけになってもまた立ち上がり、突進していく光景。


 その迫力に、自ら望んでここに来たはずのカロ王子の顔には怯えが浮かび、腰が引けていた。度肝を抜かれ、口を開けて見入っている。あの男たちが争う中に巻き込まれれば、自分などひとたまりもないと実感したことだろう。


 それもまた、俺がカロ王子をここに連れて来た目的の一つである。王族は使い捨ての利く一兵卒と違い、実戦でそれを学ばせるわけにはいかない存在なのだ。戦場での圧倒的な暴力の怖ろしさを理解していない王族を旗頭に始める戦など、もう半分負けたようなものである。


 この子どもに“武”を教えるに当り、最初に理解させなければならないのは、この事実だった。つまり自分がどれだけひ弱であり、容易く狩りの獲物とされやすい生き物であるか、自覚させることである。その上でなお、生き残って戦い続けることを選ばせなくてはならないのだ。


 カロが王族などではなかったら、子ども同士の喧嘩や上下の支配関係などを通じて、ある程度の準備がなされていたかもしれない。だが彼には切磋琢磨の対象となり得る同年代の友人がいなかったから、競争体験というものを持たなかった。


 親子ほども歳の離れている兄たちは、カロのことを歯牙にも掛けていなかったし、王子を教育するべき人間たちも身分を理由に、彼に試練を課す責任を負いたがらなかったことは想像に難くない。


 ここでもう一度、王子の決心を確かめておこう。俺は小声で話し掛けた。


「強くなることを望むと言われたが、まだ気は変わりませんか?」


「無論だ!」


 王子が意地を張って、そう言う。エドナンテスがその場にいて、興味深そうに見ていた。王子は明らかに血縁の者である彼を、意識していたろう。


「では、弱音を吐かれませぬよう」


 そこへ乱戦の中から抜け出して、取り分け屈強な身体付きの男が、ズカズカと近寄って来る。褐色の縮れ毛を短く刈ったそいつは、板金で補強した革鎧を着て、ゴツい長剣を腰に下げていた。年齢は、三十前後だろう。


「何事だ、モールス?」と、エドナンテス。


「ライオス様、そちらの騎士(シニョール)ブドリが、一人で二十人もの曲者を倒した猛者(もさ)と聞きまして、ぜひ手合わせをと望む者がおります」


「何だと! 誰がそんなことを?」


「ラゴ伯爵夫人の侍女から、城付きの小者が聞いたとか、もっぱらの噂でございます」


 小声であるが腹立たしげにエドナンテスが問い詰めたので、モールスと呼ばれた男はあわててそう弁明した。


「それは本当だぞ。僕もこの目で見た。しかも相手は雑兵などではなく、鎖帷子と兜で身を守り、立派な武器を持った戦士たちだった。シーバ女伯爵の手勢二十数名が十数名を倒したが、ノアはたった一人でその倍の敵を屠ったのだ。さすがは『暁の瞳』の一人であり、王妃(ははうえ)が手ずから『中級士爵(プレセプトレム)』に叙した者だ」


 カロ王子が自慢そうに付け加える。先ほどの狼狽を、俺の自慢をすることで帳消しにしたいのだろう。


 戦闘の間は危険を避けるため、王子と王女は馬車の中に押し込められていたはずだ。だから王子が見たのは、全てが終わった後に並べられた、襲撃者たちの屍だけである。


 あの時はチェリス女伯爵との対抗上、どちらが護衛として貢献したかという示威の意味もあって、倒した敵の死骸の数を比べるなどという悪趣味なことをしたのだ。しかし拙いことに、これでは身分を引き上げてくれた王妃の手前、俺も引っ込みが付かなくなってしまった。


「ふーむ、ブドリ、どうするかな?」


 そう鷹揚に聞くエドナンテスは、あくまで高位貴族、それも王家に繋がる血統の人間である。無造作に掛ける一言にも、内心では色々な思惑を巡らしているに違いなかった。ここで勝負を避けることは、『暁』の評判を落とすことにもなりかねない。俺には既に、試合うことなく逃げるという選択肢が無くなっていた。


「仕方ありません。しかし私は『瞳』の一員とはいっても、あくまで一介の斥候(レンジャー)でしかありません。果たしてご期待に沿えるかどうか……」


「むう、それは仕方なかろう。こちらが無理を言うのだから、勝負は二の次だ。貴殿がどう戦うか見せて貰うことは、兵たちの(ため)になるだろう。何しろ我らには、町中の与太者を取り締まるか、せいぜい盗賊退治くらいしか経験が無いのだから」


 これは本当のことだ。魔侯国軍がやって来た時、彼らと実際に戦ったのは、ロークスとヨージフ将軍に率いられた『暁の軍団』だけだった。王や高位の貴族たちの軍勢は、ただひたすら、その後ろで待機していたのである。


 一応彼らの言い分としては、『暁の軍団』と戦って消耗した魔侯国軍と決戦することで、確実な勝利を目指す作戦だったと、後から聞いた。しかしこれは、あまりにも民衆に受けが良くなかったから、直ぐに誰も言わなくなった。


 予想に反して魔王ワズドフを倒すことで魔侯国軍を追い払ってしまった我々『暁』の仲間に、彼らが不承不承ながら名誉と報奨を差し出したのも、やむを得ないことだったのだろう。しかし未だにそれを面白く思っていない連中も、当然いるわけだ。


「それで、どなたが私の対戦相手を務めて下さるのでしょう?」


 俺がそう尋ねると、エドナンテスがモールスを顧みる。


「対戦を望んだのはサムソンでございます」


「サムソン・ド・レイスか! まだ若いが、血気盛んで力のある騎士だぞ。騎士団でも一二を争う剛力だ。このモールスとも、良い勝負をする」


 危ぶむように俺を見たエドナンテスは、十間余り離れた場所にたむろしている男たちに目をやった。その七・八人の中でも、ひときわガタイの大きなのが、そのサムソンという奴らしい。そいつは身体を揺すりながら、威嚇するような目付きで俺をにらんでいる。


「サムソン!」


 モールスが怒鳴った。すると男が陰鬱な目付きのまま、小走りにやって来る。それに少し遅れて取り巻き達も、不機嫌そうな顔をしてゾロゾロと付いて来た。いわゆる金魚の糞というやつである。


「騎士サムソン、お前は騎士ブドリに稽古を付けて欲しいと望んでいるそうだな?」


「稽古? い、いえ。自分は試合が望みであります。稽古などとは、言っておりません」


 そいつの身長は、六尺七指はありそうだった。五尺四指しかない俺とは、一尺以上の違いがある。肩や首には筋肉が盛り上がり、少し猫背に見えるほどである。


 見下ろすように俺の顔をのぞき込む。まだ若いのに髭面の顔は傷だらけだ。


「カロ殿下の護衛を務める者が、どれだけの腕を持つか、確かめさせて貰います」


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