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◆10の1◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第十二日 アルシャーン公爵領 オレルア◆


 あれから八日が過ぎ、運河の水嵩(みずかさ)は上がりつつあるが、まだ曳き船の航行には不安があるそうだ。



「カロ様、焦ってはかえって上達が遅れます。一朝一夕に武技を身に付けられるなら、誰も苦労しません。しばらくすれば日々の鍛錬は決して人を裏切らないことが分かるはずです。そうなって初めて、強くなるための修行が始まるのです」


 自分の持つ木刀が、中々俺の六尺棒に当たらない事で癇癪を起こしそうな王子を、俺はそう言って諭した。


 相当手抜きをしてやっているのだが、動く目標を的確に打つという動作は、それほど難しい。だが戦いの時相手が、打たれるまでじっと待っていてくれる筈など無いのだから、これは必要な訓練なのである。


 王子の筋力では、襲ってくる相手に強い斬撃を仕掛けることはまだできない。だが一刀両断に敵を切り捨てる事だけが剣技ではないのだ。


 むしろ相手に僅かでも傷を負わせ、敵の力を削ぐ。襲撃者の意図を挫くのには、しばしばそれで十分なことが多い。隔絶した力を持つ強者のように見えても、人間は簡単に傷付く、脆いものなのである。


「獅子や狼、猪などの野獣はどうだ? それに魔侯国の戦士達が使役していた魔虫達には、剣も槍も通用しなかったと言うぞ!」


 疲れて集中力を欠くようになり、手元も怪しげになった王子は、早くも逃げ口上を探し始めた。


「獣は、種類に応じた特性を知っていれば狩ることができます。それが智恵ある人間の力というものです。甲殻で覆われた魔虫は手強い相手ですが、実は大きな弱点がございます」


「弱点?」


 心を惹かれたのか、王子が尋ね返す。


「はい、それは魔虫が使役されているという点です。使役する人間を倒せば、魔虫は制御不能になります。暴走するか、無意味に彷徨うかの、どちらかです」


「しかし、魔虫の使役者(デーモンライダー)たちは、手強いのではないか?」


「無論並みの体力では魔虫を意のままに操ることなどできませんので膂力も抜きんでておりますし、貴重な戦力である彼らは、身を守るため太守が与えた、頑丈な全身甲冑(フルプレートメイル)を纏っておりますから、矢や長物による攻撃も撥ね返します」


「そ、それでは手も足も出ないではないか! このような鍛錬をしても意味は無い!」


 木刀の先は完全に下がって地に着き、握りも緩んでいた。俺は軽く六尺棒を振り、王子の手からそれを弾き飛ばす。


「な、何をする!」


「本気で力を身に付けたいと言ったのは、どこの誰だったのでしょう、カロ様? それとも殿下とお呼びしましょうか?」


 この年齢の子どもでは、自分がその場の勢いで口にした言葉を忘れ、ちょっとした苦しさに流されることも避けられない。どこかの吟遊詩人が語った英雄譚か騎士物語を思い出して、俺に師事すると言ってしまったのだろうが、一度言ったことは守らねばならないのだ。それが王族というものだ。


「い、いや……カロと呼んでくれ、師匠」


 俺の視線を避け、木刀を拾う。まあ今、この子を責めるのはこの辺にしておこう。


「デーモンライダーの纏う甲冑は重い。彼らはそれを、一人で脱ぎ着することさえでないし、魔虫から下りて自由に動き回ることもできない。彼らが常に武装した徒士(かち)の者どもを引き連れているのは、そのためだ。単独では小回りの利かないライダーは、魔虫から引き摺り降ろされれば、甲羅をひっくり返された亀と同じだった」


「“暁”は、そうやってライダー達を討ち果たしたのか?」


 王子の頬が、心なし赤味をおびる。自分がその場に居合わせた気分になったのだろう。


「だがそのためには、先ず周りの郎党たちを始末しなければならない」


「では、剣を振るうことも、無意味ではないのだな」


 少しはやる気が湧いてきたなら、結構なことだ。ねんねの王子様をあやしながら修行させるのも、一苦労である。


「剣を使えもしない者に指揮されるのを、兵たちは良しとしない」


 別に敵と直接戦えと言っている訳ではない。王族が最前線に出るなんて、愚かしい振る舞いだ。しかし厄介なことに、兵士達は戦えない男には信服しない。王族であり、同時に指揮官であることの、何と難しいことか。


「続けよう」


 そう言って、王子は木刀を構える。だが、行き当たりばったりでは駄目だ。釘を刺しておかなければ。


「カロ、お前の前にいるのは誰だ?」


 俺は六尺棒を肩に担いで、そう尋ねる。王子は目を見張るが、直ぐに居住まいを正して応えた。


「僕の師匠です」


「ふむ、では聞け。一人前の戦士となるには、強く、優しく、賢くなければならない。他人にも自分にもだ。そしてこの三つは繋がっている。強くなければ、本当に優しく生きることなどできない。真に優しくあるためには、それを支える強さが必要だ。隣人と自分自身を守り切るには、強くなければな」


 ここで一度言葉を切り、王子の眼を見た。理解しているのかいないのか、確認するためだ。少なくとも聞いてはいるように見えたので、話を続ける。


「だが賢くなければ、強くはなれない。デーモンライダーと同じように、どんなに強く見える者にも弱点がある。己の弱点を克服し、敵を打ち倒す強さを自分のものとするには、賢くなければならない。特に、優柔不断や怯懦によって自分を台無しにしないためには」


 どうやら素直に聞けている。ここで自分が責められていると受け取り、反発するようであれば、先の見込みは無い。教育係の伯爵夫人(ローズ)は、少なくとも他人の話をまともに聞こうとする態度だけは、身に付けさせたようだった。


「賢くあるためには、自分自身の心に優しく向かい合うこと、他人のことを思いやり、理解しようとすることが欠かせない。自分に対して粗暴であったり、他人の価値に無関心であったりする者は、智恵を得ることなどできないからだ」


 俺の今話しているのは、ネネムが俺に教えたことの受け売りである。奴が誰かから聞いたことなのか、それとも自分で考えたことなのかは、知らない。ただ今後、俺自身とカロ王子の時間を無駄にしないためには、この話をしておくべきだと思ったのだ。


「カロ、お前は強くなりたいと言う。だが“強く、優しく、賢く”なろうとしなければ、その望みは叶わない。今はまだ俺の言うことが理解できないかも知れないが、お前が目の前の“強さ”だけを目指すなら、あのデーモンライダーのように地面に引き摺り降ろされ、滅多打ちにされて息絶えるような羽目になりかねない。このことを考えておけ。いや考え続けるのだ。本当に強くなりたければな」


 長く話し過ぎた。こんなのは俺の柄じゃない。俺はネネムじゃない。今も俺の言葉で話せた気がしない。だが言わないではいられなかった。でないと俺はこの子にただ六尺棒に木刀を打ち付けさせているだけの、何だか分からない運動を強いることになると思った。


 王子が俺の言葉を理解したようには、見えなかった。だがそれでも何を思ったのか、ヘトヘトになってぶっ倒れるまで、俺の課した修練を黙って続けた。今はそれで良いということにしよう。



 王子の努力に報いると言うつもりではないが、俺はエドナンテスに少し事情を話し、カロ王子が使える武器を手に入れることができないか尋ねた。彼は少し考え込んだ後、自分が子どもの頃使ったお古を譲ってくれた。刀身が一尺三指、最大幅二指ほどの短剣で、重さは一斤半以上ある。


 お古なので、出所は知らせないでくれと言われた。だが刀身にはエドナンテスの紋章が刻印されていたから、伯爵夫人にでも見られたら一目瞭然だろう。


 この他に同じくらいの重量と長さの、刃引きした練習用の短剣も用意してくれた。こちらは地元の刀鍛冶に一日で打たせた即製品だそうだが、新品である。二本合わせれば、一財産以上の価値はあるだろう。さすがは公爵家だ。


 無論直ぐに王子の手に渡す気はない。素振りもまともにできない今のカロに持たせれば、自分で自分の下肢(あし)に斬り付けるのが落ちである。初心者が最初に負傷する原因は、自分の武器である可能性が一番高いのだ。


 その他に、アルシャーン公爵家お抱えの騎士団の訓練を見学させてくれるよう、俺はエドナンテスにたのんだ。聞けばシャンボー城では、カロ王子たちはまだ幼いと言われ、聖銀騎士団の訓練風景を遠目で見ることしかできなかったという。武器と武器、肉体と肉体をぶつけ合う光景を目の当たりにするのも、今のカロには必要なことである。


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