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◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二日 ◆
陽が落ちる頃、オレルアの城壁が見えてきた。チェリス婆さんが一刻ほど前に先触れを出し、二人の殿下の来訪を知らせたので、門はまだ閉じられていない。
それどころか、火を灯した松明を持つ町の警士たちが門の外に並び、殿下たちの乗った箱馬車とそれに付き従う供の者たちを出迎えたのである。
地元の者はオレアンスと呼ぶこの町は、アルシャーン公爵領の西南部にあり、旧帝国の時代からラモレ河流域の戦略的要衝であった。
ここでラモレ河は西北に向きを変え、河口の港町アンジへと向かう。山峡を抜けた後のこの河の流れは度々増水して氾濫することがあり、橋を架けられる場所はわずかしか無かった。その橋の一つが、旧帝国期の中頃からここにあったのである。
しかもヴーランクの時代になると、ラモレ河が北西に曲がるこの場所と領都パーリスの間に、切れ切れに存在した水路を繋いでゼド運河が作られた。この運河のおかげで、それから時を置かずオレルアは、王国の富都として五指の内に数えられることになった。
ヴーランク王国の五大富都と言われるは、王都ゴルデンブルク、アルシャーン公爵領の領都パーリス、中っ海の西半分と外洋航路を束ねる商都ポラァノ、中っ海東半分の航路と東方への商隊路の最終到着地である港マルシィ、そして国内流通の要であるオレルアである。
ポルスパイン王国との連合成立後もその地位は揺るがず、ポルスパインの王都であったマドリィでさえ、その都市の有する富という点からは、これらの五都市に及ばなかった。
もっとも元々ポルスパインの富は、広い高原で営まれる牧畜と、山地から低地に流れ下る水流に依存して穀物・蒲萄・橄欖などを生産する農業、そして北東部の山脈からの鉱物資源などから生まれるものであり、都市経済の基盤である商工業が未発達であったからでもある。
日照時間の長いこの季節でも、十ノ刻になると天空は夜の帳に閉ざされる。だがオレルアの街路には灯火の光を漏らす店が立ち並び、人々が行き交っていた。
俺たちの馬車は警士たちの先導でそれらの人々をかき分け、代官の公邸へと向かう。さすがにニコラたちは馬を下り、手綱を曳いて付き従って来た。今夜は全員寝床で寝られるだろう。
王子と王女はそれぞれ部屋に案内されると、持ち込まれた湯船で身を清める。これは大人の身体がすっぽり入る銅でできた舟形で、召使いたちが桶で湯を運んできて満たした。
俺は面倒臭がる王子をなだめ、湯浴みをさせる侍女たちを手伝う。そこへ大きな銀鍍金の盆に器をいくつも載せ、代官の召使いたちがやって来た。
「殿下、おつむを洗ったら、夜食をおとり下さい」
「お腹空いた! 今、食べる!」
「あっ、お待ち下さい! 身体をお拭い下さい! それでは風邪をひきます!」
王子が浴槽から跳び出し、濡れ鼠のまま寝台横のテーブルに走り寄った。耳の下に長さをそろえて刈ってある黒髪から、ポタポタ水が滴って床に振り撒かれる。寄木の美しい床が台無しだ。堪え性の無い子どもである。
俺は若い侍女から大きな拭い布を取り、王子の頭からかぶせた。
「わーっ、何をする!」
俺の身長は五尺四指だが、王子はそれより四指ほど低いだけだろう。だが、体重はいいとこ七十七から七十八斤というところだ。それに何より、筋肉が無い。
持ち上げられて俺の腕の中でジタバタする王子を取り押さえるのは、ヒヨコを掌で包んで捕まえるより簡単だった。
「や、やめろ! ブドリ! その首をちょん切ってやる!」
「出来もしないことを言うのは、おやめ下さい」
「な、何だと! 衛兵に命令して、地下牢にぶち込むぞ!」
「衛兵なぞ、ここにはおりません」
王子は暴れて俺を蹴飛ばそうとしたが、大きなフランネル布で頭から包まれお姫様抱っこされた状態では儘にならない。叫んでも、厚手の布の中でモガモガいうだけだった。
抵抗をやめて大人しくなったので、クッションの積み重なった寝台に放り投げてやった。
まとわりつく白いネル布から抜け出した王子が立ち上がって、「ぶ、無礼者! 僕は王子だぞ!」と俺に指を突きつけて叫ぶ。しかし、真っ裸で可愛いちんちん丸出しでは、威厳などあるわけ無かった。
「そして私はこの旅の間、王子の師匠です」
「戯言を言うな!」
「おや、お忘れですか? 馬車の中でご自分が決められたことを。王族の言葉というのは、随分と軽々しいものなのですな」
「な、何い!」
「はて、殿下が私めにあの技を手解きせよと言われたのは、戯れ言でございましたか?」
「それと何の関係がある?」
寝台の上に裸で立ち尽くす王子に歩み寄った俺は、右手を上げると丁度いい位置にある彼のちんちんを、中指で弾いてやった。
「わあ、やめろ!」
「関係は大ありです。己を律せぬ者にこの技の修行は勤まりません。何ですその姿は! いくら子どもとは言え、王族の自覚をお持ちなさい」
カロ王子は両手で股間を隠し、少し前屈みになった。涙目になってる。先っちょを少しパチンとやっただけだ。
「教えを請う気があるなら、私の言葉に耳を傾け、私のすることを注意深く見るのです。文句を言わずにね」
「王子に対して……」
「早く服を着る!」
俺に怒鳴られ、侍女に助けを求める視線を向けた。それから渋々と言った動きで、侍女の差し出すシャツに手を通す。十二歳にもなって、自分一人では着れんのか!
まあ、王族というものは配下に仕事をさせること自体が仕事なのかもしれない。ただ、俺に求められた仕事を果たすためには、このままという訳にはいかない。
俺は先ず、カロ王子の躾から手を着けなければならなかった。




