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◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二日 ヴァルシェリン村◆
侵略者である魔侯国を撃退したのが主にヴーランクの民を中核とする俺たちの軍団であったことから、それまでほぼ対等であったポルスパインとヴーランクの力関係が大きく変わることになった。
魔侯軍は陸伝いに東から攻め寄せてきたのだから、彼等と先に衝突するのがヴーランクの戦力であるのは当然のことだった。その西側に位置するポルスパインの貴族たちは、実はその戦いでヴーランクの主戦力が消耗することを期待していたと言ってよい。
ヴーランクが万が一魔侯軍を抑えきることができなかったとしても、奴等を相当に消耗させその勢いを鈍らせることは間違いないはずだった。
ヴーランクの背後で満を持して待ち構えているポルスパインが、その弱体化した魔侯国軍を撃破する。それがラゴ伯爵を筆頭とするポルスパイン勢力の目論見だった。
そうなった時、連合王国の覇権を握るのは自分たちだ。彼等はそう確信していたはずである。
ところが、あのたった一回の奇襲の結果、ヴーランクの主戦力が温存されたまま戦いは終わってしまった。
聖教会と結託したルイジ王は、その巧みな政治手腕で俺たち『暁の軍団』の成果を我が物とし、ヴーランクの支配領域を夜の森の東側、ナルコムス平原の西端にまで広げた。奇蹟と言ってよいほどの成果である。連合王国を二分していた両勢力の均衡が大きく傾くこととなった。
ラゴ伯爵夫人の忠誠心は元よりポルスパインにある。彼女自身の出自もそこであるし、血縁地縁もまるで蔦の茎や葉が広がるように彼の地を覆っていた。彼女が今の夫の元へ嫁いだのも、王妃の身近でカロ王子とセシル王女の教育係を務めることになったのも、それがあればこそであった。
「殿下、魔導の修行に片手間で取り組むことは、百害あって一利無しでございます。殿下が王族として学び身に付けるべき他の多くのことに、それを優先することがおできになるでしょうか? 魔導は殿下の時間を、精力気力体力を、そして何よりも『幸せ』を奪います。若き血潮のもたらす喜びを、若草のような初々しい感覚の記憶を、硬質な石版に変えます。そして一つ過ちを犯せば、文字通り石の柱に成り果てることを覚悟せねばなりません」
「お前がそれを言うのか、ブドリ?」
「殿下、私めも、最初から自らの望みでこの路に踏み込んだ訳ではありません。しかも私など、師匠から見たら半端者です」
「それが二十人もの男たちを一人で圧倒した男の言葉なのか!」
王子はあれに感銘を受けたようだが、聖銀騎士やそれなりの魔導師なら驚くほどのことではない。魔導力をどの程度利用できるかによって、この世界の者の強さには越え難い格差が存在した。
「殿下はお嫌いなようですが、あの侯爵であれば、あのような者たち百人が相手でも容易く倒すでしょう。私が対等に戦えるのは聖銀騎士団なら平騎士程度がせいぜいです。その騎士団に命令を下し、戦いに赴かせるのが王族でございます。はたして、王族に魔導の修行が必要でしょうか?」
俺の言葉を聞く王子の顔には、その幼さに相応しくない苦渋の色が浮かんでいた。
「そういうことではないのだ! ブドリ、余は兄たちに先んじなければならぬ。だが、今の余は年若いということで侮られている」
「それが許せないのでございますか?」
俺の問いに視線を落とした後、声を絞り出すようにして王子は答える。
「余はせめて、自分とセシルを守る力が欲しい。無力のままでいることは苦しいのだ」
なるほど、これは本音らしい。現実に襲撃を受け、命の危機に晒された子どもの正直な思いだろう。だが、魔導の路は冥府の神である魔神に捧げられている。一時の気の迷いで踏み込んでいい世界ではない。
しかしカロ王子が今から剣を振り槍を持って訓練を始めたとしても、一人前の武人と対等になるためには年月が必要だ。たとえ才能があっても、身体の大きさ筋骨の量そして技量を支える経験無くしては、大人の戦士に打ち勝つことなど望めない。
とっさの敵襲を回避し、取りあえず身を守る術ぐらいは、持たせてやれるかもしれない。
「身体強化、回避と敏捷の技、感覚の強化、少しの剣技、私に教えられるのはその位でございますよ。それに普通の武技と同じく、この技を身に付けるのには時間がかかります」
「元より数日で強くなれるとは思っていない」
取りあえず今は、殊勝な態度で王子はそう言った。
「それに魔導の修行は、貴族王族の習慣とは相容れぬ部分がございます。また、教え方にも様々な流儀があって、女伯爵であれば、私のやり方に顔をしかめるかもしれません」
「よい、お前に任せる」
「その言葉を、お忘れ無きよう。ではローズ様、今晩から私は殿下のお側で眠らせて頂きます」
「そ、それは……」
「なに、ベッドの横の床で護衛も兼ねて寝るのです。さすがにドアの外では、十分な近さではないので。侍女の方には説明を。それからセシル殿下はローズ様とお休み頂かなくてはなりません」
「当然のことです。お前と一緒の部屋になど!」
伯爵夫人がしかめっ面でそう言う。
「私は魔導の技を教えて貰えないの?」と、不満そうなセシル王女。
「王家の魔導師団には確かタッラとテッラというプリノイデス家の姉妹がいて、二人とも幻惑を操ると聞いております。もう一人、火炎を操るクヴァス・ステルスキという二十歳を過ぎたばかりの女もいて、こちらは武闘系の魔導師です。セシル殿下が魔導を学びたいとおっしゃるのであれば、二年ほど後にこの者たちのいずれかに師事することをお奨めします」
伯爵夫人は王子の決心を見て取り、今は口を差し挟むべきではないと判断したようだ。やはりこの女は賢く、宮廷の中で敵に廻したくない相手である。人の心を見透かし、冷静に言葉と態度を選ぶ。
「さっきお前の師匠の話をしていたな。ネネムという男は、魔導師団の上位四人と戦い、相打ちになったと聞く。お前を半端者と評したネネムとは、どのような男だったのだ?」
朝食を食べ終わっていない王子が、伯爵夫人に促されてサラダを突きながら、座興のようにそう尋ねた。
師匠がまだ生きていることに俺は確信を持っているが、今はそれを言うべきではないだろう。
「さてそれは、後ほど馬車の中ででも、お話いたしましょう。今はまず、食事を終え、この村を出立することが肝要です」
「騎士ブドリの言う通りでございますよ、殿下。出発が遅れますと、今度こそ野宿ということにもなりかねません」
伯爵夫人にせかされ、王子と王女は食事を済ませ、着替える。館の外に出ると領主の男爵が見送りのため、馬車の側に控えていた。
王子は「見送り、御苦労である」と、一言掛け馬車に乗り込む。王女は微笑んだだけだ。
昨日の襲撃について、男爵の責任を問うことはしないと、女伯爵が伝えてあるはずだ。その代わり、後始末は丸投げという交換条件を示してある。ギィへも便宜をはかってくれるよう、頼んでおいた。
やがてニコラの騎馬を先頭に行列が動き出した。朝の空に輝く太陽の下、巣離れした雛鳥たちが麦の穂の先を掠め、餌になる虫を追って飛び交っている。
埃立つ街道を進み出す馬車の前後を守るのは、黒いお仕着せを身につけた女伯爵の郎党だ。今日も暑くなりそうである。
※本作品と並行して、新連載『ポンコツ宇宙船拾得顛末記(仮)』の投稿を本日、四月四日より開始しました。読んで頂ければとても嬉しいです。




