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◆9の5◆

◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第一日 ヴァルシェリン村◆


 ヴァルシェリン村には、十ノ刻になる少し前に着いた。すでに陽が落ちて、辺りは暗闇に包まれている。この村はオレルアを通ってアルシャーン公爵領の領都パーリスに至る街道の宿場の一つであった。


 俺たちの一行の内、王子と王女それにラゴ伯爵夫人と女伯爵のチェリスは、当然この村の領主である男爵の館に宿泊することになる。侍女たちも一緒だ。


 ニコラと配下の郎党、それから御者や馬丁雑用係などの男衆は、村の宿屋で夕食をとり、そのまま床や長椅子ベンチで雑魚寝である。まあ屋根の下で寝られるのだから、御の字というものだ。


 驚いたことに、俺は男爵の館に泊まるように言われた。一応、護衛という名目だ。女伯爵からそれを聞いたニコラのこめかみは引き攣っていた。寵を奪われたとでも考えたか。なあに、王子が馬車の中の話の続きを聞きたがっただけさ。


 王子と王女の年齢に配慮して、二人の夕食は彼等の寝室に運ばれた。伯爵夫人と女伯爵が男爵との晩餐に臨んでいる頃、俺は二人の子どもの夕食のご相伴に与った後、寝具に入った二人に寝物語だ。勿論ベッドの脇には、侍女たちが控えている。


「はい、ワズドフの首級を上げはしたものの、そこは敵陣の真っ只中でございます。勇者ロークスが「我こそはミルヒロークス・ヴェヴィエント、ヴーランク王国カヌの騎士なり! タブークのスルタンにして王の王を僭称せしアリフラルミ・ワズドファム・アル・ラディーン・メイリャムを討ち取った!」と大声で告げますと、辺りは混乱の極みに陥りました。何しろ時刻は一の刻。多くの敵将は鎧兜を外し、それぞれの天幕で高いびきの最中でした。魔導師ネネムは八方に火炎の飛礫つぶてを放ち、我らが引き倒した天幕を消えぬ炎で焼きます。」


 実はこの話は二度目なのだが、王女様だけでなく王子様まで馬車の中で寝落ちしてしまったので、再演させられているところだ。二人はそれぞれ聞き逃したところが違うようで、「そこは聞いた」だの「いや聞いてない」などと言い合い、一向に寝ようとはしない。


「ワラワラと群がってくる魔侯国の兵士たちですが、聖騎士オリザがあの長大な聖槍を右に一振りすると十人が、反対に左に一振りすれば更に二十人が弾き飛ばされます。本来であれば両手で振るう長剣を右手に、そして狼の紋章を付けた盾を左手に持ったモリア子爵様が後ろから襲い来る奴ばらを打ち払いました。その間に炎は燃え広がり、魔王の生死を確かめようと右往左往する寵臣どもも、全て刀の錆と成り果てたのでございます。指揮系統を失った魔王の軍に、ヨージフ将軍は強襲をかけました」


 実際はワズドフを倒した後、俺が陣中を走り回って『火炎樽フランマ・ドリオ』の中味である原油ナプタ、硫黄、硝石、松脂などの混合物を盛大に撒いた。そこへネネムの火炎礫で各所同時に火を点ける。辺りは火の海になった。


 余りに広範囲な場所で火の手が上がるのを目にし、更に将軍に率いられて攻めてきた軍勢の鬨の声に驚かされた魔侯軍の兵士たちは、恐慌をきたし戦うことなどできなかった。


 敵地で統制を失った軍など、どれだけ多くとも脅威ではない。俺たちは奴等を各個撃破で打ち倒していった。総勢二千余の『暁の軍団』が数万の敵軍を崩壊させたのである。


 後から判明したことだが、この時俺たち『軍団』の兵士が武器を振るって殺した敵の数より、火に巻かれて焼け死んだ奴や、逃げ出そうとして転倒し味方に踏みつぶされて命を失った者の方が多かった。あるいはその後、逃亡の最中病死したり餓死した者、孤立して野の野獣に食い殺された者も多かった。


 敵地での敗残者の末路は悲惨である。だが無論、奴等がそれまで為してきた残虐非道な所行を考えれば、同情の余地など無い。


 かって聖銀騎士団が魔侯国を侵略し、奴等に緑海へと追い落とされた時、あの傲慢な騎士たちも同じ憂き目を見たのだろう。そして今度は奴等が、復讐の念に駆られ、遙々ヴーランクまで進軍してきた結果がこれである。


 戦いというのは虚しいものだと、その時は思った。


 だがそれを、この王子と王女に、どう伝えられるというのだろう。


 話したって伝わりはしない、と思う。あの血泥の戦場、土埃に塗れた長きに渡る戦途、飢えと渇き、戦傷や病苦の苦しみ、殺し合いの恐怖……それらをどう伝えればよいのか。


 俺自身だって四六時中そんなことを考えていたりしない。


 それに、恵まれているように見えるこの二人の殿下も、今日の日中にはその命を奪おうとする、数十人もの男たちの襲撃を受けたばかりなのだ。


 貴族王族という人生も、楽なものではない。まあ少し、楽しませてやろうではないか。昼間箱馬車の中で何度か眠ったせいで、まだ直ぐには寝そうもない子どもたちだしな。



 師匠と俺とがそこら中に火を放ち、ヨージフ将軍と騎兵隊長のダグウッド男爵(当時は士爵)が率いる軍団が魔侯軍を蹂躙した話が終わった頃、子どもたちが船を漕ぎ始めたので、俺は侍女たちに合図して、燭台の蝋燭を消させた。


 廊下に出て扉を背に座り込む。これでも一応護衛なので、寝ずの番、はしないが、出入り口は守る。外開きの扉を開けようとしたら、その前に俺を排除しなければならない。



 明日、夜明け前にはリオスが荷馬車二台と人手を連れて、ギィが見張り番しているあの襲撃地点に向かう手はずだ。後始末して『剥ぎ取り物(トロフィ)』を積んで、この村に帰ってくるのは、どう考えても昼過ぎになるだろう。


 その前に俺たち一行は村を出立するから、ギィたちが追いつくのは明日以降と考えるべきだ。また、孤立無援だな。






◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第二日 ヴァルシェリン村◆


 夜明けと共に起き出し加行を済ませ、王子と王女のために厨房から身体を拭くための湯を運び、ついでに自分も身を清めた。


 朝食は、麺麭焼き竈から出したばかりのホカホカの白麺麭、オリーブオイルと岩塩、茹で玉子と川魚の燻製を添えたアーティチョークと野萵苣のぢしゃのサラダ、林檎酒シードル、刻んだ玉葱と砂糖大根ビーツを詰めた鶉の丸焼きが出された。


 ヴーランクでは百年ほど前まで、地面の下に生える物は身分の低い者の食べ物だと考えられ、貴族の食卓に野菜がほとんど並ばなかった時代があった。しかしこれもあの疫病の大流行を切っ掛けに聖教会の指導が行き渡り、『肉ばかり食べるのは偏った食事である』『偏った食事は命を縮める』とされるようになった。


 貴族たちの厨房では、それまで肉の臭みを消す香草ハーブこそ多用されていたが、それ以外の野菜を身分高き人々に供してはならないとされていた。今では考えられないことである。


 ちなみに当時、聖教会は『肉食ばかりしていると心は落ち着きを失い、激しやすくなる』『肉食は攻撃性を高め、決闘好きになりやすい』『肉食は強欲の源であり、また色欲を抑えることができなくなる』『肉食は臓腑を腐らせ、病の元になる』『肉食は智恵を鈍らせ、白痴を産む』等々、肉食は諸悪の根源であるかのような説教を聖堂でおこなったという。


 ただこれは、疫病の災禍により食料の生産性が極端に落ち込んだ時代、貴族にも肉食を控えさせ、穀物・豆類・野菜中心の食事に変えることを目指したのではないかと思われる。


 つまり肉の生産のため家畜に与えられる飼料の生産分を、人間が直接消費できる食物に転換させようという拙い試みだったのだろう。


 その証拠に、それから十数年経って食料生産高が改善の方向に向かうと、このような過激な説教は減少していった。余裕が生まれれば人間どうしても贅沢をしたい。貴族たちの『肉を食いたい』という欲望は抑えきれず、貴族と何かと繋がりを抱える聖職者たちにも、肉食に対する積極的な攻撃を控えるような影響力が行使されたということは、想像に難くない。


 ただしこういう経緯があって、貴族にも『肉食だけに偏るのはよくない』という考えが、定着したのだろう。つまり『野菜も食べろ』というのは、一種の免罪符的な言説なのである。



「カロ様、サラダもお食べ下さい」


「いやだよ、ローズ。王族は草なんか食べない。そうだよな、セシル」


「セシルは食べるもん」


騎士シニョールブドリも食べておりますよ」


「え?」


 王子が食卓を共にしていた俺の方を意外そうな目で見る。俺はサラダにオリーブオイルと塩を振り掛けて食べていた。


「食物への配慮は、加行カリタの一環なのです」


「そうなの?」


「身体強化などのスキルを得るためには、この加行を修得することが欠かせません。また加行を継続しなければ、力を失ってしまうものなのです。『王族は草など食べない』と殿下に言った者がいるとしたら、その者は殿下が魔導の力に目覚めることを怖れているのかもしれません」


騎士シニョールブドリ!」


 伯爵夫人ローズが、あわてて俺の言葉を遮った。


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