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◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第一日 ラモレ渓谷の街道◆
ニコラと配下の郎党二十三人で倒した人数を数えると十二人だった。
街道の右側にニコラたちの仕留めた奴等を、左側に俺の倒した者を並べる。万が一生き残っている奴がいれば止めを刺す。
右側に並べられた者たちはすべて毒にやられたらしく、どれも顔が鬱血して異様に黒かった。
左に並べられた屍体を、一つずつ調べていく。いずれも身元を示すような物は持たず、武器も刻印や紋章などは無い。にもかかわらず結構立派な『揃いの』仕立ての得物である。これは大身の貴族が配下に『危なくて後ろ暗い』仕事を命じる際に持たせる、別枠の道具なのだろう。
それぞれの服装も、茶系の目立たない配色であるが、生地や縫製はしっかりした物だった。鎖帷子や兜を身につけている時点で、間違いなく身分は騎士階級かその従者である。
「シャンボー城に戻りますか?」
俺がそう尋ねると、チェリス女伯爵だけでなくラゴ伯爵夫人も、首を縦には振らなかった。まあ、戻ってもあまり良いことは無さそうだし。
「ねえ、見せて」
「お外に何があるの?」
「お二人とも危のうございます。お待ち下さい」
「だって、もう終わったんでしょ」
箱馬車の中では窓の外を覗き見ようとする王子と王女を、侍女の一人が必死に止めている。女伯爵の郎党は、七人が箱馬車を取り囲むようにして立ち、残りは倒木を片付ける作業中だ。
「先へ進むとして、こいつらの亡骸はどうしますか?」
三十人分の武器や鎖帷子、兜なんかを合わせると一財産以上の価値がある。まあ剥ぎ取りをしないで埋葬するとしても、一刻では終わらないだろう。シャンボー城に戻らない知らせないとなると、そこからの人手も望めない。
この辺には宿泊予定のヴァルシェリン村まで集落がなく、このままでは日没後の到着となりそうである。
「そなたの力であれを何とかできないのですか?」
ラゴ伯爵夫人がそう尋ねた。倒木をどうにか移動しないと、馬車は立ち往生だ。
「生憎、非力なものでして」
「先ほどは、あっという間に二十人近くを倒したようですが?」
そんな期待を込めて言われてもなぁ。俺はロークスやサティみたいな怪力の持ち主じゃないんだ。
「馬車を引いている大型馬にロープで牽かせれば、動かせるかもしれません」
「良い考えです。ザレス!」
「はい、奥様。ロープは荷馬車にございます!」
声を掛けられた箱馬車の御者が前の座席から飛び降り、駈け出した。助手らしい若い男が、先導馬から馬具を外しにかかっている。
「ふむ、こういうことには慣れているようだな」
女伯爵のチェリス婆さんが、話しかけてきた。
「戦場では、ありがちなことでございますので」
「なるほど、お前はあの襲撃にも参加したのだったな」
「はい、魔王を倒したとき、その天幕に一緒に突入いたしました」
「ほぉ、その話はぜひ聞きたいものだ」
半刻後、ギィとリオスが騎馬でやって来た。シャンボー城の方からだったので、ニコラたちが「すわ再襲撃か!」と、武器をとって襲いかかろうとした。だが俺が先に物見に走り、事なきを得た。まあ、どのみちこの二人は王子たちの一行に追いつく段取りだったんだけどね。
出立の準備をしている間、今後の手はずを走り書きした手紙で重りの石を包み、窓下に忍び寄ったリオスに投げ渡した。移動王宮ってのは多くの人間が出入りし、シャンボー城も無駄に広いから、あいつだってそれぐらいはやってのける。
「なんと、バラバムート商会の女会頭だとな! お前の顔見知りか?」
俺なんかよりギィの方がよっぽど有名人だ。チェリス婆さんが眼を見開いてそう言った。
ギィはバフメット商隊ギルドの『親方』でもあるから、宮廷では準男爵扱いだ。それでも貴族ではないから、『役に立つ動物』のように見られていると、前に本人が零していた。
俺はニコラと交渉し、屍体の後始末とその武器装備の買い取りをギィに任せることにした。好んで無駄な時間を費やすことは、チェリス婆さんも望んではいない。それに今回の襲撃に対する成績は俺の方が高かったから、説得は容易だった。
「俺が倒したのは十八人、そっちが十二人。バラバムート商会からの支払いを五等分して、俺が三でそっちが二だな。嫌なら俺の分だけの始末を頼む」
ニコラは「自分たちの方が人数が多い」とゴネようとしたが、婆さんに睨まれて諦めた。
馬車の中から抜け出したカロル王子が、並べられた屍体に興味を惹かれ、駆け寄ろうとして侍女に制止されている。
「何だい、ただの死人じゃないか。ちっとも怖くなんかないぞ!」
「いけません、殿下! ここでお待ち下さい!」
セシル王女の方は馬車を降り、扉の外の足置きの上に立っていた。両掌で顔の下半分以上を覆っているが、その指先の隙間から覗いた碧い瞳の眼を、好奇心一杯に見開いている。
ヴァルシェリン村で人手と荷馬車を調達するための使いでリオスが、ずらされた倒木の隙間を抜け、馬を走らせていった。
「王子様、王女様、馬車へお戻り下さい。もう死んでからしばらくたちましたから、嫌な臭いがいたしますよ」
駈け去るリオスの方を見て、口をポカンと開けている王子の傍まで歩いて行った俺は、そう声を掛けた。
「臭いの?」
王子が少し怯えた表情でそう尋ねた。
「はい、この暑さでは、直ぐに臭い出します。あまり近くに寄ると、臭いが染りますよ」
「えっ?」
カロル王子は途端に後ずさりした。今までのは空元気だったらしい。この子たちは庶民と違い、まだ人の生き死にを間近で見る機会がなかったのだろう。
町場の子どもであれば、年に何度か公開処刑があってお祭り騒ぎになるから、この歳で死を知らないということはない。田舎では、秋の終わりに余分の家畜を屠殺するのが恒例だ。町の城壁の外では、害獣が人を襲うことも珍しくない。
町に住んでいようと農民としてその外で暮らしていようと、同居人の命が失われる場面を子どもが目にすることは珍しくないのだ。王族の子というのは、とてつもなく過保護に育てられているものらしい。
「もしよければ、私どもが魔王ワズドフを倒した時のお話を、後ほどお聞かせしましょう。無論、伯爵夫人のお許しがあればのことですが」
俺が王女の傍のラゴ伯爵夫人の方を見ると、王子もそちらを振り返った。二人の保護役であるはずのこの女は、今まで何をしていたのだ?
視線を交わして理解した。彼女は『荒事』が苦手なのだ。多分だが、そっちの方は夫のラゴ伯爵が受け持っていたのだろう。ぽっちゃりとした丸顔に光る緑の眼に、怯えが見える。
まあ、だからこそ護衛はチェリス婆さんに任せられたのだろうと思う。王妃の人を見る眼は確かだ。
「いいでしょう、ローズ」
「え、え、まあ。女伯爵が、よいとおっしゃるのでしたら……」
責任回避してチェリス婆さんに押しつけたな。婆さんは俺に好意的でないと考えたんだろう。王子もこの婆さんに我が儘言うのはためらっている。
「勿論よおございますよ。この者はその場にいて、その手柄で叙爵されたのですから、たんと面白い話が聞けましょう」
「え、ほんと? 凄いや! ありがとうチェリ!」
興奮に頬を赤らめて、王子が子どもらしい声で叫んだ。余ほど退屈していたのだろう。
「ねぇ、いつ、いつ? 直ぐに聞きたいよ!」
王子がまた叫ぶ。王女の方も嬉しそうに、傍の伯爵夫人に「いつ?」と囁いている。夫人の表情は困惑を示し、利害を天秤に掛けている最中だと分かった。
伯爵夫人は俺がサティの紹介でチェリス婆さんの下に付いたことを、宮廷内に張りめぐらせた『伝』から、既に探り出している。だから婆さんと俺とでは、利害関係が異なっているはずだと判断したのだ。だが婆さんとしては、王子たちと伯爵夫人の間に異分子である俺が一時的にでも挟まるだけで、十分見返りがあると考えたのだろう。
「馬車に乗っている間の無聊を慰める為、同乗させて話をさせましょう」
伯爵夫人が答えを出す前に、チェリス婆さんはそう言ってニッコリ笑った。いや、ニッコリではなくてニヤリだな。