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◆神聖歴千五百二十六年 八ノ月 第一日 ラモレ渓谷 シャンボー城◆
ヴーランク王の第三王子カロルは十二歳、その妹のセシリア王女は十歳である。どちらも黒髪、色白で頬に雀斑があり細身であるのはルミナ王妃の血を統いているせいだろう。ただ瞳の色だけは碧く、緑色の瞳の王妃と異なっていた。
二人ともまだ十代初めの子どもらしい体つきで、身長は兄の王子で五尺、妹の王女は更に四指ほども低い。
「かあさま」
「かあさま」
別れを告げる王妃に、そう言いながらすがりついている姿は、気の良い人間ならお涙頂戴物だろう。王族というものは下々のような肉親の情を持つようには育てられないと聞いたが、それでもこの二人の歳では心細くなっても仕方ない。
「カロ、セシル、二人ともチェリの言うことを聞くのですよ」
ルミナ王妃は小柄な女で、子どもたちに抱きつかれて身動きとれないでいる。
「お二人とも、王妃様が困っているではありませんか。もうお離れ下さい」
黒いローブをまとっった長身の女の、しわがれた声が諭すように言った。多分こいつはギィより背が高い。ただしやせ細って骨張った身体は、枯れ木のような印象を見る者に与える。チェリス・ブランディ・ドナ・シーバ、毒霧の魔女だ。
昨晩は王の居室の側のサティの部屋に匿ってもらった。ヴァルド侯爵の手下たちが城内を探し回っていたからな。長椅子を借りてお泊まりだ。
朝になって食い物を調達しに出ようとしたら、サティに捕まった。それからここ、王妃の部屋に拉致され、壁際に控えている。
チェリスの婆さんに紹介され、いつの間にか王子と王女のお供の一行に加えられることになった。まあ、人手が足りないということらしい。肝心なのは、ヴァルドたちと俺が敵対していることだそうだ。つまり、敵の敵は味方という発想だね。
でもいいのか? 俺様は由緒正しい貧民窟の出であり、『盗賊』だぞ。一応今は『士爵様』ではあるが、騎士とか騎士とか騎士とか、地方によっていろいろ言い方に違いはあるが、つまりはそれなりの軍を率いる士官、ではない。
この辺平民には分かりにくいが、微妙な違いのようで宮廷内では大違いなのだ。例えば俺の身分では、貴族様に意見を上申することも許されていない。何か伝えたいことがあったとしても、上役の『騎士』を間に挟んで、間接的に報告するしかないというのが儀礼となっている。
ましてや王族である王子や王女については、同じ空気を吸うことさえおこがましい、というのが身分制度上の俺の立ち位置だ。だから俺は『この部屋に居てはならない存在』ということになる。
本当なら王族に直接仕える召使いというのは普通、『貴族又はその血縁の者』のはずなのだ。それ以外の者については、たまたま近くに居たとしても、それは人間ではなく『物』としてしか扱われない。
え、意味が分からない? うん、俺にも分からん。昨日、王が俺に『直答を許す』と言ったこともあり、なし崩し的に王族の随員として採用されることになったらしいが、俺には意味不明だ。
「それで、この男が騎士ブドリなのですね」
「あー、王妃様。彼はその……」
「あ……、騎士でないブドリでしたね」
サティの指摘に王妃も戸惑いを隠さない。王子と王女は珍しい動物を間近で見る機会を得たように、好奇心満々で俺のことを眺めている。不機嫌そうだが、普通に眉をしかめて俺を見ているのはチェリスだ。
「王妃様、今回はどうしても『汚れ仕事』を必要とする可能性がございます。また私が連れてまいる一族の者や郎党だけでは手が回らぬ虞もありましょう。この者は騎士オリザの下人で、大変有能な男とのこと。身分卑しき者ではございますが、一時両殿下の身辺の警護に当たらせようと思いまする」
『汚れ仕事』、つまり俺は雑巾扱いで、始末が付かなくなれば捨てられる運命の『物』ということだ。だが俺は知っている。このチェリスの婆さんだって元は下級貴族の出だ。たまたま魔導の能力が高く、しかも狡猾だった。三十年以上かけて多くの人間を蹴落とし、今の地位まで這い上がってきたのだ。
「ブドリ、私の子どもたちのこと、頼みましたよ」
「はっ、お任せ下さい」
なるほど、必要があれば『物』でしかない俺に直に声をかけ、情に訴えることもできる。王よりずっと若いとは言え、元々の気質として柔軟性もあるのだろう。支配者としての能力は、王よりこのポルスパイン家の血を統く王妃の方が、優れているかもしれない。
「それで、他には誰を連れて行くのですか?」
「はい、甥のニコラシカ・リュウモンと我が家の郎党二十名ほどを」
王妃の下問に婆さんがそう答えた。王妃は少し考え込み、心配そうに尋ねる。
「少し……少な過ぎではないのですか?」
「ご心配には及びません。ニコラは私の後継者として指名しておるほどの魔導師で、有能な男でございます。家の郎党共も、一騎当千の者ばかりです」
「そうですか。あとカロとセシルには侍女四人と教育係のローズを伴わせます」
「ラゴ伯爵夫人を? その、王妃様がご不便では……」
カルヴァドス・ドン・ラゴと言えば俺でも知っている。ポルスパイン王国の宰相だった家柄じゃないか! 今は王妃の侍従のはずだ。連合王国ではポルスパイン派の旗頭といった人物である。その夫人が第三王子と王女の教育係ね。ある意味当然か……。
連合王国が成立してから十五年、豊かな耕作地を多く抱え人口でも優位なヴーランクは、戦力面でも聖銀騎士団を中心に多くの地方騎士団を抱え、ポルスパインを凌駕していた。そこへ今回の戦役で、東へ領土が更に伸びたのである。
ヴーランク王家の筆頭であるルイジ王は男性であり、年齢もポルスパイン王家筆頭のルミナ王妃よりずっと上だ。いや年齢を言えば王太子のマルコだって王妃より八歳も年長なのである。あの当時王太子がすでに現在のルシア王太子妃を娶っていなければ、そして現王が寡夫の身でなければ、ルミナは王太子妃となっていてもおかしくはなかった。
まあヴーランク王家もポルスパイン王家も神聖教会を信奉する国民を抱えており、王にだけは愛妾という存在が認められているにしろ、厳格な一夫一妻制に縛られている。サリチェ法典に従わず、女が王位を継ぐことを認めているポルスパインでも、婚外子への王位継承はあり得ないはずだ。
話が逸れたが、多分これは今まで劣勢であったポルスパイン派の反攻の動きだ。ただしチェリスは、それを自分を中心とした魔導師団の再建に利用しようとしているだけだろう。再建が成った後、ポルスパイン派を裏切ってヴーランク派に寝返るということも織り込み済みかもしれない。
だとすると、チェリスが教育係の伯爵夫人の随行に良い顔をしないのも頷ける。取りあえず、第三王子と王女を囲い込むのに邪魔なのだろう。幼い二人だけなら、何とでも言いくるめられると考えていたはずだ。
「ローズ!」
王妃が声をかけると、背後の衝立の陰から金髪で丸顔の熟女が現れた。チェリスとは対照的に豊満な体つきで、緑色の眼に男を誑し込もうとするような艶っぽい笑みを浮かべている。
「女伯爵、王子と王女のことは、どうぞお任せ下さい」
「こちらこそ伯爵夫人」
視線を交わす二人の間に、一瞬火花が飛び交うように見えた。チェリスは自身が伯爵の爵位を持つのに対し、ローズの方は伯爵『夫人』だ。しかしラゴ伯爵家はポルスパイン北部に広い領地を持っていて、チェリスは宮中伯の身で領地持ちではない。身分的には同等というところか。
さて、この『女の戦い』はどんな展開を見せるのか、予断を許さないものになりそうである。




