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◆神聖歴千五百二十六年 五ノ月 第四日 北方辺境領 ルーヴェ街道◆
目を覚ますと東の空が少しだけ明るくなってくるところだった。薄青い空に、まだ明けの明星が見える。
すっかり強張ってしまった身体を無理に動かしながら身仕舞いをして、俺は日課の鍛錬を始めた。
呼吸を深く長く廻らせ、体幹の筋骨を緩急をつけて動かす。体内感覚と五感の統一を図り、生命力と魔素が混じり合い体内を循環するようにと、己の心象を思い描きながら聖句を唱える。短時間の動作と静止の後、最後にはゆっくり息を吐きながら脱力して、起立の姿勢で鍛錬を終えた。
教えを受けたまともな魔道士なら、この日課を怠りはしない。身体強化を身に付けた戦士や神聖力を用いる神官たちにも、それぞれの伝統によって形成された加行がある。何等かの形で魔素を継続して使う人間にとって、欠かせない習慣だ。
それから埋もれ火を灰の中から見つけ出し、付け木と粗朶を使って火を大きくする。小鍋に渓流から水を汲んできて、竈にのせた。
木串に刺した拳ほどのチーズと堅焼きビスケットを火に炙り、沸いた湯でハーブ茶を作る。これが今日の朝食だ。
馬たちには、昨日の残りのライ麦を与えた。どうせ一旦取り出した物は、俺一人ではセルに入れ直すことができないのだ。荷物にするくらいなら、食べさせてしまおう。オヴェロンは元々大食らいで、牧草などの粗飼料だけではその大きな馬体を維持できない。それにライ麦であれば、ブリーズにだって少し余計に与えても大丈夫なはずである。
食事の後、渓流に馬たちを連れて行き、水を飲ませた。それから岩塩を舐めさせ、鞍を着ける。オヴェロンの荷駄鞍に、長櫃の菰包みを引き上げるのが一苦労だ。何しろ片方で大人の男ほどの重さがある。
セルに収納できればよかったのだが、俺がこれを受け取った時には、それができるネネムの奴が居合わせなかったのだ。
話が違うと腹を立てなかった訳ではない。だが、引き受けた仕事を放棄することもできなかった。
俺が今、重い荷物をオヴェロンの背に載せ、えらい苦労しながら運んでいるのには、そういう経緯があったのである。
それにしてもあの魔導士様が約束の場所に現れなかったのは何故だろう。ネネムは必ずしも几帳面とまでは言えない人物だが、こんなヤバイ仕事に弟子の俺を巻き込んでおきながら、自分の役割をすっぽかすような奴ではないはずだ。
弟子。まあ確かに俺をあいつに弟子にすると、あの時言われた。もうひと昔以上、十二年前のことだ。
道具と言い替えても間違いとは言えない。あの魔導士にとっては、その二つにそう大きな違いはないのだろうから。
例え単なる道具だとしても、俺はネネムにとって、そう簡単に捨ててしまえるような価値の低いものではない。何と言っても俺は、奴の魔導研究の結果生まれた、最高傑作と言える存在なのだ。