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◆神聖歴千五百二十六年 七ノ月 第三十日 ラモレ渓谷◆
「おい、何で俺が『王家の伝令』なんだ! 俺がそんなお偉方に見えるわけないだろ!」
ギィの話のとっ始めに出てきたそれに反発した俺がそう言うと、奴は「この阿呆め」という顔をして俺を眺めてから、噛んで含めるような口調で説明を続けた。
「いいか、まずリオスを見ろ。この胴長短足の酒焼けした髭面が、王宮の使者に見えるか? どう見てもあり得ないだろう。走らせればドタドタがに股でみっともないし、飲み過ぎで腹が出ている。おまけに喋らせれば山人の訛りがまる出しだ。どうしたってこの役はこいつには無理だ」
散々こき下ろされているのに、リオスと言ったら馬耳東風という風情で聞き流している。まあ、この女の口の悪いのは前から分かっていて、今さら気にしないということだろう。
「それでもって、どう見てもあたしは女だ。それこそあたしが『王家の伝令』だなんてあり得ない。女は役人にはなれない。お前以外ないじゃないか」
改めてギィを眺めると、こいつは五尺九指と俺より五指分も背が高いが、胸は大きいし胴回りはしまって腰が張り出している。豊満なと言って良い体つきだ。編み上げた金髪に金茶の瞳の吊り上がった目尻、これで口さえ開かなければ瞞される野郎は少なくないだろう。言われてみれば到底男には見えなかった。
「それに伝令職は馬を乗り継いで書筒を届ける仕事だ。乗馬に負担を掛けず、早く長く走らせることを求められるから、お前みたいに身体が大きくない方が有利だ。それにお前は本物の士爵様だし、王城に入ったこともある。ほら、適任じゃないか」
クソッ! どうせ俺はチビだよ! 背は低いし体重だってギィより六十斤は軽いだろう。体力強化を使わなければ、腕力だってギィに劣るかもしれない。普段から気にしていることを、こうまでズバズバ言われると落ち込まずにはいられない。十年くらい前に、酔ったこいつと格闘して負けたことがある。ギィは単なる遊びだと言ってたが、あれがトラウマになっているんだ。
結局俺は、この役目を引き受けることになった。
「は? 聖銀騎士団団長ヴァルド侯爵からオリザ副団長へのご使者でありますか?」
「そうだ。火急であるから直ちに取り次いで貰いたい」
埃まみれの俺の旅装を、上から下まで何度も見直す若い衛士は、どうしたらよいのか分からずにいた。伝令の印章は本物らしい気がするが、自分一人での判断に自信が持てないのだ。自然に視線は同僚の男に向く。
「あー、では書筒をお渡し下さいますか。副団長様には、必ずお届けいたしますゆえ」
こいつ、どうも俺の風体を見て侮っているようだ。若い方より五・六歳年長か? 『書筒』というのは配達する文書を収納する銀製の容器で、内容が機密に関する場合はこれに鉛で封印して運ばれることになる。
「馬鹿なことを申すな! お前『王家の伝令』を何だと思っているのだ。そもそも信書は受取人に直接手渡すのが定めだ。それに今回は文書ではなく、『伝言』を預かっているのだ」
「『伝言』で、ありますか?」
「そうだ」
軍の伝令が敵の中をかいくぐり情報を伝える場合、文書ではなく『伝言』という形でそれを運ばせることはあり得る。その場合、伝令は敵に捕縛されそうな状況では自ら命を絶つ覚悟が必要である。だが戦時でもないのに、『伝言』を託すなど普通考えられない。
しかし『王家の伝令』が信書を届けるとき、宛名人以外の相手にそれを手渡すはずがないのも事実であった。こいつはやはり俺を疑っているのか?
「『王家の伝令』の任務を妨げる者がいた場合、相手を切り捨てても任務を達成することが務めとされていることは承知しているな」
俺が腰の柳葉刀に手を掛け、殺気を放つと、二人の衛士は慌ててなだめ始めた。
「し、しばらく、しばらくお待ち下さい。ただいま、ただいま取り次ぎますから」
で、上司と思われる男が出てきて、城の中に案内された。石畳の長い廊下を歩かされて、馬房の近くらしい五間四方くらいの部屋に通された。高い位置の窓から採光がされていて、頑丈そうな楢材の平机と数脚の椅子が置かれている。
腰を下ろさず俺が待っていると、四半刻ほど経ってから禿頭で白髭の、眼窩が凹んだ男が、一人で入ってきた。初老だが逞しい体躯で、力のオーラが滲み出し、額中央に赤い聖痕がある。あ、これはヤバい奴だ。
鎖帷子の上に男が纏っている袖無しの長衣は聖銀騎士団の紋章が金糸で縫い取られている。よく見ると、この姿は王宮で見かけた気がした。相手もしげしげと俺を眺めているから、俺に見覚えがあるようだ。
聖銀騎士団で『騎士』の身分を得るには、高度の身体強化を身に付けていなければならない。ほとんどの場合、それは『獣化』という様態をとる。
獣化した者は怪力と剛体を得るが、同時に理性を失いがちである。それは発揮する力が強力であればあるほど、またその回数が繰り返され長時間続けば続くほど、顕著になる。仕舞には外見まで獣のように変化し、それが進むと元の姿に戻れなくなる。
この後戻りできなくなる獣化の進行を押し止め、なおかつ強力な身体強化という利を得るため、聖教会が彼等に与えたのが『聖銀牌』という代物だ。こいつは聖銀でできたコインのような見かけで、全面に不可思議な文様が刻まれている。
聖銀騎士は自分の皮膚を切り開き、何個かの『聖銀牌』を埋め込んでいるのが普通だ。肌身につけて持ち歩いても効果があると聖教会は言っているのだが、体内に埋め込む方が効き目が強いと感じるようだ。それに戦闘時に失ったり、盗まれたりすることを避ける意味もあるのだろう。
ただ『聖銀』は獣化した身体には毒でもあるようで、『聖銀牌』を埋め込んだ傷が完全に癒えることはない。だが多くの聖銀騎士たちはその傷跡を『聖痕』と呼んで顕示する。
『聖痕』が多いことは、それによって抑えなければならない『獣化の力』がそれだけ大きいことを意味するから、あえて隠さないのである。
目の前の男は、よく見ると額の中央の他に両頬や首の両側、手の甲などにも赤味を帯びた傷跡があった。額以外は左右対称な位置にあることから、どう考えても戦闘で得た傷跡ではない。
「『王家の伝令』だと! お前はいつの間にそんな役職に就いたのだ? それに騎士団長から副団長への伝言だと! いったいワシがいつそのような依頼を出したというのだ!」
思い出した! ロークスたちの陞爵と一緒に、俺が『士爵』に任じられた時に、今と同じような腹立たしげな目付きでいた。こいつは聖銀騎士団の団長である『野獣侯爵』こと、ジャッカード・アヌビス・ドン・ヴァルドだった。
マズいなあ。俺たちは、こいつがてっきり王都にいるものと思い込んでいたのだ。あの警士たちが胡乱な者を見る眼で俺を睨んでいたのも無理ない。俺がサティ宛ての伝言の発信人として申告したこいつが、同じこのシャンボー城に居るとは!
さて、自ら虎口に飛び込んでしまった俺だ。舌なめずりして見つめる肉食獣みたいな侯爵の口元からは、今にも涎がこぼれそうである。とりあえず、ここからどうにかして脱出する方法を見つけなきゃな。