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◆7の5◆

◆神聖歴千五百二十六年 七ノ月 第三十日 ラモレ渓谷◆


 ラモレ山地の渓谷を流れるラモレ川はクラウ平野の中央部でペレネヤス山脈を水源とするペレ川と合流する。そこからアール川と名を変え、最後はアンジの町でビスケット湾に流れ出していた。旧帝国時代からこれらの川沿いには重要な都市が点在し、数々の城塞が築かれている。


 過去この渓谷沿いの地方にいくつもの宮廷が置かれ、多くの貴顕が集ってこの国の歴史や文化を造り上げた。この辺りは、ヴーランクの年代記作者に『王国の政治と文壇・芸術の揺り籠』と呼ばれている。


 現在、王と共にサティがいるシャンボー城は、ラモレ川上流の谷間に位置していた。この城は、広さ一万三千軛反(エィカ)の庭園の中央に建っている。


 一軛反(エィカ)というのは「牡牛二頭に牽かせた犂で一日に耕せる耕作地の広さ」だという。実際には、一辺が二百十一尺の正方形の形をした土地の面積だ。それの一万三千倍! そんなに広い庭に、何をどれだけ植えると言うんだ!


 それだけではない。そのさらに北側に十(レウカ)以上の長さの石垣で囲まれた『王の狩猟場』が付属している。一日は十二刻、軍隊が半刻に行軍する距離が一(レウカ)だから、この猟場の周りを一巡りするのに、小休止だけしか入れないで歩いても半日以上かかるわけだ。


 これだけを見ても、王族なんて奴らの考えることが俺たち一般庶民と、どれだけかけ離れているか分かるだろう。



 さて王都とシャンボー城の間には、ラモレ山地が横たわっていた。最も高い所でも標高は三千尺程だが、たとえ夏場でもここを越えてラモレの渓谷に下りていく経路コースは選びたくない。身体強化が使える俺は行けないこともないと思うが、ギィやリオスには無理だろう。


 というわけで、王都から川船でレーヌ川を下り、途中から馬で陸路を行くことにした。ラモレ山地を大きく迂回しなければならないので、それでも半月以上かかる旅だった。



 ヴーランク王国は平野部分が多く、南側のアルペント山脈及び西側のペレネヤス山脈を除きいくつか山地や丘陵地はあるがなだらかで、高低差があまり無い。それでいて南北を大海に挟まれているせいか、内陸に温かい雨が降る。このため水量に恵まれた大河が何本もあるが、ほとんどの流域でその流れは広くて穏やかである。


 旧帝国時代から今のヴーランク国がある地域は、流通の多くを水路に頼っていた。この傾向はここ百年余りの間に、魔導の力を利用した運河の開削が進んだことにより、一層顕著になっている。


 だから、やろうと思えばシャンボー城までの旅を、全て水路でたどることもできたのだが、外洋と違って強い風を利用できない陸上の船旅は、特に川を遡行しなければならない場面では驚くほど遅い。全行程を川船にたよった旅とすれば、旅行期間は一ヶ月以上となり、その間に王の一行が他所へ移動してしまう恐れさえあった。


 王都から二日間利用した川船は、船底が平らで喫水が浅く、全長十尋程であった。だが、俺たちの他にブリーズを含む三頭の馬を乗せることができ、その三角帆に追い風を受けて予想以上の速さでレーヌ川を下ってくれた。


 途中の船着き場で下船すると、そこからは半月近くの騎馬行である。俺のセルに収納してあった飼い葉や飲み水などを利用できなければ、もっと日数がかかったはずだ。




 途中で二度、野盗の群れに襲われた。野盗と言っても近くの村落の住民で、家を持っている奴らだ。馬に乗った三人組が街道を外れて荒れ地を進んで来るのを見つけ、手頃な獲物だと考えたのだろう。人数で押し包めば、地元の地の利もあるから何とかなると思ったようだ。



 だがリオスが大弓で三人ほど射殺すと、すっかり浮き足だってしまった。当然最初の標的は、飛び道具の類いを持っていた奴らだ。この三人の持っていた弓矢は粗末な物で、精度も悪ければ射程距離も短い。


 リオスが騎射で殺した男の弓を拾って矢を番えようとした奴がいた。けど、弓射というものは普段訓練していなければ、弦を正しく引くことさえ普通はできない。あたふたしている内に、前の三人と同じ運命をたどることになってしまった。多分、石でも投げた方がずっと脅威だったろう。


 その後、俺は柳葉刀、ギィは先端に鉄爪の付いた鞭を振り回して、野盗どもを散々に追い散らした。その場で命を奪ったのは十人に満たず、残りの奴らは命からがら逃げ去ってしまった。


 ただ、かなりの人数に手傷を負わせてやったから、不具になった者、後々傷の悪化で死んでしまう者も、少なくないはずだ。欲をかいて無辜の旅人を襲ったのだから、俺は自業自得としか思わない。


 それが最初の奴らで、二度目の奴らも、人数以外は大差なく、同じ運命をたどることになった。戦役の終了から七ヶ月たったが、この辺りの民衆の心は荒んだままだ。戦費と称して貴族どもが税を搾り取ったにも関わらず、実は国を守るため指一本動かさなかったこともその一因だろう。


 俺たちは打ち殺した野盗たちの持ち物をあさったが、碌な実入りにはならなかった。六尺棒や牧草刈りの大鎌などで武装した『にわか野盗』では、そんなものだ。ただ油断した旅人にとって、一番危険なのもこういう奴らかもしれない。




「それで、どうやってサティを見つける?」


 やっとたどり着いたシャンボー城の周囲は広い庭園で囲まれ、見張りが配置されている。近くに村落などは無く、行き来しているのは全て王の使用人か王宮の関係者だ。城内の施設だけでは二千人に及ぶ人間を収容することはできないので、北側の一角に天幕の群れが見える。


 だが警備のため出入りは厳重に管理されているようだし、汚れた旅装の俺たちは見るからに怪しく見える。


「正面切って近づけば、当然警士に捕まる。そうなっては身の証をたてるのは面倒じゃ」


「王宮に近づく『正当な理由』なんて、俺たちにはないぜ」


 王宮、そう現在このシャンボー城は王様と重臣たち一式を取りそろえた『移動王宮』なのだ。ここがヴーランク及びポルスパイン連合王国の中枢であり、心臓なのである。ワズドフの陣屋が俺たち『暁』によって襲撃された時のように、誰かにここが蹂躙されれば連合王国は崩壊する。警備が厳重なのは当然と言える。


「戦力としては聖銀騎士団から二百騎、その盾持ちなんかが三百、警備の衛士と長槍兵それに弓士で三百ということだ。あと王宮付きの魔導師が四・五人か」


「よく調べたなギィ」


「情報は商いの種だ。それから、今の数の内には、勢子として集められた地元の郷士たちは入っていない」


「そんなのがいるのか?」


「ああ、天幕に入れずに、その脇で野宿している連中がそうだ」


 おそらく天幕の持ち主が地場の小貴族で、声を掛けられた領民が手弁当で動員されているのだろう。呼ばれて駆けつけなければ、後でどうなるか分かってんだろうな、というわけだ。気の毒に。


「そいつらに紛れる……のは、駄目か」


「うむ、近づけてさえ、もらえんじゃろ」


「使いたくないが、これを使おう」


 ギィが取り出したのは、『王家の伝令(レジィス・ヌゥチウス)』の身分を示す特許状ディプロマ印章シジルムだった。街道で襲ってきた奴らの正体を探るため、ギィに預けたものだ。不審そうな顔をした俺にギィが説明する。


「こいつは正真正銘、伝令管理官マグナ・ヌゥチウス様が発行した聖銀騎士団副団長宛の伝令証書さ。ただ、こいつを使うと記録が残ってしまうからね、あの書記官に『借り』ができる。下手すると第二王子か王太子に知られかねない」


「大丈夫かの?」


 リオスが心配顔で尋ねた。ギィが綱渡り覚悟で使おうと言うんだから、いいじゃないか。後は野となれ山となれだ。


「あの書記官も事が大学や聖教会に知れるのは嬉しくないだろう。現にこいつも、あいつが書いた白紙委任状みたいなもんだからな」


 今や半官半民になった駅逓制度は、王宮レジュウムと聖教会の僧会モナクス・ボルデそれに世俗大学ウニヴェルシタスの三者が主たる出資者パトロンとなって運営されている。


 『献身的な伝令マナスティック・ポスト』と呼ばれる僧会の使者たちは、各僧院間を定期的に行き来して書信を運んでいた。これらを担うのは僧会所属の僧侶たちであり、聖教会の階層的な命令系統を支える礎であった。


 一方『大学の使者メッセジ・デュルニヴァシティ』は、学生の出身地別の同郷組合が協同で運営していた。彼等の地縁や王都の有力者の協力により、学問上の書信や書籍原稿などの円滑な交換を当初の目的として設立されたものである。


 もっとも、後者二つの制度はそれなりの代価で商業上の連絡あるいは私的な信書の遣り取りなどにも利用されていた。


 ただし今のところ、駅馬や駅舎の施設の優先使用権は王宮レジュウムに与えられている。それは国の防衛と治安の維持がこの駅逓制度自体の存続にも寄与するという『建前』が合意事項としてあるからだ。また、通行税の免除や優先通行権を保障するのが王権だという背景もある。


 しかし『王宮』による優先権の濫用が表沙汰になり、それが今回の戦役での功労者である『聖女』や『勇者』の仲間への襲撃に利用されたなどという醜聞が知られれば、『王家の伝令(レジィス・ヌゥチウス)』の管理者であるあの書記官にとって、困ったことになる……と、ギィは説明した。


「はーっ、だからそいつは王の滞在場所に入る特許状を提供するなんて危ない橋を渡る羽目になったわけだ。ギィ、お前相当その書記官を脅したろう」


「おいおいブドリ、こんな淑女が『脅し』なんかするわけないだろう。失礼だな」


「ふーん、じゃあ色気で誑し込みでもしたのか?」


「ブドリ、その辺にしておけ。で、それをどう使うんじゃ?」


「ん、それはだな……」


 ギィの説明が始まる前に、俺は嫌な予感がして顔をしかめた。


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