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◆7の3◆

◆神聖歴千五百二十六年 七ノ月 第十三日 王都ゴルデンブルク◆


  サンテリィ島はゴルデンブルクの中央を横切るレーヌ川の中州である。下流側にあるサイテ島とはサンテリィ橋で、右岸とはトゥルネル橋とルイスフィリ橋、左岸とはマリエ橋とシュリィ橋で繋がっている。サイテ島に比べ古い時代から裕福な市民の大きな館が建てられていたため、今でも河岸や建物の間に樹木が植えられ、王都内の他の地区に比べると落ち着いた佇まいを見せている。


 それでも夏になると、まったりと流れるレーヌ川から立ち昇る汚物の臭いは殺人的で、川に面した部屋のテラスやベランダの扉は閉め切られ、窓も開けられない。中庭パティオ側に開口部が無ければ、締め切った部屋で過ごすしかないのだ。


 バラバムート商会の寮には幸い中庭パティオが付随しており、花壇には蔓薔薇や鬼百合あるいはヒュアキントなどの香り高い花々が植えられていた。部屋の壁は白い漆喰塗りで、天蓋付きの寝台が置かれている。


 まだ外は明るかったが、俺は夕食まで横になって身体を休めることにした。ついでに暫くサボっていた瞑想を行う。すると頭の上方に何かピリピリするものを感じた。おや、これは……


 俺は寝台から飛び起きた。それからわざとゆっくり、階下の中庭パティオでベンチに座っているリオスに知らせに行った。


「リオス、どうやらネネムは生きてるみたいだ」


「そりゃあ良かったな」


 奴は五(パイント)入る陶製の酒瓶を抱え、白鑞しろめ把手付盃マグに注いだ葡萄酒を飲んでいた。


「そうは言っても、まだどこにいるかは分からない」


「ははぁ、お前さんたち魔導師の『感応』ってやつか?」


「師匠と俺との関係だからな」


「んで?」


「んでって……」


「どこにどうしてるんじゃ?」


「そこまでは分からない」


「そうか。便利なようで不便なもんだな」


 リオスは「たいして期待していなかったぞ」と言うように、また葡萄酒を盃に注いであおった。


 扉が開いてギィが中庭に、疲れた顔のまま入ってきた。まだ旅装を解いておらず、街道の埃を払いながらの登場だ。


「おお、どうじゃった?」


 先にやっているぞと盃を掲げながらリオスが尋ねる。召使いが持ってきた金鉢ボウルで手を洗ったギィは手巾で手を拭うと、ドッカと腰を落とし俺に話しかける。


「お前をルーヴェ街道で襲ってきた男の持ち物に、駅馬の特許状ディプロマがあったよな」


「ああ、印章シジルムと一緒にお前に渡したろう」


「あれを発行した書記官に話を聞いてきた」


 駅逓制度は旧帝国時代の街道軍令舎に倣って、国内の主要街道沿いに半官半民の駅舎を設け、王家の使者が駅馬を乗り継ぐことで迅速な通信を図ったものである。当初この制度を利用できる王家の使者は『フーガ・ヌゥチウス』と称し、通行税の免除を含む多くの特権を持っていた。


 本来は軍政に基づく制度であったが、旧帝国崩壊の戦乱が収まると、駅舎の置かれた国内の諸侯から不満が出てくる。馬匹の飼育や駅舎の管理など、駅舎の維持のための負担にもかかわらず、免税の特権を振りかざして私腹を肥やす『使者』を目にすれば、当然の結果だった。


 このため王家は、駅舎の維持を半官半民にして地元の負担を軽減するなど、多くの改革を行うことで、この制度の維持に努めてきた。王権の強化のためには、情報を中央に集め管理する手立てがどうしても必要だったからである。


 従って『王家の伝令(レジィス・ヌゥチウス)』と呼ばれるようになった現在では、通行税や架橋の使用料などは免除され、駅馬や駅舎での宿泊も利用できるが、反面『伝令管理官マグナ・ヌゥチウス』という上級管理職によって厳しく監督されることになっていた。私的な濫用による経費の増加を避け、地場領主からの不満を抑えるためである。


 だが実際にはいろいろと隘路があるようだった。『伝令』の特権化を避けるため、その度ごとに特許状を発行し印章を持たせた結果、特許状と印章を持っていれば建前上『誰でも』この制度を利用できる。


「特許状を出させたのは、やっぱりエレノアかい?」


「いや、夫の第二王子の意向だそうだ」


 ネフの姉エレノアの夫はクルトシュタイン伯爵という爵位をもっているが、これはいわゆる宮中伯のあつかいで実際の領地はない。大層な年俸と王都郊外に建てられた広大な館は与えられているにしろ、エンランド島とアンランド島を領有する兄の王太子とは大違いだ。


 そもそも第二王子に与えられた爵位の名称であるクルトシュタイン伯領というのは、昔アルペント山脈の麓にあったそうだが、そこに銀鉱山があったため王家に押領おうりょうされ現在では直轄地となっている。


「マシウス王子か。すると特許状を持っていた男も……」


「それが少し複雑なようでな、この男はドミンゴ・ゴーフルといってゴーフル男爵家の二男だ。近衛に属していてマシウス王子の警護を務めていたのだが、三ヶ月ほど前に失職している」


「失職?」


「つまり近衛ではなくなった、ということさ」


「ほぉ、そりゃまた」


「武技には優れていたという話だが、何でもエレノア妃に仕えていた女官に懸想して面倒を起こしたため、近衛から外されたらしい」


「おや、それは」


「随分と不面目な話じゃな」


 言葉とは裏腹にニマニマ笑いを浮かべてリオスが身を乗り出してきた。わかってる、こいつはこういう下世話なネタが大好物なんだ。


「それがまた、どうして?」


「うん、実はエレノア妃の身辺を探らせていた下仕えの女に聞いたら、そのハンナという女官とドミンゴだが、仲は悪くなかったらしい。いや多分好き合っていたのだろうと思う」


「何じゃと!」


「だがハンナはミール子爵家の二女で、別に婚約者があった。エレノア妃付の女官とはいえ、二十をそろそろ過ぎれば嫁ぎ時だ」


「むむむっ、なるほど」


 おい、何が「なるほど」なんだ! リオスの奴、酒を注ぐのも忘れて何を興奮してるんだ。鼻息荒いぞ。


「じゃあ、多分じゃな……」


「ああ、その醜聞のせいでハンナの縁談はオジャンになった」


「わっはっは、そうかそうか。いやあ、よくやった。ブドリお前のお陰じゃ」


 えっ? 意味が分からん。何が「お前のお陰」なんだ? 俺が目を白黒させているとリオスに背中をどやされた。


「何だ! まだ分からんのか! まず間違いなくじゃな、そのハンナという女官とドミンゴは、わざとに騒ぎを起こしたんじゃ」


「えっ?」


「そんな騒ぎになれば、相手の家も嫁として迎え入れるのは難しかろう。当然破談じゃ」


「それと俺がどう関係するんだ?」


「そのままではハンナは僻地の僧院に入れられるか、よくてどこかの狒々親爺の後妻になるしかないじゃろ。ドミンゴが男爵家の二男では、ハンナをやっても子爵家には何の利益にもならん。かえって負担になるばかりじゃ」


 まあ近衛とは言っても、身なりや装備から見て騎士ではなさそうだったからなぁ。何の役にも就いていない男と所帯を持たせても、寄生されるばかりと判断されても仕方がない。


「だが、王家の利益、というかエレノア妃のために一働きしてみせれば、相応の見返りが期待できるじゃろ」


「一働きって、俺を殺せばってことかよ!」


 ギィが変な顔をして俺を見た。何を怒ってるんだっていう表情だ。怒らいでか。そのドミンゴとハンナとかいう二人の幸せのため、素直に死んでおけっていうことか!


「ブドリ、お前、そんな簡単に殺されるようなタマじゃないだろ」


「いや、そりゃそうだが……」


「わっはっは、残念ながら『暁』には、そんなヤワな者はおらんわい」


 何だか笑って誤魔化されてしまったような気がするが、要はドミンゴが俺を捕らえるなり殺すなりして手柄を上げ、ハンナと連れ添う予定が、俺の反撃で壊されたってことだな。そのハンナとかいう女、恨んでるだろうなぁ。逆恨みだけど。


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