◆7の1◆
◆神聖歴千五百二十六年 六ノ月 第三十日 マルシィの港◆
タンディヴォリを出てからツロイア、アテ、カプストでそれぞれ一泊し、カプストの岬を廻ってからはアドリィ湾を横断してマルシィに向かう。
マルシィは古ロマヌス都市国家時代からある植民都市で、プロヴァンサル・コッテダズュル侯爵領の領都である。軍港であるとともに、中っ海の東側航路『連環の真珠』の西端に位置する王国第二の貿易港だ。
この都市は西をマルシィ湾と火山性の山地に、南を石灰台地に、北東は緩勾配の山地に囲まれた、円形劇場のような地形にある。北側の盆地には、一千四百八十一年の併合まで五百年以上の間、旧プロヴァンサル伯爵領の領都であったアイクセンがあり、文化的にも長い歴史を誇っていた。
この地方は一年を通して温暖で乾燥した気候である。『群青の海岸』と呼ばれる海辺は、旧帝国時代から別荘地として多くの貴顕が居を構えてきた景勝地であった。また南の石灰土壌の台地には蒲萄畑が広がり、ワインの醸造が盛んなことでも知られている。
マルシィに到着するまで、ギィは乗り合わせた商人たちに何等かの旨味のある取引を持ち掛け、利害の枷で絡め取っていった。ただし、「信用できない奴は早い内に潰す」と言っていたから、全員が無事に済むわけでもなさそうだ。戦場で生き死にを掛けて商いを続けてきたギィを甘く見たら、闇に葬られる羽目になるわけだ。
ダンデス船長と『ぽっちゃり娘』号の乗組員は、中っ海の西の出口『アトロス海峡』を抜け、暗黒大陸沿岸を南下して、南の端を廻って東進してから北上する大航海にでることとなった。目的地は紅海と蒼海が合体してヒンデ洋への出口となる海域付近の港、マガン・オマンだ。
マガン・オマンにはヒンディア諸候国からの産物、主に貴重な香辛料が運ばれ、銅や錫と物々交換で取引されている。この付近には銅鉱山があり、少し北上したパシュトゥー人の土地は錫の産地であるからだ。ヒンディアの民は鉄器を知らないわけではないのだが、何故か青銅器を好んで使用するという。
マガン・オマンから荒れ地や砂漠、急峻な山岳地帯を越え、陸路運ばれてくる香辛料類は、通過してくる国々でそれぞれ税を徴収されることもあり、ヴーランクに着いた頃には同じ重さの黄金と同じ位高価な物になっている。
だが船便で運べば、各港での入港税と港の役人への賄賂は取られるにしろ、大幅な経費の節約になる。無事戻ることができれば、驢馬や駱駝の背に載せるよりも遙かに大量の荷を一度に運べることもあり、せいぜい同重量の銀くらいの価格で到着するわけだ。
つまり十二分の一の仕入れ値段ということなのだから、投資する価値は十分にある。ただし、この投資は博打と言っていい位の危険性も抱えている。最短でも往復一年近くの月日が必要であるし、暗黒大陸の北半分、テーパンタール砂漠とその向こうのベルベル帝国までは間接的にでも知られているが、その南側については全くの未知の領域である。
海岸沿いに無数の小国が散在し、水や食料の補給が可能であるはずだ、という過去の遠征隊による怪しげな情報を頼りに、命懸けの航海をすることになる。
『ぽっちゃり娘』号は竜骨を持たない『丸船』だが、横帆の他に大三角帆を備える二本マストの帆船なので、風向きが変化しやすい沿岸沿いの航行にも対応できる。比較的新しい設計思想の下に建造された船である証拠に、船尾の中心線に長い舵棒を持ち蝶番で固定した板舵を下ろしていた。
運用に必要な乗員に対して積載量が大きい『ぽっちゃり娘』号の船腹は長距離の航海での生存性を高めるだろうし、ダンデス船長は操船にも航海術にも長けた船乗りだ。きっとこの航海は分の悪い賭けとはならないだろう、多分。
投資した資金の大半はまたもや、俺がセルから出す金貨一箱、五万エキュ。一年後に十倍以上になって返ってくる『予定』だ。損にはならない、はず……あれ?
緊急ということで、俺の判断だけで出金することにしたのだが……どう考えてもギィにはめられたような気がする。その証拠に、手形の裏書きはギィと俺の連名だ。何で俺?
俺の仕出かしたことが事の発端と言われて、俺も裏書きすることになった。しかし、こんな大掛かりな段取りが、本当に『必要』だったのか? 瞞されたかな、うーん、やっぱり瞞されたのか。ギィめ! この落とし前は、いつかきっちり着けてやるぞ。
マルシィで一泊する間に、全ての段取りを済ませる。ダンデス船長たちのことは、バラバムート商会の番頭や手代たちに丸投げだ。マルシィの支店に各地から集められていたギィの部下たちが、あれよあれよという間に仕事を進め、俺たちが出立する昼前には、『ぽっちゃり娘』号も出港準備が整っていた。
もっとも積み荷の大半は、ポラァノに一度入港して、そこで積み込むことになる。俺たちは陸路マルシィ街道を行き、ポラァノの支店に金貨の箱を置いてくる。船はタリィ半島を大きく迂回してポラァノまで行くことになるので、多分俺たちの方が先に着くはずだ。
艤装その他を整え、長い航海に『ぽっちゃり娘』号とその乗員が出かけるのは、そこから更に半月ぐらい先のことになるそうだ。
マルシィの支店の裏に、来客用に作られた小綺麗な寮があった。従業員用の宿泊施設とはまた別だ。白く塗られた外壁に囲まれた、瀟洒な建物である。二階建てで、緩やかな勾配の屋根には素焼きの亙が載っている。窓も扉もアーチ型で、強い北風に備えて鎧戸が付いていた。
鉄柵の門扉の間を抜け建物の中に入ると、中庭に長方形の水場があり、噴水から水が流れ込んでいた。石畳のアプローチを踏んで扉を開け屋内に入る。所々モザイク・タイルで彩られている箇所があり、柔らかい雰囲気を醸し出していた。
俺とリオスはここに泊めて貰った。まだ明るい内からリオスは飲み始める。近くのワイナリーの白葡萄酒がマルシィの郷土料理である魚貝の寄せ鍋によく合った。ギィは俺たち二人をほっぽり出してどこかへ出かけていった。
俺たちがマルシィを出たのは、次の日の昼近くだった。
「そう言やあギィ、あのグラーとかゆう小僧とはどうなんだ?」
「うん、何を言ってんだブドリ、誰だそれは?」
「惚けるなよ。ダンデス船長の甥っ子だよ。あの時給仕していた。お前に見られて、顔を赤くしてたじゃないか」
「な、何言ってんだ! あんな子どもと何んにもあるわけないじゃないか!」
「ふーん、そうなのか? ギィの好みは歳下なんだろ」
「あんな痩せっぽちの、ちびで顔に雀斑のあるようなが好みのはずないだろ」
「おー、よく見てるじゃないか。それじゃ、どんなのが好みなんだ?」
マルシィの西の門を出て、街道をしばらく進んだところでギィに話しかけた。弱味を見つけるのに、少し突っついてやろうと思ったからだ。単にからかっただけのつもりが、予想以上に痛いところを突いたみたいだ。うわーっ、こいつ本当にショタ?
ギィとリオスは馬車に、俺はブリーズに騎乗して、街道をたどっていた。話しかけるのに馬を寄せたのだが、手綱を握っていたギィがそれを振るって馬車馬の尻に当て、馬車を前にと速めてしまった。隣に座って居眠りをしていたリオスが驚いて目を覚ます。
ギィの奴がどんな嗜好を持っていようと俺は構いはしないが、嫌がらせの種になりそうなら話は別だ。あんまり焦って追い詰めてはこいつを開き直らせかねない。絡むのはちょっとずつにしよう。ジワジワ虐めて楽しんでやる。




