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◆神聖歴千五百二十六年 六ノ月 第十七日 エンブリオ辺境伯領 緑海沿岸◆
「では、我々を止めてみるかね?」
威圧的なギィの視線を受けると、船長は言い返せなかった。すでにギィは腰の短剣に手を掛けていたし、少し離れた位置でリオスも長弓に矢をつがえていた。
「まあ聞け。実はこの男は」と、俺を指し示して「こう見えても優秀な魔導師だ」
ギィのその言葉に目を見開いた船長は、海上の海賊船を眺めている俺をまじまじと見てから、「まさか、こんな若造が?」という顔になった。
これは無理もないことで、例えば常備軍であっても実践的な魔導の素養のある人間は百人に一人程度と言われている。つまり千人の軍団なら十人程度だ。その内から、魔導力を肉体の強化に生かして戦士として活躍する者、あるいは癒やしの力として発揮し心身の治療に生かす者など、様々に特化していくことになる。
つまり軍で魔導師として扱われる『魔術による戦闘』を専門とする者は、千人の内せいぜい二・三名いるかいないかなのだ。しかもこの職種は才能と経験の積み重ねによる実力の差が大きい。
たとえ才能があったとしても、俺のような若年者が『優秀な魔導師』だというのは言い過ぎだろう……そう疑われても仕方ないのだ。
「ええと、そうすると、海賊たちを脅して追い払うってことでしょうか?」
ダンデス船長は俺が何か派手な見かけの魔法をやって見せ、奴らの度肝を抜いて退散させようとしているのだと考えたようだ。
「いや違う。海賊たちを逃がしてやるつもりなどない」
俺がそう言うと船長はびっくりした顔になった。それから考え込んで、顎髭を引っ張りながら尋ねた。
「それで、あっしは何をすればいいんで?」
「交渉するふりをして、できるだけ三隻を近くに集めてくれ。相手がこちらに威圧を掛けるため、今にも乗り込むぞと寄って来てくれれば、なおいい」
「近くに寄せたら、切り込んで来かねませんですよ」
心配そうに船長が言う。だが、リオスがつがえた長弓を示して応えた。
「わしがこれで牽制して跳び移る距離までは近寄らせん」
「それは……」
迷っている船長の肩をギィが抱え込み囁いた。
「どっちみち交渉はするんだろう。それとも無条件で降伏するのかな?」
「わ、わかりました。しかし、下手を打つと残虐な報復をされかねないですぞ!」
船長は脂汗を浮かべてそう言う。だがギィは更に顔を近づけ、念を押すように船長に言った。
「そんな心配をする前に、こいつの機嫌を損ねない方がいい。これが終わったら、これから目にした一部始終を忘れて一生口にしないよう、船に乗っている人間に言い含めなければならない。説得にはあんたの力を貸してもらうぞ」
蛇に睨まれた蛙みたいになった船長は、ギィが促すと慌てて船楼を下り、船員たちを怒鳴って配置につかせた。
三隻の海賊船は櫂の力でじわじわと囲みを狭めて来た。曲刀や棍棒で武装した汚い身なりの奴らが、歯を剥きだして威嚇しているのが見分けられるようになる。近い船は十間ぐらいの距離だが、遠い船は二十間近く離れていた。
リオスが一番近い船の帆柱に矢を打ち込んだ。慌てて木製の盾を持ち上げる姿が見える。盾の表には金具が打ち付けてあるが、それ以外は木の板を貼り合わせた物に過ぎない。正面から当たれば、リオスの弓ならぶち破れるだろう。
「何が望みだ!」
ダンデス船長が叫んだ。
「抵抗をやめて降伏しろぉ! この凪じゃあどっちみち逃げられん。命まで取りゃーしない」
「身代金かぁ? いくら出せと言うんだぁー?」
「そいつぁ、誰が乗ってるか確かめてからだー!」
相手の船で怒鳴っているのは、赤い派手な首巻きをした黒髪の大男だった。何故か銛のような物を持ち、石突きの方を甲板についている。あれを投げ込んで誰かを串刺しにして見せようとでも言うのだろうか?
俺は船楼に立って、三隻が近づいてくるのを伺っていた。時々リオスが矢を放って、近づきすぎた船を牽制する。船長は船端に寄って、相手の頭目らしい大男と怒鳴り合っていた。乗り合わせた商人たちは積み荷の陰に隠れ、流れ矢を避けるつもりか鍋を頭にかぶっている奴までいる。
やがてギィがチラッと俺を見た。今はどの海賊船も、俺から十間以内にいる。
「巨岩の拳!」
あえて大声でそう叫び、大げさに振り上げた拳を三度振り下ろした。すると三隻の海賊船の三間ほど上の空間が捲れ上がり、そこから一辺が六尺くらいの立方体に造型された岩石が出現する。
ズシーン、メリメリッ、という音がして、三間の高さから落下した岩が海賊船の船体にぶつかると、下敷きになった海賊諸共船底を突き破ってしまった。すごい水しぶきが上がり、あっという間も無く三隻は海の底に引きずり込まれる。
ほとんどの海賊は大岩と船が沈む時にできた渦に巻かれ海底に沈んだまま、浮かび上がっては来なかった。やがてポッカリ海面に頭を出した者がいる。あの赤い首巻きをした、頭目だ。先ほどの余波でまだ揺れる甲板の上からそれを見つけたリオスが、長弓でそいつの頭を射貫いて殺した。まだ生き残っていた者がいたとしても、それを見ては近づいて来るはずもなかっただろう。
海面が落ち着いた頃、東から微風が吹き始めた。
船員たちも十数名の乗客たちも、驚きの余り声を失っていた。今まで自分たちを脅かしていた海賊たちが、あっという間も無く波間に消えてしまったことを、未だ信じられないのだ。
俺がセルに納めていた巨石は、野戦の場で急造の城壁を築くためと言って、ロークスが岩場から切り出したものだ。六尺立方の岩石ブロックを、奴は自分の剛剣でいとも簡単に割り出してみせた。手間がかかったのは、それをセルに納めることの方である。
最初の内はロークスやサティがその怪力で持ち上げ、セルの中に落とし込んでいた。その後にロークスが考えたのは、庇のように突き出した岩石を切り落とし、セルの中に落下させる方法だった。
セルに入れるという所だけ考えると、確かにこれは効率的だった。だが思いついた当初は良かったが、やがてその前段階である岩の下の部分を削り取るという手順を、ロークスが面倒臭がり始めたのである。
結局このアイデアは途中で立ち消えになり、俺のセルの中に数百個の岩石ブロックが死蔵されることになった。それが今回役立ったというわけである。
「ギィ様、あの……こちらの方は……?」
船長が覚悟を決めた、といった様子で話しかけてきた。五十名近くの海賊をほぼ一瞬で屠った強者の機嫌を損ねてはと思って、恐れを抱くことは不思議ではない。周囲が海ばかりであるここで、何が起こっても知られることはないのだから。
「皆の衆、よく聞け!」
突然、ギィが大音声で叫んだ。女のくせにドスの利いた良く通る声で、船上の誰もが船楼から見下ろす奴の顔を注視する。
「先ほどから波が静まるまでにあったことは全て忘れろ! 海賊などは現れなかったのだ! 誰も怪我一つ負わず、荷が失われることも無かった! しばらく凪が続いて、お前たちはその間に、ちょっとした夢を見ていただけだ! 分かったな!」
ギィが船上の一人一人に目をやり、最後に船長を睨むと、彼はコクコクと頷いた。
「聞きたいことのある者はいないだろうな?」
念を押すギィの言葉に、商人の一人が口を開いた。
「もし喋ったらどうなるんで……?」
「さてな、どうなると思う?」
そう切り返したギィの視線に、その男は面を伏せた。あわててダンデス船長が取り成す。
「いえ、誰も、誰も何も喋ったりしませんとも。夢を見たって、その夢のことを他人に話して廻るような馬鹿は、この船に乗っちゃあいません。なあ、なあ、みんな!」
船上の者たちはモゴモゴと呟きながらお互いを見廻し、頷いた。好んで厄介事に巻き込まれたくはない、そんな顔だ。『好奇心は猫を殺す』とか『軽い舌は災いの元』とか言うしな。
「いやぁ、それは結構。では、あたしが夢に祝儀を出すことにしましょう。おい!」
ギィが声を掛けると、陰供をしてきた男が姿を現し、手際よく金貨を配って廻った。ギィぐらいの商人ともなると、こういう人間が素知らぬ顔をして付き従っているものである。この男の姿を見かけたのはデルだが、多分パイセアにも誰か配置されていたはずだ。
乗り合わせた商人たちの中には、十二エキュぐらい端金という者もいるだろうが、それでも金を受け取ったという事実は残る。商人なら余計口を閉じざるを得ない。
『ぽっちゃり娘』号は微風に乗って重い腰を上げ、西に向かってノロノロと進み始めた。乗客たちは日差しを避けるためか船倉に下りていき、甲板上には俺たち三人と、立ち働く船乗りたちだけが残っている。
あれから一刻ほどしかたっておらず、陽はまだ高い。穏やかな海面を、船はゆっくりとかき分けていった。