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◆6の1◆

◆神聖歴千五百二十六年 六ノ月 第十七日 エンブリオ辺境伯領 緑海沿岸◆


 ドーニュ川下流の流れは緩やかで、緑海に面する河口の港町デルに到着するのに三日かかった。


 ここから俺たちは海岸沿いに西へ進み、シモア、ミズリル、コーンエ、サヴォ、タンディヴォリ、ツロイア、アテ、カプスト、そこからアドリィ海を横断してマルシィの港へ。順調にいっても十日以上かかる海路の旅だ。風が止まって凪が続いたりすれば、半月たってもたどり着かない場合だってある。


 戦役前この沿岸航路は、常に海賊たちの収奪に晒されてきた。収奪と言っても、よほど美味しい獲物でなければ、丸ごと奪われるわけではない。


 海賊たちも激しく抵抗され身内に手傷を負う者が出ることは望まなかった。だから通行保護料の名目で積み荷の一部を取り上げたり、野生化した山羊や豚などの燻製を高値で無理矢理売りつけたり、というやり方をとることが多かったのである。


 ちなみに海賊を『ブッカニィ』と呼ぶのは、中っ海沿岸の治政者たちが彼らを『干し肉売り(ブーカニェ)』という蔑称で罵ったのが語源だという。


 いずれにしろこの海賊たちは交易や運輸のためには障害であり、特に沿岸の住民にとって恐怖の対象である。当局者たちが彼らを取り締まろうとするのは当然だったが、この海上の盗賊たちを抑えるのは容易なことではなかった。


 中っ海周辺の諸国から流民としてやってきた彼らは、近辺の入り江や小島に潜み、小舟で海上に出て行き来する商船を襲った。兵士を乗せた軍船が近づくと船首を返して逃げだし、勝手知ったる洞窟や島影に隠れてしまう。


 こういう奴らは大抵複数の小舟で行動することが多いから、始末が悪かった。近年になって組織化が進んだ海賊団の帆走・漕走兼用の高速船が姿を現すようになってくると、余計手に負えなくなってきたのである。


 これらは小舟と言っても大きな物は全長四十尺程もあり、幅八尺二指、深さ三尺の細長い船体で、鋭く尖った船首を持っていた。三本の取り外し可能なマストと七丁の舵櫂テーアヨォルを備えていて、喫水が浅く、無風時でなくとも漕走することで機動力を得ることが可能になっている。


 海賊たち自身は疾風アエーマと呼び、ヴーランクの商人たちは悪い風(ヴェンダバール)と呼んでいるこれらの船数隻に、商船が単独で囲まれたら逃げようが無い。特に凪で船足が止まった帆船は、狼の群れに包囲された身重の雌牛のようなものだった。




 無風の海面は鏡のように穏やかで、ギラつく陽光を反射していた。それを見ると眼が眩んでくるので、俺は積み荷を覆った帆布の上に横たわり、顔をスカーフで覆って昼寝をしている。


 昨夜は港町デルで一泊したが、何をとち狂ったかギィの奴、俺に夜這いをかけてきた。


 俺は確かに『綺麗なお姉さん』は嫌いじゃないが、中身がオッサンの場合は話が別だ。いつもは縛っている金髪をほどいて、金茶の猫目を潤ませて見せても、性根が透けてしまうとなぁ……。


 軍団と行動を共にしていた間は、勿論そんなことはしなかった。ひょっとするとロークスに惚れているんじゃと、最初は疑ったことはある。だが最初から最後まで大商人の風格で手下の者たちを取り仕切り、大量の軍事物資を右から左へ動かしてみせる手際を見ている内に、商売一辺倒の人間であることが分かってきた。『暁』の幹部ばかりで無く、ヴーランクの国内で、ギィを女と見て侮る者は誰もいない。


 それが何だぁ! 「最初に出会った時から、気になってたのぉ」だと……。その頃の俺は十二だぞ。完全にショタじゃないか! 


 それで現在の俺は二十四。確かに自分より若い男を好む金持ちの女は沢山見てきた。だが、このタイミングでは余りにも胡散臭過ぎる。


 「恥をかかせるのか」とか、しつこく迫られたせいで、昨夜はほとんど寝られなかった。リオスに「昨日は結局どうした?」と今朝背中をどやされて、余計めげた。何んにもあるはずが無いだろ。




「ヴェンダ……」「ヴェンダヴァル」「ヴェンダ」


 船上のそこかしこで、狼狽えたような声が次第に大きくなる。


悪い風(ヴェンダバール)だぁ! クッソ!」


「一、二、三隻……近づいてくるぞぉ」


「何でこんな? デルを出たばかりじゃないか」


「噂じゃ、もっと西へ……」


 出港してから半日余りで凪に捕まった。漂泊状態で緩い海流に西に流されたが、少しでも進めばいいと碇は下ろさなかった。北側に微かに陸地が見えるけど、かなり沖まで来てしまっている。陸からはこの船も海賊船も見えないだろう。


 魔侯軍が侵攻して来て以来、海賊共はこの辺りから姿を消していた。奴らの拠点となる集落が魔侯軍に潰されたのが原因だと思われる。そりゃあそうだろう。海賊だって命は惜しい。それに魔侯軍に逆らったって海賊共には何の利益も無い。


 それがどうやら戻ってきたようだった。西へ逃げたという噂があったけど、どうだかなぁ? 中っ海の西側、ヴーランク王国の沿岸は、あの国の海軍の縄張りだ。通商の往来も多い代わりに官憲の取り締まりも厳しい。


 まあ、どこに隠れていたかは分からないが、戻ってきたのは確かなようだ。



「どうする、ブドリ?」


「陸側に回り込まれたようじゃぞ」


 ギィとリオスがやって来た。青い長衣を纏いフードで顔を隠した長身のギィは、ちょっと見には女とは見えないな。リオスは長弓と矢筒を携えている。


「風が無いから逃げようが無いだろ」


「むざむざ捕まる気はないぞ」


 うーん、ギィも近くで見れば一応女だしなぁ……。おまけに大富豪の商人ときてる。身元がバレると、いいことはないだろう。かと言って、この船にゃ兵士は乗ってない。だいたい、三隻の海賊船にそれぞれ十五・六人は乗っているだろう。全部で五十人近くを相手に、どうしろと言うんだ?


「わしが作った『火炎樽フラッマ・ドリオ』は残っとらんのか?」


「あれ使って、燃え上がった船をぶつけられたらどうする?」


 リオスの『火炎樽フラッマ・ドリオ』はいわゆる『海の火(イグニス・マリス)』の発展形で、生石灰きせっかい原油ナプタ、硫黄、松脂、硝石などの混合物を、壊れやすい陶製の容器に詰めたものだ。


 大小いくつか製作して俺のセルに収納してある。だがリオスに言ったように、この焼夷兵器は使いどころが難しい。下手すると我が身まで焼くことになりかねない。何しろ俺がセルを開けるのは、自分から十間余りの範囲内なのだ。


「おい、海側に一隻廻った。完全に囲まれたぞ」


 ギィが声を殺して言う。周囲では乗組員や乗り合わせた商人たちが右往左往して騒いでいる。


 俺たちが乗っている船は『丸船ペル・ナヴェム』と呼ばれるずんぐりとした樽のような型の船体で、外板を重ね合わせて張る『鎧張り』で形成されている。長さは十五尋、幅三尋半。甲板のある二本マストで、横帆と三角帆、船体の前後は尖っているが、後部に舵と船楼があった。


 船楼に上ると、この船を運用する三十人弱の船乗りの長、『ぽっちゃり娘(アディペム・プリ)』号のダンデス船長が困惑した顔で立っていた。身長は六尺位あるが、肥満気味に見えるので威圧感は無い。頭髪が後退している頭をスカーフで覆っている。日焼けした黒髭の男だ。


「やあ、お客様、困ったことになりました」


 ギィは見るからに上客で、おまけに女だ。海賊共が乗り込んできたら、厄介なことになるだろう。だが、隠すと言っても狭い船の中では上手くいきそうもない。それをどう説明しようと悩んでいるようだ。


「打つ手が無いというなら、こちらの指示に従って貰おう」


「そう言われましても、他のお客様を危険に晒すわけにはいきません」


 抵抗すれば怪我人が出かねない、そう考えているのだろう。ギィの言葉を聞いて、ダンデス船長の顔色はますます悪くなった。

 

 この世界で船乗りが主に使う単位、1尋は両手を一杯に伸ばした端から端までの長さです。建築家等が使う単位1間、人間一人が横になれる長さ、と同じくらい。いずれもほぼ6尺、180㌢ぐらいです。

 海賊の『ヴェンダバール』は江戸時代の押送船に似た高速船で全長12㍍ほど、それに対し主人公が乗っている丸船というのは地中海版のコグ船を想定し全長27㍍ほど、いずれも竜骨はなく竜骨板が船底をなしています。

 丸船の進行速度は1日百㌔くらい、だからデルからヴーランクの港マルシィまでは海路1千㌔ほどの距離を旅することになります。

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