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◆神聖歴千五百二十六年 六ノ月 第十三日 エンブリオ辺境伯領パイセア◆
ロークスに悪戯をするなと釘を刺された。俺を何だと思っているんだ? そんなことを言われるようなことを、今まで何かしたか……うーん、したかな?
いやだが今の俺には、あの石室の金をちょろまかしたとしても運ぶ手段が無い。セルに納めでもしなければ、あんなに大量の金銀を移動するには大変な人手がいる。護衛まで含めれば軍単位だろう。だからこそ俺が『金庫番』という役割を与えられることになったのだ。
だいたい一エキュ銀貨にしろ十二エキュ金貨にしろ、一枚当たり重さ一トリョンスはある。一枚なら掌に載せた時少し重いことが感じられる程度だが、十枚もあればもうずっしりだ。また摩耗や浮彫を入れなければならないことも考えて金貨や銀貨はやや厚手に造られるが、それでも直径一指位ある。
ちなみにネネムによると、この『一指』というのは親指の先から曲げたときの第一関節の角までの長さだというのだが、一体誰の親指を基準にして測ったのだろう。多分大昔の王様か何かなのだろうが、思い出す度に気になって仕方ない。
で、何が言いたいかというと、金というのは持ち歩くのが大変だ、嵩張るし重い、ということだ。それなのにわざわざセルから取り出して、四六時中見張りを付けてまでパイセアに置いておこうとする。これは俺を信用していないのか? あるいはもっとありそうなことだが、俺の安全を危惧しているのか……。
確かに今俺が殺されたり、拉致されて行方不明になると、『暁』の軍資金を引き出すことができなくなる。今回引き渡したのは六百万エキュだが、まだ一千二百万エキュも残っている。内訳は十二エキュ金貨で六百万エキュ、一エキュ銀貨で四百万エキュ余り、残りは雑多な種類の硬貨で二百万エキュ程度、というところだ。
この内十二エキュ金貨と一エキュ銀貨は、ほとんど手垢の付いていない更の品で、つまりどこかの金蔵に死蔵されたままで流通していなかったものだ。エキュ金貨と銀貨の鋳造は、旧帝国時代からミクラガルドの造幣廠で連綿と続けられているから、多分出所はそこだろう。
何はともあれ、そんな額の軍資金をセルの中に抱えたままの俺を、周り中敵だらけと言っていい王都に送り出そうというロークスの考えが理解できない。俺が用済みと言うなら、残金を全部吐き出させればいいだろう。俺だって意気地が無いわけではないが、ロークスに本気で威圧されれば、素直なよい子にならざるを得ない。なるかな……うん、多分なるだろう。
全部を現金で置いておくのが面倒だというなら、俺を飼い殺しにしておいてくれてもいい。別に上げ膳据え膳とは言わない。パイセアなら護衛もいらないし……いや、見張り代わりに付けてくれてもいいけど。まあ、あんまり拘束しないでくれれば嬉しい。
いやそれより、今でこそネネムがいないから、もういらない子として見られているのかもしれないが、師匠が帰ってくれば俺たちのタッグは最強だから。
ロークスやサティの活躍ばかり吟遊詩人たちのせいで世間ではもて囃されている。でも軍団が戦い抜けたのは俺たちのお陰だぞ。
それなのに、何で俺に「王都に行け」なんて言えるんだ! わけが分からん!
だいたい俺は、勇者ロークスや聖騎士サティなんかと違って不死身でも何でもない。ほんの少し『身体強化』が使え、並の人間よりちょっとだけ筋力があり、身軽に素早く動けるだけだ。
俺はギィみたいに大勢の人間を使い商機を見て大胆な勝負に出ることもできず、リオスのような錬金の技を持つわけでもない。戦争が終わった後についての俺の望みと言ったら、小金を貯めて以後の人生をぐうたらに過ごすことだけだった。
ギィが時々「それだからお前は『小者』なんだ!」と俺を貶すが、俺だって自分が『小者』だってことぐらい重々承知している。師匠が俺のことを自分の術式の一部として組み込んでくれなかったら、俺は『暁』の中で今の地位を占めることができたはずがなかった。
その俺に、何で「王都に行け」なんて言えるんだ!
「サティをあの『魑魅魍魎の巣』から助け出してくれ」だと!
ロークスの身体強化は並外れているが、サティだって『聖獣化』して魔導力をゆき渡らせれば、自分の身体のみならず乗馬ごと『装甲強化』し矢玉を弾き返す。また彼の『聖槍』はロークスの『破魔の剛剣』と同様に、魔導力により伸展させることができる。三十間にも及ぶその長物を怪力で振り回しながら戦場を駆け巡れば、万軍をも打ち崩すと、吟遊詩人に、歌われていた。
そんな強者を何で『小者』の俺が助けに行かなきゃならないんだ?
あいつは七尺一指という高身長だし、身体の重さだって二百六十斤はある。好男子で庶子だけど侯爵家の血筋で、立ち居振る舞いも礼儀正しい。十歳の時に聖銀騎士団に小姓として入れたのは縁故かもしれないが、十四歳で盾持ち、十七歳で正騎士になれたのは努力と才能の賜物だろう。
でも吟遊詩人たちが歌わないことを俺は知っている。あいつは「寡黙な所がまたいい」などと王都の女たちに評されているようだが、単に口下手なだけで、さらに『むっつり』なことがバレるとまずいと思って口を利かないようにしているんだ。三十五にもなっって、単なる奥手の童貞男さ。
え、俺? 俺にはネリという一歳年上の幼馴染みがいる。俺が昔ポラァノの貧民窟で世話になった家族の末娘だ。今はポラァノの公娼楼に住み、俺の母親と同じ職業、つまり『踊り子』をしている。
もっとも二十五になった彼女は『傾国』という位階にあり、同じ遊び女と言っても俺の産みの親よりもずっと出世していた。王都への凱旋の途中ポラァノに立ち寄った時、ネリの消息を尋ねた俺は、彼女を身請けしようと持ち掛けたが一蹴された。
「無理はおよしなんし。ポラァノのオシュタムネリを引かそうとなさんなら、主さんの賜るという年金の二十倍でも足りんせん」
えっ、一万六千エキュでも足りないの……というのが、俺の最初の驚きだった。しかしまあ、これには俺にそんな負担を掛けられないという配慮と共に、ネリのプライドもあったらしい。
年季明けまでの年数を考えると実際には身代金は一万程で、その他に女衒への手切れ金、朋輩・男衆等への祝儀・包金、総仕舞の祝宴費用で六千と言ったところだと、後で知った。もっともこれは、楼主への交渉次第の部分もあるようだった。
実のところ俺には、裏で運用して貯め込んだ内緒金があるから、それ位出せないこともない、というか余裕で出せる。だが冷静になって考え、ネリの矜持を尊重することにした。
その後どうしたって? ネリと旧交を温めたよ、しっぽりとね。まあ、ポラァノの裏町で突っぱっていた頃の俺は一端の男を気取っていたし、一歳お姉さんのネリはませていたから、当然俺たちは出来ていた。だがさすが『傾国』と言うだけあって、二十五歳になったネリ姉さんのテクニックは凄かった。
俺だって十二年間何の経験も積まなかったわけじゃない。むしろロークス様御一行のおこぼれに与ることが多く、どちらかというとお盛んだったが、『格』の違いを感じずにはいられなかった。いやあ、揚げ代の分の値はあったよ。
でまあ、俺がセルの中に抱えている『暁』の軍資金の一部でも横領して、やろうとすればできる楽しいことはいくらでもある。だが、そんなことしてロークスたちから逃げ切れるだろうかと考えると……上手くいく絵図が浮かばない。
ずっとコソコソ隠れて過ごせば逃げ切れるかもしれないが、そんなんで金を持ってても楽しく暮らせるわけがないだろ。
「おい、何また悪さを考えてるんだ?」
いきなりギィに問い詰められた。ここはパイセア、ドーニュ川に浮かぶ川船を繋いだ船着き場だ。
「わっははは、大方また女のことでも考えていたんじゃろ」
リオスが荷物を船に投げ込みながら、取り成すように言った。ありがとう、リオス。ギィと二人だけで王都まで旅するなんてことになっていたら、俺は途中で川の中に身を投げていただろう。
「そういう顔じゃあなかったぞ」
「サティのことだから、ギィ」
俺がどういう顔をしてたって言うんだ……そう考えながら応えた。
船出だ。