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◆神聖歴千五百二十六年 六ノ月 第十二日 エンブリオ辺境伯領パイセア◆
俺とロークスそしてギィの三人は辺境伯邸の地下に設置された石倉にいた。パイセアを出る前に、俺が運んでいるお宝の内、六百万エキュを引き渡すためである。
木造の辺境伯邸は、ドーニュ川に沿った領都パイセアを見下ろす小高い岩山を基礎として建設されていた。その基礎である岩盤の割れ目を削って造られた地下室は、元々葡萄酒等の貯蔵庫としてあつらえられたもののようである。その奥の太い鉄格子で囲まれた一画の、さらに奥の突き当たりにある岩壁に、幅広の鉄帯で補強された楢材の扉があった。
「これは何だい? 宝物庫かい?」
「まあ、そんな物だ。作らせたばかりで、中は空っぽだがな」
鉄格子の閂に掛けられた重々しい錠前や、扉の金具に開いた大きな鍵穴に眼をやりながら俺が尋ねると、ロークスが面白そうに答えた。
「じゃあ、中身を入れなきゃな」
開かれた鉄格子の扉をくぐり抜け、奥の扉の金具に手を当てる。
「お得意の錠前破りに挑戦してみるか?」
「やめておくさ」
ギィの無駄口に付き合う義理はない。鍵穴がデカいという時点で、たいした錠前じゃないし。馬鹿にしたように鼻で笑うギィを無視する。
衛兵たちは地下室の入り口で待機だ。灯りは俺とギィが持つ角灯である。ロークスが鍵束から鍵を選んで奥の扉も開けた。石畳の石室は意外と広く十間四方ほどもある。ギィが中の壁に吊り下げられた角灯にも火を灯して廻ると、三間ほどの高さの天井まで光が届くようになった。
「通気口もあるのか?」
角灯の炎が微かに揺らいでいる。天井のどこかに隙間が設けられているのだろう。
「ここの天井は大きな岩の板を載せてあるだけだ。空気抜きはその時作っておいた」
「あんたが切り出して運んだのか?」
ロークスの振るう破魔の剛剣は、巨大な岩を卵菓子のように切り裂くことができる。彼が魔導力を込めると十間以上の長さに伸展するその剣は、折れず曲がらず、あらゆる盾を打ち破った。だいぶ手こずりはしたが、最終的にワズドフの甲冑を貫き、とどめを刺したのはこの剣である。
だがこの男は、その剣を野戦築城のためと言って、岩場を開鑿し空堀を掘るのに使うのだ。最初にそれを見たときの俺の感想は、「こいつは土遊びをしたがりの、馬鹿力のガキか!」だった。多少後ろめたそうに視線を逸らしてはいるが、きっと喜々としてやったに違いない。
「それじゃギィ、数えて貰おうか」
「馬鹿抜かすな。どれだけ手間が掛かると思うんだ」
「お、信用してくれるのか?」
「信用するのは木箱の封印だ」
「まあ、そうだろな」
俺たちが使うセルには、実は色々な種類がある。元々これらのセルは、『原魔族』や『原魔物』などを異界から運んでくるために利用されたものであり、人間の思惑とは関わりがない。ネネムは亜空間に漂うこれら使い捨てられた容器の内、使い勝手の良さそうな物を見つけて引き寄せ、そして『こちら側』に向かって開いた。
その開口部に『こちら側の物』を押し込み、閉じた後亜空間にまた戻す。それを見失わないように紐付けて管理しているのは俺である。必要になったときその紐を引っ張り、引き寄せて開くのも俺だ。
使い勝手という観点から、俺たちが主に利用することにしたのは二種類のセルである。小さい方は一辺一尺半程度の正四面体の形状をしていた。こいつの容量は俺たちが麦酒や林檎酒を飲むときに使う樽杯で十九杯弱位だ。
それに対して大きい方は一辺六尺程の立方体である。容量は一間立法、つまり二百十六立方尺だ。そう言うと分かりにくいが、平均的な男の身長が縦横高さに余裕で入る箱と考えればいい。
もっと大きい容量のセルもあるが、形状は正八面体、正十二面体、正二十面体である。物を入れるとき上の一面が開き、出すときには下の一面が開くという、ネネムが組んだ術式の性質上、液体や準流動物以外に対しては使いづらい。
で、六百万エキュと言えば、銀貨だけでそろえるとだいたい三十七万五千斤の重さがある。金貨だと三万三千百六十斤だが、勿論そんなに金貨ばかりというわけにはいかない。銀はヴーランク王国内にも銀鉱山があるが金は東方からの輸入品だ。それも実際に産出するのは、魔侯国やその東南にあるトルメニア聖王国なのだ。
聖銀騎士団が渡海して行った『聖戦』もヨーセルムの占領も、実際には黄金を求めての略奪を目的とした蛮行だった。そして千四百九十二年三ノ月に彼らが緑海に追い落とされたその時まで、欲深い騎士たちの手で、金がヴーランクに運び込まれ続けていたのである。
十二エキュ金貨は無論、一エキュ銀貨でさえ、庶民の日常生活で使われることはほぼ無い。これらは有力な商人が大きな取引をする際とか、年金を賜る役人がそれを受け取る時とか、貴族の婚資の受け渡しとかに利用される。
『暁』の軍資金に多くの金貨が含まれているのは、魔侯軍の本陣を襲撃した際、軍資金を乗せた馬車を鹵獲したお陰であった。現在俺がセルに納めている現金の約半分が、この時『暁』が得た金貨で占められている。
「それで、全部金貨でというわけにはいかないんだろ」
「大量に使うと、色々出所を勘ぐられかねないからなぁ……」
ロークスが溜め息をつくように答えた。
「使えない金貨を抱えて河原で飢えるマイダス王の気分だろう」
俺がそう揶揄すると、今度はギィが腹立たしそうに俺を睨み愚痴をこぼした。
「全く、やりづらいったら、ありゃしない! 何で金貨なんて持って歩くんだ、あいつら」
多分ワズドフは配下の兵士に与える褒賞用として馬車に積んでいたのだと思う。魔侯軍の兵士たちには、侵攻した土地を支配し、領有しようという考えが無かったように見えた。黄金は彼らにとっても貴重で、忠誠を買い取ることのできる、分かりやすい褒美だったのだろう。
「せめて半分の三百万は、銀貨で引き渡してくれ」
そういうロークスの情けない顔を見て、俺は頷いた。それからまず、大きい方のセルを三つ開き全部で六十個の木箱を出す。見かけは男二人で持ち上げられそうな大きさの、頑丈な箱に鉄帯が縦横に掛けられ、封印が施されている。だが、この中身は銀貨で重さはそれぞれ三千斤以上あるのだ。
「それでは……」と手を掛けようとするギィを押し止め、俺は石室の奥に移動する。
今度は一人でも持てそうな小さな箱だ。やはり六十個並べる。中身は金貨で二百八十斤近く、並大抵の男に持てる重さではない。
「どの箱にも五万エキュずつ入っている。小さい箱が金貨で、大きい箱が銀貨だ。どっちも箱を開けなければ、持ち逃げは無理だな」
「中身を確かめよう」
ねちっこくこだわるギィにせかされて、ロークスが金貨の箱と銀貨の箱を一つずつ選び、指で鉄の封印を引き千切った。それから釘付けされた蓋を、素手で引き剥がすように開く。中には百枚ずつ紙で筒状に包まれた金貨銀貨が、並べて積み重ねられていた。
「全部確かめるか?」
「あー、確かにあるようだな」
ギィが面白くなさそうに呟いた。どうやら面倒になったようだ。見かけは女だが、こいつの気質は、その辺のぐうたら親爺と大差ない。ロークスの周りに集まる女と来たら、色気のない奴ばかりだ。
ロークスは、またも素手の拳固で、開けた木箱の蓋を元のように打ち付けた。
「うん? もういいか?」
俺が尋ねるとギィと視線を交わしたロークスは一つ頷き、石室の中の角灯を二人して消して廻った。それからそこを出て、石室と鉄格子の両方に施錠すると、大声を出して衛兵を呼ぶ。
「よいか、昼夜分かたず鉄格子の前に見張りを立て、俺の許可のない者は何人たりとも出入りさせてはならん。三人ずつの二時間交代だ。衛兵隊長は時々抜き打ちで巡察し、兵が気を抜かないように引き締めよ」
中身が入った宝物庫の警護を任された兵士たちは、顔を引きつらせてロークスの訓示を聞いていた。奴は最後に、俺だけに聞こえる低い声で言った。
「ブドリ、悪戯心を出して、ここに忍び込もうなんて考えるなよ!」