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◆5の3◆

◆神聖暦千五百二十六年 六ノ月 第八日 エンブリオ辺境伯領 パイセア◆


 東方辺境伯領の領都パイセアは建設途中の要塞都市である。周囲に築かれた城壁こそドーニュ川の上流から運ばれた石材で作られているが、その内部に建てられた辺境伯の住居や兵舎、官吏の住宅、倉庫、馬房、一般の住居、店舗などは、一部の例外を除き、全て夜の森で伐られた材木を用いた木造であった。


 辺境伯の住居と言っても、ロークスが初代となるエンブリオ家の者は、この男が未婚であるため、公式には一人しかいない。身分的に彼とつり合う適齢の女性は、この王国にそれほど多くは居ないし、そういう女は大抵、ロークスのことを『野卑な男』として忌避しているのだ。


 おまけにロークスの方も、高位貴族の血縁であることを鼻に掛けるような女や、なよなよして何かと言えば気絶してみせるような娘などは好みではない。民衆の間で『勇者ロークス』として人気の高かった彼は女好きで、どこかの町や村に宿泊する際、一夜を共にする相手に事欠くことがなかった。


 俺は知っているのだが、ロークスの好きなのは二十代から三十代の、背が高くて胸や腰が大きく、奴の激しさを受け止められるしっかりした体躯の、情熱的な女だ。過去の女たちの中にはロークスの種を孕んだ者がいてもおかしくはないけれど、未だに子を連れて名乗り出てきた者はない。


 ロークスの父ミルヒマーカス・ヴィヴィエント・ド・カヌも、その継嗣であった長兄のミルヒバートも、荘園があったカヌの村が魔侯軍に襲われた時に、家族諸共殺されている。つまりロークスには、血族と言える者が一人も残っていないのだ。


 国内が落ち着き、魔侯国が来寇する可能性が無くなれば、やがてロークスの血筋を名乗る人間が現れることがあるかもしれない。ただ神聖教会には血縁を詳らかにする秘技ミスティリオンがあり、王族・貴族の血筋の確認には必ず用いられる。だからそんな申し出をするのは、よほど自信がある人間だけだ。なにしろ貴族以上の血統の詐称は、重罪なのである。


 士爵家の次男という所から辺境伯の地位まで駆け上がったこの男、ミルヒロークス・ヴィヴィエント・ド・エンブリオが住まう館は、木造で二階建て、大きく頑丈で、実用一点張りと言う外見の建物だった。


「よく来てくれたブドリ。それにギィとリオスも」


 赤髭ロークスとも呼ばれているが、頑固そうな顎から獅子鼻の下までを縁取っている髭も頭髪も、どちらかというとオレンジ色に近い。身長が六尺六指、体重が二百八十斤もある。書き物机の前から、筋肉質の身体を軽々と立ち上がらせ歩み寄る姿は、正に百獣の王である獅子を思わせた。


「王都から来たそうだがサティはどうしていた? ネフにも会って来たんだろう?」


 俺に話しかける態度は十二年間変わらない。豪放磊落、酒好きで女も好き、子どもにも優しい。十二年前の俺は自分を子どもとは考えていなかったが、ロークスにとっては違った。当然俺は反発したのだが、しばらくするとロークスには到底かなわないことを受け入れている自分に気付くこととなった。


 ロークスは子どもを、子どもだからと言って馬鹿にしたりはしない。その頃から彼に接して来た俺は、この国を救った戦いの中で軍事的リーダーシップを執ったカリスマがどこから生まれたのか、今なら理解することができた。


 『マナ』による不死身とも見える身体強化、怪力、破魔の剛剣を振るう疾風怒濤の攻撃、そんなものは付け足しでしかない。ロークスの本質はあの『大きさ・寛容さ』にあるのだ。


「聖女様は相変わらずさ。サティの方はヨージフ将軍の聖戦騎士団に移りたがっているけど、カイエント侯爵家が許さない。王都では伝統ある聖『銀』騎士団の方が幅を利かせて居るからな。最近設立が認められたばかりの聖『戦』騎士団より、聖『銀』騎士団副団長の地位の方が、侯爵家にとっては意味があるというわけさ」


「あいつもいい加減、親爺さんとの縁を切る時期だ。現侯爵は、貴族にしては悪い人間ではないかもしれないが、あいつにとっては茨の首枷だ」


 サティの現状を憂える表情がロークスの顔に浮かんだ。俺に言わせれば、庶子の身とはいえ、父親が後ろ盾になって育てられ、騎士に取り立てられるまでで十分贅沢だと思う。サティ自身が努力したことを否定するつもりは無いが、三十五にもなって自分の尻ぐらい自分で拭けないわけもなかろう。


「いい大人なんだから、そいつはサティが自分で判断すべきだろう。自分の信条との板挟みで苦しむのは、あいつが甘いからだ」


 黙っちゃいるが、傍に控えているギィとリオスも同じ考えだろう。ギィは『騎士様』に憧れる娘っこというタイプとは真反対だし、ウジウジしている男は大嫌いだ。リオスは自分の技や知識に自信を持っているが、基本は平民である。低い身分でありながら志を持って生きてきた男には、貴族のしがらみに縛られるサティが、馬鹿みたいに見えるはずだ。


 ロークスは士族の二男だった。跡継ぎを支える役割を期待され、領地経営のための知識や武術馬術なども学ばせられた。ところが成長するに従い、誰に指導されることもなく『身体強化』を身に付け、野盗の群れの討伐で頭角を現している。その後の英雄譚は国中を廻り歩く吟遊詩人ジョグラール武勲詞シャンソン・ド・ジェストに歌われている内容通りだ。


 何が言いたいかというと、ロークスの育ちは俺たち平民と違い、サティに同情的になる要素を含んでいる。ただ俺たちとしては、それに流されてしまっちゃ困るということだ。ただギィたちはロークスのそういう面を忖度して黙っているが、大人げないポジションにいる俺はそんなことしない。しかしそのせいで、口が滑ってしまった。


「サティをこの辺境領に呼んでやっちゃどうだ?」


「ん?」


 一瞬、そんなことできるのかという顔つきをしたロークスだが、直ぐに子どものような笑顔を浮かべた。これで地頭はいい奴なんだが……。


「いい考えだ」


 それっきり何も言わずに俺の顔をジッと見ている。これは……、俺に迎えに行けと言うんだろうが、嫌なこった。


「俺は行かない」


「何でだ? あいつを説得できそうなのはお前だけだ。それに言い出しっぺはお前だろう」


「行かないと言ったら行かない」


「戦力として考えても、王都に置いておくのはもったいないだろ」


「あのなぁロークス、俺は命を狙われているんだ。この前も王都から追ってきた奴らに襲撃された。その内の一人は、駅馬を借用するための特許状ディプロマ印章シジルムを持っていた。俺があそこにノコノコと顔を出すのは、殺してくださいと言うようなもんだ」


「ふーむ。だがお前は殺されなかった。その程度の相手だろう」


「俺はお前と違って不死身でも何でもない。それにネネムだって行方不明だ! それがどういうことか、分からない訳でもなかろう!?」


「高位貴族がなりふり構わず力業で諸方へ手を廻しているか……」


 ギィが少し落ち着きを無くして、この話を聞いている。彼女だってそのことは考えたはずだ。だが改めて蒸し返されると、色々な問題点が心に浮かぶのを抑えきれないのだろう。


 だが今何とか説得しなければならないのは目の前にいるロークスだ。この馬鹿は、一度言い出すと強情を張ってしまい、考えを変えない所がある。気を抜くのは危険だ。それに長旅をしてここにたどり着いたばかりなのに、もう王都へ引っ返すなんて……冗談じゃ無い!



 だが俺は、馬鹿の強情さというものを甘く見ていた。おまけにこの馬鹿は、この地を支配する辺境伯様だ。結局一週間もしないうちに、俺は王都に向かって旅立つこととなる。



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