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◆神聖歴千五百二十六年 五ノ月 第三日 北方辺境領 ルーヴェ街道◆
五十歩ほどの距離でブリーズから下りた俺は、その場に留まるよう指示して前へ歩き始めた。今のところ奴らは、こちらの目論見通り動かず無言で待ち構えている。自分たちが圧倒的に有利と思い込み、俺が交渉に出ると考えているのだろう。
三十歩まで近づいた時、俺が軽く左手を振ると、両側の弓士と中央にいた二人の騎士の頭上半間ぐらいの位置で、一辺が一尺ほどの空間が三箇所『めくれ上がった』。そしてそこからこぼれ落ちた赤い粉のようなものが、騎士と弓士たちの頭にぶちまけられると、濃い霞となって辺りに広がる
最初に反応したのは騎士たちが乗った二頭の馬だった。ヒヒーンと怯えた鳴き声を上げると竿立ちになり、近くにいた胴鎧の男たちを巻き込んで倒れる。それから横たわったまま足掻いて誰かを蹴り、落馬した騎士を下敷きにして反転した。
頭上から大量の赤い粉の直撃を受けた二人の弓士も、一瞬の後に悶絶しながら倒れた。咳き込もうにも呼吸することが困難となり、失神して痙攣している。
同じように頭から身体全体に粉を浴びたが、全身鎧で身を覆っていた二人の騎士は、反応が少し遅れた。ただ、フルフェイスの兜にも当然多くの隙間がある。視界を保つためのスリットから、目の前が緋色に染まるのが見えたかと思うと、それが中に吹き込んできた。目、鼻、口を襲った痛みに絶叫した後、息を吸い込んだらお仕舞いだ。地面に叩き付けられた後、起き上がることもできない。
これに比べ、胴鎧の四人の男たちには数歩の距離があった。ただ彼らが粉の効果の範囲外に逃れるには、振り撒かれた粉の量が多すぎた。対処する間もなく、四人も赤い雲海に包まれてしまう。
咳き込み、顔や喉を掻きむしり、声にならない叫びを上げながらのたうち回る四人も、やがて動かなくなった。
前方の男たちは、まだ生きていたにしろ数日は身動きできないはずだ。俺は奴らの位置から周りに広がろうとする赤い雲から逃れるため、ブリーズが待っている後方に駈け出していた。なに大丈夫、こちらは風上だ。
それにまだ後方に二人、敵がいる。
ブリーズに飛び乗り、切り通しを戻って抜けると、その二人は十間ほどの距離に迫っていた。引っ返してきた俺の姿を見た二人は、両方とも直ぐに抜刀する。どう考えてもこいつらが無関係の旅人ということはない。
馬頭をそろえて前を塞ごうとする二人に向かって馳せ寄った俺は、手の内に隠した寸鉄を投げた。元より乗り手ではなく、それぞれの乗馬の顔を狙っている。
「クッ、卑怯な!」
片方の男が罵る。誰が『正々堂々と一騎打ち』すると言った? 勇敢な聖騎士様とでも思ったか? そんなのは俺の柄じゃない。
こいつらが乗ってきたような普通の馬は臆病であり、顔面に受けた攻撃には精神的に耐えられない。鼻面や目の付近を傷つけられたことで恐慌を起こし、悲鳴を上げて暴れ出した。
だが修羅場を多く経験しているブリーズは、こんな場合でも落ち着いて俺の騎乗に応える。
俺は二人の左側にブリーズを抜けさせ、すれ違いざまに柳葉刀をふるって一人の喉元を切り裂いた。あと一人。
最後に残ったのは、かなりガタイの大きい、筋肉質の男だった。罵声を発しながらも、力尽くで暴れようとする馬を抑え込んだのは大したものだ。しかし直ぐにその力を緩めるわけにもいかず、ほんの数瞬とはいえ、身動きがとれなくなっていた。
俺はブリーズを向き直らせて後ろ足で立たせ、前足を振り下ろさせて相手の馬を蹴らせる。ブリーズの蹄に怯えて後退した馬は、倒れていたもう一頭に肢をからませてしまった。
落馬した最後の一人の顔を柳葉刀で切り裂き、その後止めを刺すのは簡単なことだった。
「気の毒だが、俺は小狡い『盗賊』なんだよ」