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◆神聖暦千五百二十六年 五ノ月 第十三日 北方辺境領 ノザァンヌ山脈◆
カンテラに火を灯して隧道に入った。道幅は十間近くあり馬を引いて歩いても不安は無いが、頭上の空間はもっと高く感じられる。上方に光が届かないほどだから、騎乗してもよさそうだ。
ただ暗闇に目は慣れても、薄暗い灯りの照らし出す範囲は狭く、いきなり頭をぶつける羽目にならないかという危惧が付きまとう。
「通路の壁にある標識を見逃さないようにしてくだせい」
案内に付けられた中年の労働僧がブツブツと呟くようにそう言った。羊毛の荒衣の上に革の上っ張りを着込んでいる。頭には厚手のフェルトを重ねて刺し子にしたキャップをかぶって、足に履いているのは木製の底を付けたサンダルだ。裸足ではなく、足には麻布の細い帯を巻いている。身長と同じくらいの杖を持ち、背負子に食料やカンテラの油などを載せて縛り付けていた。
「間違った路に迷い込んだら、地底を永遠に彷徨い続けることになりかねん」
リオスが心細そうに言う。標識の他に、所々の岩壁に塗料で印が付けられているそうだが、初めての人間には意味不明な略号だった。
偶に天井の割れ目から、わずかな光と土臭い風が下りてくる。岩壁に水が流れ落ちてくる場所もあった。ただ、しばらく進んで路がちょっとでも屈曲すればまた真っ暗闇だ。
「最初にどうやって順路を探り当てたんだ?」
「少し進むごとに拠点を作って行きましただ」
俺の問いに道案内の僧が説明してくれる。
「最初からこんなに立派な路があったわけではありましねぇだ。リオス様の指導で魔導僧が岩を砕き整地した場所も少なくありましぇん」
「いったい、どれだけの年月がかかっているんだ?」
「ほんの十数年といったとこですじゃ。僧会がここの開鑿に取りかかった頃は、オイも若こうあんましただ」
計画段階から考えると、俺と出会う前からリオスはこれに関わっていいたことになる。
「ずーっと昔から、あっちに抜けられる路が地下にあるという伝承はあったのさ」
沈黙に耐えられなくなったらしく、ギィが声を掛けてきた。
「ペラスゴイ人の末裔が地底で暮らしているという与太話かい?」
「蛇神イグの住まうというヨスの洞窟じゃろう」
リオスまでが話に加わってくる。まあ、暗い中を黙って歩くのも退屈だ。誰かに聞かれると拙い話でもなかろう。いや、誰がいると言うんだ?
「こんなとこで話す話か?」
「ブドリ、怖いのか?」
ギィが冷やかすように言うが、お前顔色が良くないぞ。先に立つ僧も足元が乱れていた。
「この先に小休止できる場所がありますだ」
道案内がそう言うので、その場所で一旦腰を下ろすことにした。三頭の馬を岩を流れ落ちる水が溜まっている窪みまで連れて行く。水は飲ませるが荷は下ろさない。オヴェロンも長櫃を背負っているわけではないので、それほど負担ではないだろう。荷の中から下ろした飼料の袋を開いて、馬たちに与えた。
小規模な炉のようなものがあったので、粗朶を燃やして湯を沸かす。四人でハーブ茶を飲み、堅パンを食べた。
「ペラスゴイ人と言えば、迷信深い彼らの信仰した三柱の神々、黒きパロォルと、その眷族であるセイグ及びルサのことをご存じだっしゃろか?」
簡単な食事を終えた後、道案内の僧が話かけてきた。痩せた男で、頬から尖った顎にかけ続いた濃い髭が黒々と顔を縁取っている。顔色が悪く疲れの色が濃い。
「神聖教会の教義の話だろ」
「よくご存じだぁ」
俺がそう答えると、僧は見直したと言うように俺の顔を見た。俺はあんまり賢そうには見えないんだろう。
「メルクリウス派の奴らはこの三柱をオージン、ゲェ、ヘカテの神々に擬えますだ。つまり……」
「ゲェとヘカテはオージンの眷族と言いたいわけだな」
「それはあいつらの勝手なこじつけでぇ」
「メルクリウス派はオージン、ゲェ、ヘカテの発した混沌というのが、火星と木星の間にあった一つの惑星が崩壊して生じたと主張しているのじゃ。ペラスゴイ人はその惑星に住んでいた者たちの子孫であり、三柱の神は太古にそこで君臨していたとか言ったな……」
寒そうに腕を擦りながら、そうリオスが解説した。わずかな粗朶を燃やしただけなので、炉の傍に集まってもたいして暖かくはない。近くに流れ落ちる水の冷たさが、熱を奪っているようにも感じられる。そして少し離れた場所には暗闇が滞っていて、その中から何者かが監視しているような気がした。
「神々の存在をお信じになりますだかね?」
まじまじと俺たちを見つめる労働僧の視線を受け止め、俺は答えた。
「そりゃあ、魔導の力を知る者は、人間以上の何かを感じないではいられないさ」
「でも神々は、あんまり慈悲深い存在じゃありましねぇだ」
「そんなこと求めるのは、人間の身勝手というもんだろ」
すると僧侶は右腕の袖を捲り上げて見せた。手首から上の皮膚が硬化して大きな爬虫類の鱗のようになっている。
「これでも聖女様の力で、石にならずにいますだ」
この男の求めているのは、同情だろうか、それとも共感か、慰めか、ひょっとして罵倒や叱責なのか?
「加行は?」
「お勤めは毎日こなしていますだ」
「はぁ……」
部分的に進行する石化は、彼にとって神罰か呪いのように感じられるのだろう。実は加行は、苦行や贖罪などではなく生き方そのものなのだ。そのことを悟ることができなければ、その加行は形ばかりの意味しかない。
魔導力と共存し、なおかつ魔導力を制御し、その力を使うのは、人間を越えながら心身共に人であり続けようという、矛盾した生き方だ。それを自分の肉体に『納得』させなければ、例えばこの僧侶の身体に起こったような現象が生まれる。
この『納得』は他力本願でも、あるいは逆に自分だけの力だけでも得られない。
魔導の使い手であるには、自力だけでは不足で、持続的な援助を必要とする。そこに師弟関係や、騎士団による統制や、教団の援助などの必然性があるのだ。
だがこの僧侶の場合、多分本人の資質も教団による支援も不十分なのだろう。いくらネフが『聖女』でも、できることは限られている。彼女は決して、神ではないのだから。
「あんさんはネネム様のお弟子だと聞ちょりますだ。さぞかし厳しい修行をなされたんでぇございまっしょ」
俺の使える力と言ったら、若干の身体強化、感覚の増幅、それに『セル』を持ち歩き開いて中身を出す、それだけだ。あとは普通の訓練によって得た体力、武技、身軽さなどで、並の人間との違いは無い。
プナコト手稿によると、六千五百万年前『異界』からの最初の侵攻は『針』の形態の鉱物生命体によるものであった。大気圏外から降り注いだそれらは、白熱しながら地球の近くに打ち込まれる。『針』は上部マントルと地殻の間に芽吹き、約一千万年かけて地球の内部を覆い尽くすネットワークを形成した。
第二次侵攻はその後、始新世から鮮新世と呼ばれる、巨大爬虫類が跋扈した時代。プロトタイプの『セル』に包まれた『胞子』が搬入され、大気圏内に散布された。ほとんどは根付くことができず死滅したが、生き残って地表に到達したものは近く深く根を下ろし、『針』の形成した泡包のネットワークと同期を果たした。この『胞子』が延ばした地殻内の回路を、魔導士たちは『地脈』『龍脈』などと呼んでいる。
『龍脈』の名称は『胞子』が地上に伸ばした『菌糸茎』から飛ばした胞子が『竜』たちを産み出し、生き残らせた場所が、地下に形成された回路沿いに生まれた結果付けられた。これらの『竜』たちが生き残ったのは、それぞれの個体に根付いた『菌糸』が形成する『共振回路』が『龍脈』から汲み上げる『魔力』を利用するよう進化したためである。
ただし当初、これらの『魔力』を利用する恐竜種の能力は、遺伝的に継承されるものではなかった。従って、恐竜種という種族全体の存続よりも、『魔力』を利用できた個体を生き延びさせる方向での効果をもたらした。『竜』たちの個体数が少なく、久しく高齢なのは、このためである。
『胞子』の恐竜種との親和性は、この時代の地球世界の支配種族であるこの種により優位を占めるため、予め設計されたもののように見える。結果としてそれが必ずしも成功した試みではなかったとしても、この『意図』の背後にはある種の知性の存在が感じられる。
これらの記述の中で触れられている『セル』が、俺の『能力』の種である。プナコト手稿を研究したネネムは、『セル』が異界からこの地球世界へ渡ってくるための容器、あるいは方舟のようなものではないかと考えた。
約三百万年前と考えられる第三次の侵攻では、『第二世代のセル』によって、植物及び昆虫疑似生物などが持ち込まれる。ただし『地球世界』に適応できたものは少なく、生き残った物も形質を大幅に変異させることで種を存続させる必要があった。これらは『旧世界』の原生種ではなく『改良種』であったのにもかかわらず、成功例はわずかであった。
手稿から得た知識に基づき、旧世界と地球世界の狭間に探索の手を伸ばしたネネムが、最初に発見したのがこの『第二世代のセル』である。それを引き寄せ、開いてみると、空であったが、容器としては内側が一辺一尺ほどの正四面体だった。そしてそれらは、あの『狭間』に、無数にうち捨てられていたのである。
この後ネネムは探索を続け、およそ二万年ほど昔に起こった第四次侵攻に使用されたと考えられる、より大型の『第三世代のセル』の発見にも成功している。