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◆神聖歴千五百二十六年 五ノ月 第六日 北方辺境領 クリュニィの僧院◆
二つの長櫃を前に、ギィと俺がにらみ合っていた。
リオスは思案顔で何かを考え込んでいる。
羊毛を織った厚手の上っ張りの前を、たくし上げるようにしてネフがしゃがみ込んだ。
「ギィ、この中の貴金属類はあなたに預けます。できるだけ高値で処分してください」
長櫃の蓋の封印に指先を触れ、口の中で何か呟くと、印章を捺された鉛の塊が熱せられた蝋のように溶けて流れ落ちた。おおかた高位貴族家に伝わる、秘匿のための魔技か何かなのだろう。
それからネフが留め金を外して蓋を開けると、中から布に包まれた金銀の食器具やら燭台、化粧具、家庭内で用いる聖具、等々が出てきた。豪勢なことに、それらがぶつかり合わないように隙間に詰められているのは、小袋に入れられた真新しい金貨だった。
「良いのでしょうか、ネフェリィス様? これらを抵当にして資金を借りるという術もありますが……」
「足元を見られるのが落ちです。交渉に時間を掛けると、王都の手が伸びて来ます」
ギィが長櫃から取り出した小袋の山を見て、最初は感心していた俺だが、そこで妙なことに気付いてしまった。
「おい、ちょっと待てよ。確か金貨で十万エキュ入っているとか言ってなかったか?」
ギィの奴は知らんふりだ。
「どう見ても、それだけあるようには見えないんだが……」
「今さらか」
馬鹿にしたようにギィが言う。クソッ! 王都からここまで運んでいて、それに気付かなかったとは、俺も抜かっている。素人じゃあるまいし!
十二エキュ金貨の重さはほぼ一トリョンスで、こいつは大麦の主穂四百八十粒分の重さと決められている。だから十万エキュと言ったら、五百六十斤以上の重さがあるはずだ。これは平均的な成人、例えば俺とかネフあたりだが、五人分の体重と考えてよい。
いくらオヴェロンが大型馬の中でも優れた馬だと言っても、そんな重荷を担って長い道のりを歩けるはずがない。
現に俺が長櫃を持ち上げて、オベロンの荷駄鞍に載せた時のことを考えても、一つ当たり百二十斤程度というところだろう。ということは……。
「せいぜい二万エキュか」
「いい目利きだ」
ギィが馬鹿にしたような目で見て、そう言った。
「てぇことは、残りの八万エキュは」
「これさ」
ギィが懐から数枚の羊皮紙を取り出し、ニヤニヤしながら俺の顔の前で振り回す。
「『暁の手形』かぁ」
「そうだよ金庫番」
本当はいつものように『守銭奴』と言いたいんだろうが……『軍団』の資金を引き出そうとするギィと、出し渋る俺との掛け引きは相変わらずだ。
『暁の軍団』は俺たち『瞳』を中核に、魔侯軍からこの国を守ろうと集まった軍勢だ。わかり切ったことだが、数万にも及ぶ魔侯軍に対抗するのに、『暁の瞳』の五人やその知り合い程度の少人数では手が回るはずがない。
だから俺たちの志に同心してくれる男たちや、そして女たちを、俺たちは募ったのだ。
集まったのは各地に根を張る土豪、戦場で手柄を立てて一旗揚げようと考えた小貴族の次男三男、あるいはこれを商機と見て戦場にその身を置くことをためらわなかったギィのような商人など、様々だ。
この他に軍事の専門家であるヨージフ将軍や副将のダグウッドなどが、王宮から派遣されて参加している。
だが人間だけ集まったところで、それだけではまだ戦力にはならない。人間や馬は食べねば生きてはいけないし、武器だって消耗に備えてそろえねばならない。戦闘に魔導術を行使するなら、それなりの素材を用意することが必要だ。
つまり戦争をしたければ、金がいるのだ。
金は天から降って来るものではないし、お偉い方々は卑しい下々の為に資金を提供しようとはしない。そもそも『暁の瞳』が名乗りを挙げた時には、この国を守り抜く事ができる勢力になるなどとは、誰からも見なされてはいなかった。そんな奴らに出資して何の得になるのだ、というわけだ。
だからまあ、あまり詳しく説明したくないような方法をいくつも使って、俺たちは軍資金を調達することにした。今現在、ギィのような奴が大きな顔をして俺たちの仲に深く食い入っているのも、そんな経過と無関係ではない。
その後のことになるが、『暁の軍団』が転戦した先々で得た軍資金の約千八百万エキュと運用益の一部を、俺は自分の管理する『セル』の中に預かっている。
どうやって得たかって? 主に、魔侯軍が略奪した財物を奪い返し、処分したものだ。いやつまり、公にはそういうことになっている。
これは正当な権利というやつだが、下手にそれとわかる形で持ち歩いていると、元々の持ち主は自分だから返還しろと言い出す奴が現れかねない。それどころか、何の関わりもないくせに横取りしようとか、没収しようとかする高位貴族や王族だっている。
だから現金以外のそういう財物を手に入れた場合は、直ぐにギィが運び出し、目立たない形で売り払ってしまうのだ。
この軍資金無しに、『暁の軍団』が魔侯軍との戦いを続けることはできなかったろう。腹の立つことに高位貴族や王族という奴らは、恩着せがましく口は出すけど必要な金は出さないと、昔から決まっているようなのだ。
まあバレない範囲であれば、魔侯軍を経由せず、奴らが滅した諸侯の屋敷などから直接回収して得たものも、無い訳ではない。その辺、戦闘に伴うドサクサのせいで、曖昧になってしまうのは仕方ないことなのに、口を差し挟もうとする奴もいるのはどうかと思う。
さて、戦場では現金以上に信用されるものはないが、反面それを持ち歩くことには色々な危険が付きまとうのが難点だ。
『セル』という他の者には手出しできない『入れ物』を持つ俺が、『暁の瞳』の『金庫番』の役割を任されたのも当然のことだと言える。
無論この資金は、誰かの恣意的な裁量で野放図に使ってよいものではない。そんなことをすれば、俺たちの『聖戦』は己の欲望のままに強奪を繰り返す野盗の群れと、何の違いも無いものになってしまうからだ。だからその資金の運営管理は、内部の者しか知らないが、かなり厳格に定められた手続きによって縛られている。
今ギィが持っている手形もその書式の一つで、おそらく王都にまだ残っている現金や財物を担保に振り出されたものだろう。この手形が有効になるためには、『瞳』のメンバーである五人の過半数である三人以上の同意が必要だ。つまり俺の知らないところで方針が決められていたことになる。
気に食わない。なるほど俺は五人の中で一番の若年者で、他の四人から思慮が足りないと何度も言われてきた。だが一言の相談もなく『資金』の運用を決められては、俺の立つ瀬がない。一緒に行動してきた今までの十二年間は何だったのだということになる。
「誰の署名があるんだ?」
俺が尋ねるとギィではなくネフが答えた。
「ロークスとサティ、それにネネムです」
それを聞いた俺が片方の眉をつり上げてみせると、リオスが付け加えた。
「僧院長様は、言わばその、当事者ですからな」
つまり俺以外全員一致というわけだ。これでは拒否するわけにはいかない。
「手形を見せてくれ」
ギィのよこした六枚の手形には、それぞれ三人の署名があり、しかも八万エキュどころか総額六百万エキュにも及んでいた。
「これは! いくら何でも、担保と釣り合わないだろう!」
最後の抵抗とばかり、俺は反論した。ネフから目を反らしながらだ。しかしいくら王家に連なるアルシャーン公爵家公女の婚資とはいえ、それほどの価値を見込めるはずがない。
外堀を埋められているようだが、言うべきことは言っておこう。十二年間の後半、俺が財布の紐を握って管理していなければ、資金の枯渇で『軍団』は崩壊していた。それに現在の資金の中には、俺が行った運用のお陰で、元金より増えた分だって含まれている。
「よく見ろよ。エンブリオ辺境伯の裏書き付きだ」
辺境伯の領地からの収入が担保か……リスキーな手形だ。
1月5日、オヴェロンが運べる重さの計算が合わないのに気付き、『銀貨』ではなく『金貨』で軍資金を運んできたことに変更しました。
なお、この世界この時代では、同重量の金銀比価は12:1程度です。摩耗しにくいよう、金貨には1割程度の混ぜ物がされています。さらに、金銀のような貴金属の探鉱や精錬には魔導術が利用されており、現実の歴史より多く生産・流通しているという設定です。
読んでみておかしな点を見つけた方は、ご指摘くだされば幸いです。