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◆3の3◆

 ◆神聖歴千五百二十六年 五ノ月 第六日 北方辺境領 クリュニィの僧院◆


 ルーヴェ街道の終端にあるクリュニィ僧院は、ノルト川添いの崖の上に建つレンガ造りの建物である。


 川沿いの街道から見上げると、丘の上にそそり立つような姿だが、門前町のある丘の反対側へ回ると、そちらは緩い傾斜でどこまでも広がる豊かな農地となっている。


 そうは言っても街道から見る限り、多くは牧草地とライ麦畑か根菜類等の栽培地であるようだ。


 ヴェルツ海に流れ込む暖い流れのお陰でノルティス平野では寒さが和らげられているとはいえ、ノザンヌ山脈に近く標高の高いこの辺りは、そこまで温暖ではなかった。


 街道から折れると、ライ麦畑の先にある蒲萄畑の間を抜ける幅広の馬車道が、僧院の門前まで真っ直ぐに続いている。僧院を囲む高い石塀は、世に言う城塞都市の城壁ほどではないが、それでも四身長つまり二十尺近くもあり、外部からの侵入を阻んでいた。


 僧院の門前町は城門をくぐった先から始まっている。幅広の鉄帯で補強された頑丈そうな扉は大きく開かれていたが、その前には短槍を持った門番とおぼしき数人の兵士が立ち、出入りする人や荷車をあらためていた。



「見ない顔だな。何者だ?」


「俺はポラァノのブドリ。見ての通り、荷運びさ」


「よし、では荷を開けろ」


「いやぁ、そいつはまずかろう」


「何? 役目だぞ! 別にまいないをよこせと言うのではない!」



 髭のない若い兵士が憤激したように顔を赤らめて怒鳴った。これだから田舎者は困る。隣の年長者らしい男がしかめっ面で俺の方を見た。こいつをなだめて欲しかったら、いくらか袖の下をよこせという面だ。


「この荷は僧院長宛てだ。中身の詮索は無しだよ。急いで上の誰かに取り次いで欲しいな」


 最初は小銭を握らせて穏便に通り抜けようかと考えていたのだが、俺も疲れていて面倒になってしまった。結局ぶっきらぼうな物言いになってしまう。


 すると若い方が百面相を始めた。普段役目を笠に着て余所者を脅し、いい気になっているのだろう。だがそれが通用しないとなると、どうして良いのかわからないのだ。ネフもとんだ駄犬を門番に雇っていたものである。


 年上の方は、多分このおっちょこちょいをいいように操って自分はなだめ役に廻り、時々やって来る旅人から袖の下をせしめているのだ。町場の破落戸ゴロツキがみかじめ料を搾り取るときによくやる手である。


「嘘をつくな! このかたり者め!」


 年上の方が迷っている間に、若いのがキレ始めた。


「おいおい兄さん、わめく前に上に確かめてみな。吐いた唾は飲み込めないんだぜ」



 門前町とはいえ、それほど多くの人口を抱えているわけではないから、出入りも疎らであった。だが出入り口の真ん中で馬二頭を押し止めて、詮議を始めようとすれば、目立たないわけがない。そろそろ後ろの方が大分つっかえてきた。



「これ、どうしたのじゃ?」


「あっ、これはリオス様」


 女連れで、山羊のような顎髭を伸ばし灰色の長衣を着た男が、門の内側から声をかけてきた。おや、二人とも顔見知りだ。


「こ、この男が、僧院長様宛の荷を持って来たなどと……」


「ふうむ。それは嘘ではなかろう。見知った顔じゃ」


「えっ? さ、左様で……」


 引っ込みがつかなくなった若いのは、急に顔色が悪くなった。


「ま、この男の身柄と荷物は、わしが預かろう。それで良いだろうな?」


「無論でございます。おい、バンコ、文句は無いな!」


 年上の奴があわてて事態の収拾にかかった。若いのの巻き添えはご免だというわけだ。状況が呑み込めていない馬鹿は、まだ何か言いたそうだったが、リオスのひと睨みですくみ上がった。



「おい、ブドリ、何を遊んでんだ!」


 門を離れると、茶金の瞳をした連れの女の方が低い声ですごんだ。ちょいと背が高く、豊満な体つきを紺の長衣で包んでいる。その長衣も金糸の縁取りのある上等な物だ。


「そう言うなよバラバムート親方。あんたみたいに大勢の使用人を使っている身じゃないんだ。王都からひとりで重い荷物を運んで、クタクタだ。少しは労ってくれよ」


 この猫目の女はバール・ギィローズ・バラバムート。女ながらにバラバムート家の当主を務め、王国の商業ギルドの理事であり、戦場を巡って稼ぐバフメット商隊の頭でもある女傑だ。


「ギィと呼べと言ったろ! お前はうちの奉公人じゃないんだから」


 若そうに装ってはいるが、実はこいつが四十過ぎだと俺は知っている。色気たっぷりに時々俺をからかってみせるが、所詮こいつの根の所はおっさんだ。まあ、何十人もの荒くれ男を引きずり回して戦場で商売するんだから、仕方ないことだろう。


「それで一体なぜ、荷駄など引いて来られたのです? ブドリ殿には『あれ』があるでしょう?」


 こっちの爺さんは、と言っても女商人ギィより十歳ほど年上なだけだが、ペリクレス・アノ・リオシアことリオス。経験を積んだ錬金術師で、ギィと共に『暁の瞳』の準構成員といったところである。ちなみに、先日俺を待ち伏せしていた奴らの上にぶちまけた代物も、リオスが調合したものだ。


「それがな、荷物の引き渡し場所に、うちの師匠が現れなかったんだよ」


「何ですと!」


「ふぅーん。そりゃ、マズくないかい?」


 ギィの言うとおりマズいに決まってるが、今の俺にはどうしようもないことだ。



 外側の石塀の内側にもう一つ石塀があって、その内側の塀に囲まれているのが僧院の本体であるいくつかの建物だ。門前町は内側と外側の塀の間に、二つの塀の門をつなぐ道路の両側に集まって、形成されている。


「でなぁギィ、ここはどうなっているんだ?」


 クリュニィの僧院自体は百年以上前に開かれたものだが、二つの石塀が造られたのはここ十年ほどの間で、門前町ができたのはつい近頃とのことだ。


 路沿いに並んでいるのは、何軒かの宿屋兼酒場、鍛冶屋兼蹄鉄屋、薬種屋、娼館兼風呂屋、鋳掛屋、木工師、古着屋、酒屋兼調味料及び油屋、皮革職人、仕立屋、薪屋、肉屋、雑貨屋等々だが、いずれも最近の普請で、壁の塗りも新しい建物ばかりだ。


 だいたい地方にある僧院というものは自己完結しているのが基本で、衣食住の全てを自前で賄っているものなのである。門前町が形成されるとすれば、その僧院が名高い聖遺物を所有しているとか、著名な高徳の僧侶神官がそこにいて奇跡法力等を顕現させているとかの評判が広がり、遠隔の地から多くの巡礼が集まってくるような場合しかない。


 俺が辿ってきた街道の様子を思い返しても、そんな巡礼たちの姿など毛ほども見当たらなかった。この門前町に店舗を置く商人たちは、一体誰を顧客として商いをするつもりなのだろう?


「なんだブドリ、お前何も聞いてないのか?」


 少し哀れむように見下ろすギィの視線に、俺は何と応えたら良いか思案した。こいつが俺を子ども扱いするのは、出会った時から変わらない。だいぶ伸びたとは言え、未だに俺の方が身長は低いし、身体の大きさというか重さだって負けている。当たり前だが、俺が二十四になった今でも、十七歳の年齢差が縮まるはずもない。


「ここに店を構えている商売人たちは、みんなバラバムート商会の息がかかってんだろう」


「まあ、ほとんどな」


「だとしたらお前、何を始めるつもりだ?」


「ブドリ殿、そこは『我ら』と言って欲しいところです」


 リオスが取りなすように言うが、素直に聞ける気分ではなかった。自慢にはならないが、俺は了見の狭い男なんだ。それに、誤魔化されてたまるか!


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