観覧車
『東門古濾紙』と『角切もにく』の二人は、変貌した『琴美』から逃げ、気が付けば《観覧車》の前まで来ていた。
その乗り場近くに置かれているベンチに『東門古濾紙』は腰を下ろした。思わず溜め息が口から漏れる。走ったせいか、痛みが波打つのを繰り返している。
「大丈夫ッスか?」
『角切もにく』が顔を覗き込んできた。
「あぁ、うん、大丈夫……」
言ってすぐに、大きな痛みの波が来て、『東門古濾紙』は「うっ」と短く呻いた。
「全然大丈夫じゃないじゃないっスか」
「血は止まったみたいだから平「デコの傷ナメてるとヒドイ目に遭うッスよ」…………」
最後まで言い切らない内に被せて言ってくる『角切もにく』。
「経験者みたいに言うなぁ」
「経験者ッスから」
「マジか」
女の子が怪我なんかしてんなよ。
そう思ったがなんとか口から出すのだけは止める。
『東門古濾紙』はハンカチで傷口を押さえたまま、《観覧車》を見上げた。
楕円形の敷地、その中腹からやや入り口寄りに位置するそのアトラクションは、闇夜であるにも関わらず、はっきりとその姿が見えた。しばらく見ていて、それが、《裏野ドリームランド》の敷地外にある明かりを映しているからだということに気付いた。そして、その反射の所為か《観覧車》の付近は薄ぼんやりとその輪郭を暗闇に浮き上がらせていた。
「そういや、お前――」
『東門古濾紙』は立ったままで辺りを警戒している『角切もにく』に視線を下げる。
「『琴美』……あぁ、いや、『琴美』だったヤツか。アイツに何したんだ?」
殴られた直後。
『東門古濾紙』は二撃目を構える『琴美』が倒れる様子と、いつのまにか移動していた『角切もにく』の姿しか見ていない。
「あー、とっさに走り飛び膝蹴りを後頭部に食らわせたンスよ」
ひょうひょうとした様子で『角切もにく』は、さらりと言う。
飛び膝蹴り……。
女の子がとっさに繰り出す技じゃねぇな。
そう思った『東門古濾紙』だが、それであの場──というか変貌した『琴美』から逃げられたのだから、余計なことは言わないことにして、
「助かった。ありがとう」
と、代わりにお礼を言った。
「貸し、一つッスね」
「……かわいくねーやつ」
「自分が目指してるのはカッコイイなんでそう言われると照れるッス」
「今のぼくのセリフに照れる要素あったか?」
なんだろうコイツ。
話せば話すほど分からなくなってくる。
なんやねん、お前。
──ざり。
耳が感知した音に、『東門古濾紙』と『角切もにく』は身を強張らせた。
二人は無駄な動きを止め。音の方向を探る。
──ざり、ざり、ざっ、ざり。
こちらへ来る。
ざり、ざっ、ざり、ざり、ざり、ざり──
音は、今、自分たちが来た方向からだった。
「…………っ!」
『琴美』が意識を戻して二人を探しに来たのだろうか。
近づいてくる足音に、二人は身構えた。
闇からこちらへ姿を見せたのは──ペンライトを片手に足元を照らしながら歩いてくる『細田三矢』とそのパートナーの『瀞蹴かれい』だった。
「あれ? なんで君たちがここに?」
『細田三矢』が驚いた声で言う。
その隣に立った『瀞蹴かれい』も、
「確か君たちが向かったのは《ミラーハウス》じゃなかったっけ」
と続けて疑問を口にした。
見覚えのある二人に、『東門古濾紙』と『角切もにく』は安堵しながら経緯を話した。
《ミラーハウス》のウワサは本当だったこと。
それで『琴美』が別人のように変わってしまったこと。
そして──その『琴美』に殺されかけたこと。
「……あぁ、それで一人足りないんだね」
話を聞き終えて『瀞蹴かれい』が納得したように呟いた。
「傷は大丈夫なの?」
『細田三矢』が心配そうに様子を窺う。
「あ、うん、なんとか大丈夫……」
言ってしまってからハッとして『角切もにく』を見た。
先程みたいに何か言われるかと思ったが、彼女は黙って警戒体勢に入っていた。
「……大丈夫」
「そっか。でも、ここを出たら病院に行った方がいいね」
「そうだな、そうする……あ、でも、理由聞かれたらどうしよう」
「理由?」
「怪我の理由だよ。流石にさ、『人に懐中電灯で殴られました』っては言えないし」
「あー、確かに……。そうだ、それなら、『ふざけてたら友人が持ってた懐中電灯が当たりました』って言えばいいんじゃない?」
「お、なるほど。それいいな」
『細田三矢』のアドバイス(?)をもらい、病院で怪しまれずに治療を受ける算段が仕上がったところで。
「──ねぇ、君たち。《観覧車》のウワサがどんな内容だったか知ってる?」
《観覧車》を見つめながら『瀞蹴かれい』が訊いてきた。
その傍では『角切もにく』が《観覧車》を睨んでいる。
『東門古濾紙』と『細田三矢』はきょとんとして、お互いの顔を見合わせた。
「それって確か──」
《廃園になった遊園地、人なんか誰もいない筈なのに……観覧車の近くを通ると声がするらしい。小さい声で、『出して……』って。》
「──とか言う話じゃなかったかな」
『東門古濾紙』が思い出しながら答える。
「……聞こえた」
『角切もにく』が《観覧車》を見据えて言う。
「は?」
『東門古濾紙』は『角切もにく』を見る。
「し」
と、『瀞蹴かれい』が制した。
辺りが静まり返り──
『出して……』
「!」
声が聞こえた。
か細く幽かな声。
けれども耳にハッキリと入ってきた。
「………………ッ」
『東門古濾紙』は《観覧車》を見て、血の気が引くのを体感した。
《ミラーハウス》では冷静でいられたものの、これは流石に青ざめる。
《観覧車》のゴンドラには誰も乗っていないのだ。
乗っていないのに、声がする。
それも。
「こども……?」
『細田三矢』がぼそりと呟く。
だが、今この場に子供と称される年齢の者はいない。
──いない。
がちゃん!
その音に、『瀞蹴かれい』以外の三人はビクッと肩を跳ねさせた。
一瞬、口から出るかと思うほどに心臓が大きく跳ね、その余韻でどっ、どっ、どっ、どっ、どっ、と激しく脈打つ。
思わず胸元を押さえる『東門古濾紙』。その傍で『細田三矢』は無表情で硬直し、『角切もにく』は警戒体勢から臨戦態勢に入っていた。
「こちらのウワサも本当かぁ」
ただ一人、『瀞蹴かれい』だけがひょうひょうとした態度で腰に手を当てて独り言のように呟いた。
がちゃん!
再び音が鳴る。
『細田三矢』がペンライトでゴンドラを照らす。
がちゃん!
がちゃん!
がちゃん!
がちゃん!
がちゃん!
ゴンドラの、扉のノブが激しく動く。
その金属が擦られる音の中から先程よりも一層ハッキリと。
『出して……』
その声は聞こえた。
「開けてみようか」
そう言ったのは、目の前で起きている現象になんら動じていない『瀞蹴かれい』だ。
えっ、と声を上げて三人は『瀞蹴かれい』を見た。
「いや、ほら、出してって言ってるし」
あっけらかんとして言う『瀞蹴かれい』。
「でも何が起きるか分からないッスよ」
警戒したまま、『瀞蹴かれい』に鋭くツッコミを入れる『角切もにく』。
「分からないから確認するんだよ」
「自殺行為ッスよ」
「そうじゃないかもしれないよ?」
「そんなの、五分五分じゃないッスか」
「二つに一つなんだからいいじゃない」
「50%の危なさがあるってことッスよ」
「50%のそれ以外があるってことだね」
「危ない方に当たったらどうするんッスか」
「危なくない方を引き当てればいいんだよ」
「…………」
「それに、開けるのは私がするから」
「………………」
完封。
『角切もにく』はそれ以上、何も言わなかった。
言えなかった、が正しいのかもしれないが。
「じゃ、やってみようか」
軽く言い置いて、『瀞蹴かれい』は《観覧車》に近付く。
もはや暴れるゴンドラとなっているそれに歩み寄り、まじまじと見る。そして、
「──開けてあげるよ」
暴れるゴンドラにそう囁くように言った。
すると、
がちゃん。
その一つ暴れを最後にドアノブは動かなくなった。
「ん、いい子だね」
あやすような柔らかい声で『瀞蹴かれい』は言って、ドアノブに手を掛けた。ゴンドラの扉、そのドアノブは間仕切錠になっていて、外側からのみ施錠解錠が出来る。
『瀞蹴かれい』は施錠されていたそれを解錠し、バー型のそれを下に押し下げて──扉を開けた。
ゴンドラの中は──空だった。
何もない。
そして。
何も──起きなかった。
「……50%の危険以外を引き当てたちゃったか」
なんだかつまらなさそうに言う『瀞蹴かれい』。
「何もなくてよかったッスよ」
睨みながら、『角切もにく』が言う。
この場でのやり取りで、彼女は『瀞蹴かれい』に対して警戒心を持ったようだ。
そんな彼女の視線を受けて、『瀞蹴かれい』は肩をすくめた。
「それじゃ、何も起きなかったことだし、彼の傷も心配だ。このまま帰るとするかな」
この場の空気を変えるためか、『瀞蹴かれい』がそう言ってゴンドラの扉から手を離したとき。
その背後から物音がしたかと思った瞬間、闇から何かが『瀞蹴かれい』に振り下ろされた。
が、しかし。
「!?」
それが当たる直前。
『瀞蹴かれい』の体が、振り下ろされたそれを避けるように、ゴンドラの前から飛ばされた。
見えない“何か”に突き飛ばされたように。
バランスを崩した『瀞蹴かれい』は、倒れ込みながらもその細身を上手くしならせて受け身を取った。
その場にいる全員が、物音がした方を見る。
植木の茂みから、襲撃者は出てきた。
「……また失敗」
そんなセリフと同時に『細田三矢』が照らすペンライトの先に見えた姿は──どこからか調達してきた鉄パイプを持った『琴美』だった。
「…………っ!」
『東門古濾紙』はベンチから腰を浮かせた。
《ミラーハウス》で殴られたばかりだ。
反射的に警戒する。
「もうちょっと強くキめてりゃよかったか」
『角切もにく』が舌打ちをして、忌々しそうに『琴美』を睨んだ。
「本当に中身が入れ替わったんだね、雰囲気が全く別人だ」
受け身を取った体勢から立ち上がり、『瀞蹴かれい』がそんな感想を言った。
たった今、殴られそうだったのに──殺されそうだったのに──変わらずひょうひょうとしている。
「別にアタシには関係ない──」
『琴美』が言って、再び鉄パイプを振り上げたと同時に。
その体が何かに押されたようによろめいた。
「な、なに」
己に起きた現象に『琴美』は狼狽える。
続けて二回、三回とそれは続き、よろめいては堪え、よろめいては堪えるのを繰り返している内に、握りしめていた鉄パイプを落とす。
最後は大きくよろめき、ついには倒れ込んだ。
そうして倒れ込んだ先は──ゴンドラ。
勢いで『琴美』の体が収まると、その扉が勢いよく閉じられ、錠の掛けられる音が響いた。
『琴美』は体を起こし、中から訴える。
「ちょっと、なによこれ! 出しなさいよ!」
ゴンドラの中で暴れる『琴美』。
窓をしきりに叩くが、割れる様子はない。
「さて、今のうちに逃げようか」
『瀞蹴かれい』が悠長に三人に促す。
『細田三矢』が頷いて、
「僕が先を照らすから、君は彼をお願い」
と、傷を負った『東門古濾紙』に気を使ってか、『角切もにく』にそう言って先立って歩いた。
『東門古濾紙』は『角切もにく』と並ぶ形でそのあとをついて歩く。
生ぬるい夜風と後味の悪い雰囲気だけがメンバーの間を漂い、それらを同行させながら入り口へと向かった。