メリーゴーラウンド
「あーあ、綺麗だったのにねぇ」
心の底から惜しむように『瀞蹴かれい』が呟いた。
「そう、ですね……。綺麗、でした」
遠慮がちに応じたのは『細田三矢』。
二人は、園内の最奥にあるアトラクション──《メリーゴーラウンド》の前に立っている。
「ウワサは本当だったんですね……」
『細田三矢』は、闇にうっすらと見える、動きの止まった《メリーゴーラウンド》を見上げ、驚いた余韻をその声に滲ませながらそう呟いた。
ウワサ。
それは──
《メリーゴーラウンドが勝手に廻っていることがあるらしいよ。誰も乗っていないのに。明かりが灯っているのはとても綺麗らしいんだけどね》
──というものだった。
そして、そのウワサ通り──二人は動く《メリーゴーラウンド》を目撃した。
しかし、二人がしばらく眺めていると、何の前触れもなくその回転が止まった。装飾の明かりも消え、明るい音楽も消え、辺りは一気に暗闇へと転化した。
文字通りの暗転である。
残った明かりと言えば、自分達が持つペンライトの僅かな光だけだった。
「……誰かが操作してるってことですかね」
『細田三矢』は隣に並んで立つ『瀞蹴かれい』を窺うように聞いた。
すると、ふふっ、と小さく笑う声がして、
「意外と現実的な考えをするんだね、君は」
と、『瀞蹴かれい』が静かにそう返してきた。
「意外と、って……ぼくにどんな印象を抱いてたんですか」
「ロマンチスト」
予想外の答えに、『細田三矢』は面食らった。
そんな印象は今までに言われたことがなかったからだ。
「それこそ……意外な言葉です」
「どうして?」
「ぼくは……その反対に位置する人間ですから」
「リアリストってこと? 現実主義」
「主義……というほどではないんですけど」
癖、というか。
目の前で起きる現象や聞き及んだ現象やなんかでも、現実に沿った考えをしてしまうのが、『細田三矢』だった。
オートマチックにその現象が起きる理由を考えてしまう。
『する』、のではなく、『してしまう』。
もはや、反射反応といってもいいくらいに。
「なんていうか……目の前で起きてる物事に対して──そうなるのには理由がある、と考えてしまうんです」
「ふぅん……そうなんだ。それでさっきの台詞、ね」
穏やかな声で言って、『瀞蹴かれい』は納得したようだった。
それから続けて、
「もしそうなら、その『誰か』は、何のためにこの《メリーゴーラウンド》を動かしているんだろう? それも、ウワサになるくらいに」
と問題提起した。
「何のために……」
呟いて、『細田三矢』は考える。
夜に廻るメリーゴーラウンド。その装飾や明かりは──先程二人が呆然と眺めるほど綺麗で──夜というシチュエーションではかなり目立つだろう。それを、ウワサになるほど頻繁に動かしている。
目立って──ウワサになる。
それは──誘引。
そして、至った考えを提示する。
「……人を、呼び寄せるため、でしょうか」
言うと、「ふむ」という声が隣から返ってきた。
「ふふ、いい線いってるかもね」
その声に、僅かな楽しさが感じられたのは気のせいだろうか。
「──それじゃあ、それを踏まえてもう少し考えてみようか。どうして……人を呼び寄せる必要があるのか」
『瀞蹴かれい』は動かなくなったメリーゴーラウンドを見据えたままで言う。
「人を呼び寄せる理由ってことですか?」
「そう」
仄かに見える『瀞蹴かれい』のシルエットは、動かずに短く応じた。
『細田三矢』は再び考える。
人を集める──目的?
人を呼んで集めるとき──は、大概、見て欲しい物事があったり、聞いて欲しい物事があったり、何かして欲しいことがあったりと色々だけれど、この場合は──
──その全て。
「人──それ自体がこの場所に必要だから」
ここ──裏野ドリームランド内に人を呼び──アトラクションを体験してもらい──ウワサが本当だったことをその結果でもって証明し、持ち帰らせることで、またさらにウワサが広まり人を呼ぶ。
人を媒体にしたウワサのループ。
「君は本当に良いスジをしているねぇ」
『瀞蹴かれい』のシルエット──その頭部が『細田三矢』の方を向き、褒めた。
「合っていそうな答えが出たところで、本題に戻ろうか。メリーゴーラウンドに呼び寄せられた私たちだけれど──どうする? 乗る? 乗らない?」
何が起こるのかは未知数だけれど──とペンライトでメリーゴーラウンドを照らしたままで言う。
『細田三矢』は視線を《メリーゴーラウンド》に戻した。ペンライトの先で、白馬が照らし出される。
「………………」
誰かが操作してるものとして考えると──何かが起こり得る可能性は高い。けれど、何が起こるのかは分からない。
未知数。
「……?……」
そこで、『細田三矢』は妙な違和感を覚えた。
が、何故そう感じたのか特に明確な確信はなく、その違和感は一瞬で消える。
残ったのは、この《メリーゴーラウンド》が何か、特別な感じがするという曖昧な直感。
「…………乗ります」
なんとなく。
乗ってみてもいいかな、と『細田三矢』は思った。
「ふふ、君ならそう言ってくれると思った」
『瀞蹴かれい』は、なんだか嬉しそうに言った。
「それじゃあ、乗ってみようか」
自身も乗るつもりだったらしく、『瀞蹴かれい』は自ら先立って《メリーゴーラウンド》の入り口へ進んだ。
「はい」
『細田三矢』は頷いて、その後に続いた。
──と。
暗闇が、明光に転じる。
《メリーゴーラウンド》の電飾が点され、その明かりで、『細田三矢』『瀞蹴かれい』両名の姿が照らし出される。
そして。
「君たちにこの《メリーゴーラウンド》に乗る資格はないですよ」
あからさまに不機嫌な男の声が何処からか響いて──
目の前に。
《メリーゴーラウンド》の入り口に、一人の男が現れた。
その顔は響いた声を如実に表現した不機嫌なものだった。
誰だろうか、と『細田三矢』が考え始めると同時に、隣にいた『瀞蹴かれい』が動いた。
「え?」
『細田三矢』が『瀞蹴かれい』を見ると、その体勢は何かを投げた後のフォームだった。
直後に「カンッ」と鋭い硬質な音が、耳に入った。
視線を戻すと、様子の変わらない不機嫌そうな男の背後、《メリーゴーラウンド》の白馬の足元にペンライトが転がっていた。
「ちっ、ホログラムか」
『瀞蹴かれい』がフォームを緩めながら舌打ちをした。
「そう簡単に人前に出る訳にはいかない身ですからね」
「ってことは、その姿も仮のものってことかな」
「……流石ですね、傾木事務所の探偵さん」
「これくらいはね──裏野夢島代表取締役」
そんなやり取りをして──二人は睨み合った。
二人に置き去りにされた『細田三矢』は混乱する。が、頭の中は至って冷静に状況を把握しようとしていた。そして、不機嫌な男と『瀞蹴かれい』の正体(?)に少し驚きつつ、その会話から二人の間に何らかの関係性が存在することに考え至った。
「《メリーゴーラウンド》に乗る資格がないってどういうことですか?」
睨み合ったままの二人に横槍を入れるような形で『細田三矢』は不機嫌な男──裏野夢島に質問した。
「それですよ」
裏野は不機嫌な顔を『細田三矢』に向けた。
「?」
『それ』が何を意味するのか分からない。
「その冷静さですよ。恐怖や怯えといった感情が微塵も見られない。そこの探偵さんはしょうがないとしても──アナタ。一般人でしょう。なのに何故、そんなにも冷静でいられるんですか」
怒りの矛先を向けられて……いや、最初から向けられてはいたのか。『細田三矢』はその切っ先を近付けられた気持ちになった。
「興醒めです。あなた方お二人には早々にご退場願いたい」
不機嫌な顔が更に不機嫌さを増して、怒りに近い顔になっている。
「それは──私たちをこのまま帰してもなんら影響はない、ということかな?」
『瀞蹴かれい』が言う。
そこで初めて裏野代表取締役は表情を変えた。
口許を緩めて──歪めて笑った。
「アナタの居るような零細な探偵事務所に何が出来る訳でもありませんでしょうし、一般人においては言うまでもないでしょう」
言葉から窺えるのは絶対的な自信だった。
「ふふ、貴方らしい発言だね、裏野夢島。それじゃ、お言葉に甘えて私たちは帰ることにするよ」
あっさりと。
あっさりと──『瀞蹴かれい』はそういって踵を返した。
振り返ることもせずにどんどん行ってしまうので、『細田三矢』は慌ててその後を追いかけた。
「……本当に食えない人ですね」
背後で裏野がそう言った。
『細田三矢』の耳にギリギリ聞こえたが、足を止めると置いて行かれそうになるので無視する形で裏野夢島を──《メリーゴーラウンド》を──後にした。そうして『瀞蹴かれい』に追いついて並んだところで、「ふふ、そっちこそ、ね」と、『瀞蹴かれい』が呟いたのを聞いた。
その呟く声は少し楽しそうだった。
「さて、これからどうしようかな」
歩きながら、『瀞蹴かれい』が言う。
「どうしようって……」
帰るのではなかったのか、と『細田三矢』は首を傾げた。
「素直に帰るのも癪に障るなぁと思って。君、何か良い案はない?」
あ、皆を待つってのは無しでね──と、そう言い置いてから『瀞蹴かれい』は『細田三矢』に意見を仰いだ。
園内に(暇をしない形で)留まる方法を提案して欲しいようだ。
「…………」
『細田三矢』は考える。
考えて。
「《観覧車》はどうですか?」
と、提案してみる。
《観覧車》。
実は、《観覧車》にまつわるウワサもあるのだ。
『南十字星』は「つまらないから」と初頭で省いたのだが。
「あ、そうか、《観覧車》もあったね。うん、行ってみよう」
即決したらしく、『瀞蹴かれい』は早速と進む方向を《観覧車》へロックオンしたようだ。『細田三矢』はその後に続いて歩き、しばらくしたところで《メリーゴーラウンド》の明かりが落ちるのを、背後で察しながら、《観覧車》へと向かった。