ミラーハウス
最初に口を開いたのは『角切もにく』だった。
「意外とフツーの人なんスね」
ぼくの左隣を歩いていた彼女は、不意に、ついっとその手にしていた懐中電灯の先をぼくに向けた。それも、顔に。
「……目が痛いんだけど」
横から当てられてるとは言え、目にくる。
ぼくがそう言うと、彼女は「あ、すンません」と一言詫びてから懐中電灯の先を己の前方に戻した。
見た目に反して素直じゃん。
意外なのは君の方じゃん。
そう思ったけれど、言わないでおく。
「……えっと、その、意外とっていうのはどういう意味なのか訊いてもいい?」
代わりに発言の意図を訊いた。
「なんでそんな下からなんスか」
「だって君、怖そうだもの」
「物言いが直球ッスね」
「ん、よく言われる」
「言われるんスか」
「あ、でも、言っていいことと悪いことの区別と判断はしてるよ?」
「それが出来てたら五行前の発言はありえねッス」
こいつ、結構な物言いするじゃねーか。
でも五行前って言うな。
五行前って。
なんかメタ感出るから。
「『東門古濾紙』──」
『角切もにく』がぼくのハンドルネームを言う。
「──って、『十も殺し』って変換できるじゃないッスか」
言われて、まぁ、確かにな、と頷く。
「『殺し』って変換できる単語をハンドルネームに使うなんて、絶対ヤバイやつだと思ってたンすよ。中二病? て言うんスかね。例えば『殺ろうと思えば殺れるけど、今はその時じゃない』とか考えてそうなやつをイメージしてたッス。でも」
そこで『角切もにく』は再びぼくの顔に懐中電灯を向ける。
「会ってみると全然違った」
懐中電灯が眩しくて『角切もにく』がどんな表情をしているのかは、よく見えない。
しかし──なるほど。
「それで──意外、か」
ハンドルネームからイメージしたぼくと、実際に会ってみたぼく。
そこにあるギャップは、彼女にとって少なからず大きかったらしい。
「どんな風に決めたンすか? ハンドルネーム」
ぼくを照らしたまま、『角切もにく』は質問する。
「……懐中電灯を下ろしてくれたら答えるよ」
言うと、眩しさから解放された。
ので、答える。
「ハンドルネーム考えてるときにさ、たまたま見てたチラシに『とうもろこし』が載ってたんだよ」
「……まさか」
お、察しが早い。
というか、まぁ、誰でも分かるか。
「そのまさか。適当なものでいいやって思ってたから、それを入力したら『とうもころし』って間違っちゃって。あ、ミスった、ってすぐに気づいたけれど、もうこれでいいやって思ってさ。そのまま漢字変換したんだ。そしたらこうなった」
特に深く考えて決めたわけじゃないんだ──と付け加える。
「……類友ってホントなんスね」
「ん?」
類友?
「自分も、そうやって決めたッス。あ、いや、決まった、が正しいッスね」
「君も?」
「自分の場合、『角切りのお肉』って打とうとして間違ったッス」
「……………………」
マジか。
あー、だから“類友”って言ったのか。
類友──“類は友を呼ぶ”。
それは、メンバーを見て最初に思ってたことだけど──ここでそれを実感するとは。
「君とは気が合いそうだね」
「いや、同意を求められても」
しれっと拒否られた。
類友発言しておいてこいつ。
そこは歩み寄れよ類友。
「ね、ねぇ、ミラーハウス、まだ……着かないの?」
おずおずとぼくの後ろから声を出したのは、『琴美』だ。
「ん、もう少しで着くと思うよ。……でもさ、いつまでそうしているつもりなんだ?」
ぼくは、『琴美』を見て言った。
状況。
彼女はいま、ぼくの背中に隠れている。
あれから──メンバーと散開してからすぐに『琴美』は、ぼくの背中に張り付いた。
ぼくとしては背後に立たれるのは落ち着かないんだけど…………。
しかし、怯えた目で「こうしててもいいですか……?」なんて訊かれて、シャツをきゅっと握られたら断れないだろう。
本当、なんでこの子、ここに来たんだろう。
「ご、ごめんなさい、と、とりあえず、み、ミラーハウスまでっ、このまま……」
怖がりすぎてまともにしゃべれなくなってる。
………………。
仕方ないか。
ぼくは『琴美』を背中にひっつけたまま、『角切もにく』を話し相手に、目的のミラーハウスへと歩を進めた。そうして話している中で、『角切もにく』はどうやらぼくと同じ地域に住んでいることが分かった。と、いうのも、ハンドルネームを決める際にたまたま見ていたチラシなのだが、これが、その日付こそ違えども、同じスーパーのものをお互いに見ていたらしいのだ。ローカルなスーパーなので、チラシが配られる範囲はだいたい決まっている。なので、まさかのご近所さんであることが判明した。
「……なにこの偶然コワイ」
「……自分もッス」
何かのフラグだろうか。
「あ、着いたみたいッスよ」
懐中電灯をやや斜め上に向けて、その建物を照らし出す。
洋館風の作りであるそれは、懐中電灯の光を受けて、闇にその姿を浮かび上がらせた。
《MIRROR HOUSE》
雰囲気は、十分にある。
ぼくは背中のひっつき虫を見た。
「着いたけど」
「え、あっ、あ、あっ」
あ。
嫌な予感。
「あ、あのっ、出来ればっ、ここ、を、出るまで……っ」
全力を振り絞るようなお願い。
見れば、ぼくのシャツを握りしめている手が震えている。
……………………。
嫌な予感通り。
こりゃ最後までこのままだな。
「……オーケー、分かった」
そう答えてから、『角切もにく』を見る。
「君は……大丈夫?」
「自分はへーきッス」
『角切もにく』は即座に返事をくれた。
「……少しでも異変を感じたら教えてね」
「らじゃ」
「それじゃあ、行こっか」
洋館の扉を開けて、中に侵入る。
ふぬっ。
足元から足音が消えて、柔らかい感覚があった。
懐中電灯を向けると、床が赤い絨毯だった。
「……ミラーハウスって床も鏡なのかと思ってた」
天井、壁、床、家を構築するすべてが鏡で出来てると思ってた。
「ミラーハウス、初めてなんスか?」
「うん」
「なんでも知ってそーな顔して残念ッスね」
「お前、さっきといい今といい、ぼくに対する当たりが酷いぞ」
「スンマセン」
今のは絶対悪いと思ってないな。
「こ、これ、どっ、どう、進む、の?」
『琴美』が声を震わせながら訊いてくる。
震えが過ぎて、もう、言葉が途切れ途切れだ。
「んー、とりあえず、赤い絨毯に沿って、かな」
多分、その為の──経路案内の為の絨毯だと思う。
というか、他に経路案内表示のようなものが見当たらない。
道なりに行け、ということなのだろう。
ぼく、『琴美』、『角切もにく』の順で進む。
人一人が少し余裕で歩けるな、くらいの幅の経路をしばらく行くと、分かれ道にさしかかった。
三方向に。
三ツ又に。
三叉路に。
道は分かれていて、そして絨毯には、
月の部屋←
日の部屋←
星の部屋←
と、ミステリーサークルのように案内の文字が書かれていた。
「……どうする?」
後方の二人に聞いてみる。
「ふた手に別れてみるッスか?」
ここで、それぞれに別れよう、と言わないのは『琴美』の事を考えてだろう。
だが。
それじゃあ、『角切もにく』が一人で行動することになる。それはそれでぼくが気が気じゃない。紳士を気取るつもりはないが、どうも女の子を一人にするのはいただけない。
それも、こんな曰く付きの場所で、なんて。
「三人で一緒にどれかひとつの部屋に行くってのは?」
その方が、何が起こっても大事には至らないだろう。
「わ、わたしも、その方がいい気がする」
ミラーハウスに慣れてきたのか、『琴美』が少し震えのおさまった声で言う。
「じゃ、それで」
『角切もにく』がそう言い、満場一致で方法は決まった。
ので、今度は方向を決める。
「どれに行く?」
選択肢は三方向あるわけだが…………ふむ。
あ。
そういえば。
「なんかオススメの部屋、ある?」
ぼくは『角切もにく』に訊いてみた。
人をバカにしたんだ、したからには来たことくらいあるんだろう。
「なんで自分に訊くんスか」
「や、さっきの言い方からして来たことあるのかなと」
「無いッスよ」
「無いんかい」
じゃあなんでさっきぼくをバカにした?
来たことないのにその資格は無いだろ。
無いだろっ。
「それじゃあ…………行ってみたい部屋とかある? 気になる部屋とか」
「この場合、行ってみたいと気になるは同意義ッスよ」
すかさずつっこんでくる『角切もにく』。
だから……もう……こいつは……。
一体、ぼくになんの恨みがあるというのだろうか。
初対面なんだから、何の恨みもくそもないはずなんだが。
「……ぎゃ、ぎゃくに」
「ん?」
「ぎゃくに、あなたが行きたいのはどれ?」
「ぼく?」
まさか質問を返されるとは。
「ぼくはどれでもいいよ」
だから君たち二人に訊いたんだし。
「……優柔不断」
「おい、そこ、聞こえてるぞ」
こいつ、マジで何なんだ。
「あー……、このままじゃ埒あかん。こういうときは王道中の王道、じゃんけんで決めるか」
と言うわけで、適当に、
月の部屋ルート前に『角切もにく』、
日の部屋ルートにぼく、
星の部屋ルートに『琴美』、
と、立ち、その場でじゃんけんをする。
この場合のじゃんけんの応用方法は多数決。
要は二人が同じものを出し、一人が違うものを出せば決まる。
そして。
一発KOでぼくの負けで決まった。
……せめて勝ってから決まりたかった。
「それじゃあ、日の部屋に進もうか」
そう口に出して気持ちを切り替えた。
日の部屋へは今来た通路を真っ直ぐだ。
そこを、進む。
数メートル先にドアの無い入り口が、懐中電灯の明かりを反射せず、ぽっかりと空いたようにその暗い口を開けている。
それまで、『角切もにく』とのやりとりでどこかにいっていた恐怖が、今更ながらにすり寄ってきた。
なにが起こるのか分からない恐怖。
なにが居るのか判らない恐怖。
あぁ、でも。
なにが起きるのかは分かってるのか。
ミラーハウスのウワサ。
《『ミラーハウスでの入れ替わり』。ミラーハウスから出てきたあと、「別人みたいに人が変わった」って人が何人かいるらしいよ。なんというか、まるで中身だけが違うみたいだって……》
入れ替わり、か。
本当にそんなこと、あり得るのだろうか。
鏡に映る自分を見すぎて精神的に参っただけとは考えられないだろうか。
かの有名なゲシュタルト崩壊という、精神に異常をきたしただけで。
さすれば、精神が壊れるわけだから、中身が変わったもの──違ったもの──として見てとられてもおかしくないだろうし。
そんなことを考えながら、そろりそろりと暗闇に身を投じる。
三人分の懐中電灯の明かりが乱反射した。
ここにくるまでの通路の壁も合わせ鏡で十分異質な雰囲気を出していたが、これはその比じゃない。
万華鏡。
部屋の壁──鏡が角度をつけて並び、互いを映し合って、ぼくらがもつ懐中電灯の明かりを反射し合っている。それは奥にある出口へと弧を描くように並び続いている。その湾曲した並びは、部屋全体が丸みを帯びている印象を受けた。
人が入れる万華鏡を用意したらこんな感じになるのだろう。
そんな──部屋だった。
「……あれが太陽ッスかね」
『角切もにく』が懐中電灯で天井を照らす。
ばかでかい鏡の球体(球体の鏡?)が、そこに埋め込まれていた。
球体って言うか、ミラーボールが。
「回るのかな、あれ」
「さぁ……」
まぁ、どうでもいいか。
とりえあえず──
「どうする?」
二人に意見を求めてみた。
「どうするって……」
「な、なに……?」
二者二様の反応が返ってきた。
「いや、ほら、このまま出口を目指してもいいけれど、検証実験みたいなことでもするかな? っと思って」
ぼくの提案に、『琴美』は不安な顔を一層深め、『角切もにく』はどうでもよさそうな顔をした。
「……えーっと、ごめん」
要らんイベントだったようだ。
「なんで謝るんスか」
「君らの反応が芳しくなかったからだよ」
「い、いいと思うよ、や、やってみようよ」
いや……ぼくが謝った理由は君にあるんだけどね?
「ほ、ほら、こんな感じでやれば……」
鏡に手をついて自分を映し、鏡の中の己と見つめ合う『琴美』。
だからそれ、ゲシュタルト崩壊するかもだから。
「じゃ、自分も」
言って、『角切もにく』が、『琴美』を真似て鏡と向き合う。
……女の子が行動力を発揮するタイミングが分からない。
夜中だよ?
少人数だよ?
何考えてんの?
ホラースポットだよ?
「………………」
女の子は未知数だ。
しかし、こうなると、言い出しっぺのぼくがやらないわけにもいかない。
結局、三人並んで鏡の中の己とにらめっこをした。
…………。
………………。
……………………。
何も起こらなかった。
「なんもないッスね」
「うん……なんともないね……」
「こんなものなのかな」
いいながら、ぼくらは鏡から手を離した。
「……出ようか」
ぼくが言うと異議はなかったようで二人は頷いた。
入ったときと同じ並びで出口に向かう。
ミラーハウスを出ると、夜であるはずなのに、外の方がやや明るく感じられた。
「んっ──」
自然と伸びをしてしまった。
特に何もなかったことで、安心したからかもしれない。
「やっと……出られた……」
ぼそり、と呟かれたセリフ。
振り返ると、『琴美』がぼくから一歩離れたところで俯いていた。
あれ? そう言えば出るときは裾、掴んでなかったな。
「お礼に──殺してあげる」
そう言い終えるが早いか、『琴美』は手にしていた懐中電灯を振り上げた。
そして、ぼくに向かって振り下ろした。
「…………っ!」
衝撃と痛みが同時に頭を襲う。
思わず片膝を地面についた。
「あれ? 死なない?」
言って、『琴美』がぼくとの距離を詰めた。
そして再び懐中電灯を振り上げた。
「がっ……っ!」
しかし、呻いたのは『琴美』の方だった。
そしていつまにか『角切もにく』がすぐそこに立っていた。
「走るッスよ」
ぼくの手を取り、引っ張りあげて走り出す『角切もにく』。
手を引かれ、ぼくは全力で走った。
後ろは振り返らず。
ただ、手を引かれるままに走った。
『琴美』だったモノから逃げるように。