アクアツアー
目的のアトラクションに着くと、『南十字星』はウエストポーチの中からデジタルカメラを取り出した。
「そんなもの持ってたんですか」
『蕎麦田空志』はデジタルカメラをいじる彼を見て言う。
「こういうスポットに来るときは持ってくるもんだろ」
わくわくした様子で応じる『南十字星』。
「お前にはこれ頼むわ」
ぽいっと投げ渡されたのは今や珍しいインスタントカメラ。
「こういうのも使うんですね」
『蕎麦田空志』は手にしたそれをまじまじと見た。
「アナログの方が不具合起きにくいからな」
まぁ、今回は幽霊系じゃないから関係ないけどな──そう言ってデジカメのセッティングを終えた『南十字星』は、よし、と気合いを入れる。
「……なんだか手慣れてますね」
夜の遊園地というロケーション。かつ、数多くの怖いウワサがある場所だというのにも関わらず──物怖じするどころかその行動、というか手際の良さに、どこかしら周到さを感じる。
「んー、まぁな。色んなトコ行ってりゃこうなるわな」
そう言って『南十字星』は、ふひひ、と少し変わった笑い方をした。
「じゃー、行きますか」
「あ、はい」
『南十字星』が先立って己らのアトラクション──アクアツアーの中へと入り、数歩遅れて『蕎麦田空志』が続く。
その入り口の門は、腐食が進んでいる為か──解放されていた。
アクアツアーの敷地内は他のアトラクションとは明らかに違う雰囲気だった。
それもそのはず──と、言えるかもしれない。
アクアツアーにはその名の通り、流れる水と緑の森があるのだ──その雰囲気は独特のものだろう。
──否、訂正しよう。
それは昔の話で。
現在の状態は。
明かりの無い闇夜の中でそれは緑の森ではなく──黒い森。
その周りを囲むのは流れる水ではなく──滞った水。
時折、風に吹かれたそれらは煽られて怪しくざわめき、水面を揺らして怪しくうねる。
──人工物、なんだよな。
それらをまとめて視界に入れた『蕎麦田空志』は思わず確認するように心のなかで自分に問うた。別にどちらでもいいのだが──意識してでもあれはフェイクだ、偽物、雑木林じゃなくて造木林だ、などと思っていた方が幾分か気持ちは落ち着く。そうでもしないと、今あるこの雰囲気──どこからか恐怖が忍び寄って来ているような気配すら感じる──その言い知れない不安さに、のまれそうだった。
「あれが無いな」
入ってすぐに、アトラクション内を見渡した『南十字星』がぼそりと呟いた。
「なにが、ですか?」
「あれだよあれ、アクアツアーには必要だろ、ボートっていうか、トロッコみたいなあれ」
正式名称を知らないようで、『南十字星』は客が乗る乗り物をそんなイメージで伝えてきた。
『蕎麦田空志』もあれをなんというのかは知らない。
「…………流されてアクアツアー内のどこかに行っちゃったんじゃないですか?」
閉園し、廃園と呼ばれるまでの年数を経てるのだから有り得るだろう。
言うと、『南十字星』は「あー、なるほど」と納得して、ボート乗り場──ステンレス製であろう手すりにプラスチックの板を付けて仕切りにした並び場を横手に見ながら、乗り場の落水防止の柵まで進む。
「あ、危ないですよ」
「俺は子供か。…………なにがいるかな」
水面にデジカメを向けながら、『南十字星』は楽しそうだ。
──本当に好きなんだな。
浮かれている様子の『南十字星』だが、その目が真剣なのを見て、『蕎麦田空志』はそう思った。
自分は怖い話が好きで──こういう場所ってどんなものなのだろうかというちょっとした好奇心で来ているけれど──彼は違うようだった。
「……………………」
他のメンバーはどうなのだろう。
自分と同じ理由だろうか。
それとも。
それぞれの理由を持っているのだろうか。
ぱしゃん。
「!」
「!」
水音がして、反射的にそちらを見る。『南十字星』がデジカメのレンズを向けるが──。
「ちっ、やっぱり手持ちだとこうなるか」
舌打ちして、『南十字星』が悪態をつく。
何も撮せなかったらしい。
「定点カメラみたいにどこかに置きますか?」
なんとなく提案してみる。
「ん、迷うとこだな……でもそっちの方がいいか」
目についたロッカー──乗客が手荷物を預けておくためのもの──が丁度いい高さだったので、デジカメをナイトモードにし、その上に置いた。
「あ、じゃ、これ、お返しします」
そう言って、『蕎麦田空志』は使い捨てカメラを『南十字星』に渡した。
「オケ、サンキュー」
『南十字星』が受け取ったところで。
ごぅんん……
と、機械音がした。
十数秒、わずかな振動が響き──
がごぉん……
と、それを最後に機械音は止まった。
「どこからか分かったか?」
「いえ……」
耳で音の名残──余韻を拾おうとするが、拾えず、分からなかった。
なんだろう。
疑問を感じた『蕎麦田空志』は首を傾げる。
どこかで聞き覚えのある音だった。
ものすごく耳に馴染んだ音質の──
「……………………」
エレベーターだ。
昇降機が上がってくる音に似ているんだ。
ということは──
誰かが上がってきたということになる。
誰、が?
「……おい」
声をかけられて、びくりとする。
「な、なん」
「あれ」
『南十字星』が指差す先を見ると、アクアツアーの敷地を囲む外壁の、リアルに描かれた木々の絵から、こちらに背を向けて出てくる白衣姿が見えた。
「明かりを消せ。隠れるぞ」
『南十字星』に促されて、『蕎麦田空志』は懐中電灯のスイッチを切り、乗り場の屋根を支える柱に隠れた。目は暗闇に馴れていたらしく、意外にも星明かりだけでそれは見えた。
「なんか引きずってんな」
暗闇に馴れていたのは『南十字星』も同じだったようで、その白衣姿の人物の様子を見ながら言う。
白衣姿の人物は、前屈みの体勢になって、なにかを運ぼうとしているようだった。
「う、あれって…………」
暫くして、エレベーターから引きずり出されたのは。
「人……か?」
ずいぶんと重そうに引きずっているそれは──人のような形をしている様に見えた。
「……もしかして、ここの謎の生物ってのは」
尻切れな言い方をしたが、『南十字星』が言わんとしていることは分かった。
「……死体?」
自分で言って、『蕎麦田空志』はぞくりとした。
それじゃあ、いままでの目撃証言は──水中を漂う死体の目撃情報だったと?
謎の生物ではなく。
謎の死体──
「ちょっと待ってください、そうなると今自分たちが見てるのって──」
「あぁ、犯罪行為、だな」
視線を逸らさずに、『南十字星』は言う。
「あっ、やべっ」
『南十字星』が言って、頭を柱の影に引っ込めた。
『蕎麦田空志』も慌てて身を引く。
「これ、通報もんですよね」
「そしたら俺らも事情聴取もんだけどな」
どぼんっ
「っ!」
「お、やりやがった」
恐ろしさに息を詰めた『蕎麦田空志』とは反対に、『南十字星』は楽しそうだ。
なぜ、そんな風にできる?
『蕎麦田空志』は『南十字星』を見た。星明かりを遮る屋根の下では、その表情を窺い知ることは出来ない。
それから数分としないうちに機械音がして──振動が響き──それが遠退いていって、静かになった。
「……………………」
「……………………」
しばらく二人でそのままの体勢でいた。
人工の森が風にざわめく音と、落下物で乱された水面が立てる音だけが、耳にある。
そして。
「は──はは」
笑い声を立てて沈黙を破り、『南十字星』が柱から身を離した。
「すげーもんが撮れちまった…………ははっ」
顔に手をやり、嬉しそうな声で呟く『南十字星』。
そんな彼に、『蕎麦田空志』は少し嫌悪感を抱いた。
「…………『南十字星』さん、もう、出ましょう」
この場から早く立ち去りたい。
今なら──生きて帰れる。
「ん、おお、そだな」
意外にも『南十字星』は未練など口にせず、切り替え早く撤収の態勢に入った。手持ちのインスタントカメラをウエストポーチに手早く仕舞うと、柱の影から出た。ロッカーの上に置いたデジカメを回収するのだろう。後に続き、『蕎麦田空志』も撤退──というよりは逃げる気分だが──の態勢を取りながら柱の影から出る。デジカメを回収する『南十字星』を視界に入れながら、周囲に警戒を払った。それは多分、本能が一番警戒すべきと判断し、直感が何かを察しての動きだった。
『蕎麦田空志』は真っ先に水面を見た。
──いた。
黒い影。
人の頭のようであるが、そのシルエットは人のそれじゃない。
察してすぐに全身が硬直した。
緊張と焦り。
危機感と恐怖感。
脳裏に一瞬でウワサの内容が巡る。
《──遊園地が営業していた頃にも、アクアツアーで「謎の生き物の影が見えた」なんて話が何度かありましたね。それ、今でも見えるらしいですよ──》
「──っ!」
血の気が引いて、声も出なかった。
本能が言う。
声を出すな。
動くな。
食われるぞ。
「……なにしてんだお前」
デジカメを回収し、軽くチェックを終えたらしい『南十字星』が、『蕎麦田空志』の様子を見て、怪訝な顔をする。
「なに止まってんだよ、おら、帰るぞ」
デジカメをウエストポーチに仕舞いながら『南十字星』は寄ってくる。
『蕎麦田空志』は視線を水面に向けたままで、目の動きだけで現状を伝えた。
“水面を見ろ”
「? 一体なんだって──」
『南十字星』が水面を振り返る。
それとほぼ同時だった。
びゅるっと音がして水面から何か細いものが飛び出してきて──『南十字星』の足に巻き付いた。
「え」
それは『南十字星』が反応する前に、ぴんっ、と引っ張られた。
「がっ……!」
バランスを崩して『南十字星』がしたたかに頭を打ち付けながら倒れる。
「な──うあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!」
成人男性にしてはやや太めの『南十字星』の身体が一気に引きずられ──
ざぼんっ
叫び声と共に水中に引きずり込まれて消えた。
ふーっ、ふーっ、ふーっ、ふーっ……
目の前で起きたことに『蕎麦田空志』は恐怖で動けなかった。
次は自分だろうか。
まだそこにいるアレを見る。
こちらを見ている。
見ている。
見て──
──いる。
「やあ、こんばんは」
背後から声を掛けられて心臓が止まりそうだった。
直後。
身体に痛みと痺れが走り、意識が飛ばされた。
倒れ込む『蕎麦田空志』の視界に入ったのは──
──白衣だった。