ジェットコースター
「──君はどうして私を指名したんだ?」
懐中電灯でそこらを照らしまくっている『馬みのい』の隣を歩きながら『御前丁』は、暗闇に慣れた目にうっすら映る、己より頭一つ分下にある彼女の脳天へそんな質問を投げた。
「んー、隣にいたから?」
「質問に疑問で答えるな」
言ってしまってから、『御前丁』は少しきつい言い方をしてしまったと焦ったが、『馬みのい』は意に介した様子もなく、「あはっ、ごめんなさいっ」とイマドキの若者らしい軽い謝罪を口にしただけだった。
「でも本当に、アナタを選んだのにはそんなに深い理由はないんですよー。単純に、あたしの隣にいて──強いて言うことがあれば──背が高かったから、です」
『馬みのい』は、懐中電灯を左右に振りながらそう答えた。
「……それだけ?」
「あと、黙ってあたしの話を聞いてくれそうだったから」
「…………」
なんて理由だろうか。
そう思った『御前丁』だったが、生来の無口さが幸いし、口に出ることはなかった。
「あたし、謎とか不思議なものとかが大好きなんですよねー」
前を向いたまま、『馬みのい』は言う。
「小さい頃から好きで、お化けの絵本とか読んでたんですけどー、小学校の時なんか学校の怪談──七不思議とか本当に信じてて。あ、ごめんなさい、訂正します。今も信じてます。でも、みんな成長していくにつれてそういう話、しなくなっちゃうんですよね。ファッションとかスイーツがおいしいお店とかの話に興味がいっちゃって。テレビで恐怖映像とか怖い話の特番を観たらそれなりに話はしますけど、怖かったーとか、あれなんでだろうねーとか、うわべだけの感想を言い合ってそれだけで終わっちゃうんで、あたしとしてはそれは話し足りなくてもやもやしちゃうんです。みんなは怖い話を──掘り下げて話したりはしないから」
最後の辺りで声のトーンが少し落ちたのを、『御前丁』は聞き逃さなかった。
察するに──友人たちとは、思いきり好きな話……怖い話が出来なかったのだろう。
年の頃をみるに彼女は二十一か二、そこらだ。彼女らの年代が求めるのは、興味も──まぁそうだろうが、それよりも話題性のはず。怖い話など、日常からやや離れた非日常な話は──普段の会話に話題としてなかなか上がらないはずだ。そんな怖い話に、誰も深く食い下がったりはしないのだろう。
「……それで、あのサイトに」
『御前丁』のセリフに、彼女が頷く気配があった。
「皆さんとおしゃべりしてるときがいっちばん楽しいですっ」
えへへっ、と照れ隠しのように笑う『馬みのい』。
闇の中で照れ笑いをする彼女を見て、『御前丁』は不覚にも可愛いと思ってしまった。
──私に、まだそう思うほどの感情が残っていたとは。
己の情緒を自覚して『御前丁』は自嘲気味にフ、と短く笑った。
「あっ、見えてきましたよ、ジェットコースターの入り口」
『馬みのい』の声に、物思いから一瞬で引き戻された。見ると、彼女が懐中電灯で照らした先に、アーチ型の入り口らしきものがうっすらと見える。足下ばかりを照らしていた『御前丁』と違って、手当たり次第そこら中を懐中電灯で照らしまくっていた彼女は先に気付けたようだ。
「あー、さすがにボロボロですねー」
入り口の前まで来て、その外観を懐中電灯で照らしながら見上げて『馬みのい』は言う。
アーチ型の屋根はその塩化ビニールが破けて、もはや骨に張り付いた皮の様相を呈しているし、乗り場へ上がるための階段は滑り止めも塗装も剥げ落ち、素材の違いなのか辛うじて錆びてはいないものの、変形し、窪んだところが十数ヵ所見られた。
「これ、上れるのかな」
階段の一段目にスニーカーを履いた足を乗せる『馬みのい』。
「私が先に行こう」
『御前丁』は『馬みのい』を追い越すように二、三段上がった。
「私は君より重い。私が進んで大丈夫なら、君はより大丈夫だろう」
『御前丁』が振り替えってそういうと、『馬みのい』は一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに「みゃはっ」と笑った。
「やさしーですね」
今度は『御前丁』が目を丸くする番だった。
やさしい?
私が?
「じゃ、エスコートお願いしまーす」
そう言って『馬みのい』は冗談めかしながら左手を出す。
その仕草が少しだけおかしく思えて『御前丁』は気付かれないよう小さく笑った。
そして、少しだけ彼女のノリに乗ってみようと思った。
「では、参りましょうか」
少し屈んで、恭しく彼女の手を取る。
「あっ、今のなんだかそれっぽい!」
「……そうかな?」
「うんっ」
恥ずかしくなった『御前丁』だったが、彼女が満足そうだったので、まぁいいか、と思った。
そうして階段を慎重に上り、結果的にはジェットコースター乗り場まで来られた。
……廃園と聞いていたが──上った感じからすると見た目に反してそれほど荒廃しているようには思えないな。……もともと丈夫に作られていたのだろうか。
違和感を覚えながら懐中電灯で照らしている足元を見る。「足元にお気をつけください」の注意書きが、年月の経過を如実に語っていた。
「わ、ジェットコースターがある!」
己が持つ懐中電灯の明かりの先に、朽ちかけているそれを見つけて、『馬みのい』が言う。
「………………」
そのセリフに思うところがあったが、『御前丁』は何も言わなかった。
「ちょっと見てみませんか?」
『馬みのい』がそう言って、『御前丁』のワイシャツをちょんちょんと引いてきた。
ジェットコースターに近づいてみたいが、怖くて一人では行けないらしい。
『御前丁』は「わかった」と答えてから一緒にジェットコースターに近づいた。一応、周囲を懐中電灯で照らし、注意を払いながら進む。一方、『馬みのい』は、よほどジェットコースターが気になるのか、そちらをずっと照らしている。
ここに来るまでとは正反対だ。
ジェットコースターの前まで来ると、二人は安全バーが上げられたままのそれをまじまじと懐中電灯で照らした。
「なんにもないですね」
『馬みのい』が言う。
「そうだな……」
言いながら、『御前丁』は先程と似たような違和感を覚えていた。
「しばらく様子を見ようかなぁ」
一通り、ジェットコースター全体を照らして見た『馬みのい』が呟くように言う。
『御前丁』はそのセリフに驚いた。
「君、怖くはないのか?」
普通なら見て何もなければすぐに退散しようとなるはずだ。
そこで、何かがあるまで何かが起こるまで待とうなど思わないだろう。
「あー、怖いは怖いんですけどー、今は好奇心が上回っちゃってる感じですねー」
『馬みのい』はジェットコースターに向けていた懐中電灯を、天井に向ける。
「ここのジェットコースターのウワサって、すっごい謎じゃないですか。《事故があったとは聞くのに、どんな事故だったのか誰に聞いても答えが違う》なんて」
「そうかな? それは謎でもなんでもないように思うが」
『御前丁』がそう言うと、『馬みのい』はムッとしたのか彼に懐中電灯を向けた。
顔をしかめる『御前丁』。
「…………まぶしいのだが」
「なんでそう思うんですか」
声に、不服が混じっている。
「少し考えれば分かると思うが…………誰に聞いても答えが違うというのは、それだけの数の事故が起こったってことだろうと思う。もしくはウワサが広まるなかで尾ひれがついた」
「でも、それだけの数って、そんなに事故を起こしてたら営業困難になっ──あっ」
「そう。もしかしたら、閉園の理由の一つかもしれない」
そこで、『馬みのい』は懐中電灯を『御前丁』から外した。
「……『御前丁』さんて、理詰めの人なんですね」
「なんだそれは」
「頭が固いってことです」
「……………………」
面と向かって言われた。
『御前丁』は一つため息をついた。
「私は『それは』と言ったはずだが」
「?」
「誰に聞いても答えが違う、それは謎でもなんでもない。謎なのは──どうしてそんなに事故が起こるのか、だ」
「!」
そう、『御前丁』はウワサを真っ向から否定した訳じゃなかった。
「メンテナンスは営業上の義務だ、きちんと管理されていたはず。なのに事故は起こる。それが──」
そこで『御前丁』は彼女を見る。
「それが、謎?」
『馬みのい』が察して『御前丁』の言葉を継ぐ。
このウワサの本当の謎はそれなのだ。
「…………ジェットコースターみたい」
ぽそりと『馬みのい』は呟いた。
「なにが?」
「あなたの性格」
「…………」
「ジェットコースターのレールみたいにひねくれまがってる」
「……………………」
本当にはっきりと言ってのけるな、と『御前丁』は思った。
と、不意に強い風が吹いた。
「ひゃっ!」
「…………っ!」
『馬みのい』はスカートを押さえ、『御前丁』は息をつめた。
一瞬だったが、外にある木々の葉っぱやらなにやらが飛んできて、服のあちこちに付いた。
「すっごい風!」
服に付いたそれらをはたき落としながら笑う『馬みのい』。
「…………」
『御前丁』も服をはたく。
「ひあっ」
『馬みのい』が短く叫んだので反射的にそちらを見ると、彼女のスカートの裾がジェットコースターに引っ掛かっていた。よくみると、懐中電灯の明かりのなかで、上げられていたはずの安全バーが下げられ、その座席の外側との間に、裾が挟まっていた。
「風にあおられて挟まれたのか」
にしてもそれらしい音はしなかったが。
「『御前』さん……」
『丁』を省略して呼ばれ、その声に怯えが混じっているのを感じ取った。
疑問に思いながら彼女を見る。彼女はスカートではなく、ジェットコースターを照らしていた。
「!」
それを見て『御前丁』は驚く。
確認するようにジェットコースター全体に懐中電灯を向けた。
すべての座席の安全バーが下ろされていた。
嫌な想像とまさかという予想が頭を過る。
そして。
ぎ、
と軋む音がして──
ぎ、ぎ、が、た、ぎ、
と音を繰り返して進み始めた。
「え? どうして」
『馬みのい』が驚きを口からもらす。
呆然としてそれを見ていた二人だが、「ひやっ」と『馬みのい』がよろけたので、事態の悪さに気づいた。
スカートが挟まれたままなのだ。
慌てて『御前丁』は外しにかかろうとしてスカートが挟まれた部分に目をやる。
「う……っ!」
そこに、スカートの裾を掴む、白い手があった。
「ひっ……!」
『馬みのい』も短く悲鳴をあげる。
「この……っ!」
『御前丁』はスカートを思いきり引いた。安全バーとの間から裾が外れる。が、白い手が強く握り込んで離さない。
このままでは乗り場の落下防止柵にぶつかってしまう。
どころか──
「離して離して! 離してよっ!」
『馬みのい』がパニックに陥り始めた。
スカートを掴み、振り乱れる。
そんな抵抗にも白い手は外れず、機械の引く力に、じりじりと体は引きずられている。
一かバチか。
落下防止柵の手前で、『御前丁』は『馬みのい』の体を抱えて、ジェットコースターに倒れ込むように乗った。続けて、スカートを引っ張りさらなる抵抗を続ける──
──つもりだった。
「え?」
スカートは解放されていた。
引っ張ろうとした力が空振りする。
それは『馬みのい』も同じだったようで、きょとんとした顔でそれを見ていた。
ぎ、き、き、き、き、き、き、き、き、き、き、
耳をつんざくような音で現状を理解する。
ジェットコースターはまだ動いていて、落ちるために上がっている途中だった。
速度はないが、確実に昇っている。
「君、降りるぞ!」
言って、『御前丁』は『馬みのい』の手を引く。
そうして、二人はメンテナンス用に設えてある階段に降りた。作業員落下防止の手すりにしがみつく。
「コースターが行ってから戻ろう」
『御前丁』がそう言うと、『馬みのい』はコクコクと頷いた。
二人は警戒しながらコースターが過ぎるのを見ていたが、それ以上は何もなく二人の横を過ぎていき、ジェットコースターは上っていった。
それから二人は傾斜のあるその階段をゆっくりと降りた。初めて足にしたレールの階段。高さもあるため、慎重になる。しばらくして、強い振動を感じた。驚いて振り仰ぐと、コースターが落下を始めたところだった。手すりから振動を継続的に感じる。そこで、『御前丁』はハッとする。
このジェットコースターの走行時間は何分だ?
そのことに気づいて、焦る。
「急ぐぞ」
もう、それほど乗り場までの距離は無い。
急げば間に合うはず。
あの速度で来られたらひとたまりもない────
手すりからの振動が強くなり始めた。
恐怖で動きが鈍くなる。
そうしてる間にも振動は強くなり──コースターが見えてきて──そのコースターに無数の手が生えているのを視界に捉え──
「う」
ごしゃっ────