呪い VS 呪い 下
それから三日もしただろうか、そろそろ一ヶ月が近づいてきている。というより、もうあと三日しか残っていない。印刷などの時間もあるのだから、同然締め切りはそれよりも早めに設定されるのだ。
本当に、今回も春男でさえも、呪いがかけられてしまうのだろうか。
岡田も心配なのか、だんだん顔がやつれてきている。髪はどうにかしてあるものの、顔の下にあるクマは隠せないようだ。
しかし、この日、オレが外から戻ると彼女の姿はなかった。
「ちょっと。」
となりの同僚の女性がささやいてきた。
「なんです?」
つい、小声で聞かれると、小声で返してしまうのは、なぜだろう。
「さっき編集長、あの子に、体を張ってでも取って来いって言われていたのよ。」
「それが?」
「作家の先生、男の人でしょ?独身でしょ?大丈夫なの?彼女、嫁入り前なのよ?」
「まさかぁ。」
オレは笑ったが、急に不安になった。
「オレ、行ってきます。」
小声のまま、オレはあわてて、出て行った。とにかく走った。
春男も男だ。いや、彼女がいるとか、好きな人がいるとか、そんな話は一度も聞いた事がなくても、なにか起こらないとは限らない。
とにかく、否定の気持ちと可能性の気持ちとがぐるぐる頭の中を回っていた。
「つ、ついた。」
春男の家がこんなに遠いとは思わなかった。
春男の家のドアの前まで来て、オレはためらった。
どうしよう。
オレはいつもどうり、携帯で連絡をすることにした。すると、いつ入ったのか気がつかなかったが、メールが入っている。春男からだ。
あわててあけると。
『緊急事態発生。必ず仕事帰りによること。ただし、ノック、携帯音、インターホン禁止。無断で入って来い。』
オレは首をかしげながらも、そっと、ドアを開けた。鍵はかかっていない。電気はついているが、春男の姿は見えない。小声で声をかけた。
「春男ーーー春男ーーー。」
それに気がついたのか、春男は顔を出すなり、足音を立てずに、飛んできた。ついでに、外に追い出された。一階に下りて、ちょっと離れた道路に出るなり、春男は静かに怒りながらしゃべりだした。
「なんなんだい、彼女は!!!!」
「なんだって、なんだ?」
「急に服を脱ぎだして、抱いてもいいから原稿下さい!って言い出したぞ?いつの時代の話だ?時代錯誤も甚だしい!」
普段、大人しい人間が怒っていると、なんとなく怖いものだ。
「お、落ち着け。で、どうしたんだ?」
「とにかく興奮状態で、どうしようもないから、風呂に入って、髪を乾かして、ベットで待っていてくれって言ってある。」
「じゃ、お前のベッドにいるのか?」
オレは口をあんぐりとあけた。
「いるけど、寝てる。」
「寝てる?」
「そう。迫力があまりにもすごいんで、シャワー浴びさせて、ベットで待っているように言ったら、いびきが聞こえてきた。いまも寝てるんじゃないかな」。
「待たせて、行かないつもりだったのか?」
「いや、ベットで待っているうちに寝るだろうと踏んでた。だって、あの顔のクマ。あきらかに寝不足じゃないか。女性がする顔じゃないよ。」
春男はそういいながら、まだ怒っている。この状況でどうしてこんなに冷静な判断ができるのだろうと、オレはときどき考える。
こいつは生まれる時代を間違えたんじゃないだろうかとも思う。
そんなことを考えていると……。
バンっ!
ものすごい音を立ててドアが開いた。
岡田がものすごい形相で顔を出した。
「春男先生!」
彼女もものすごく大きな声が響き渡った。それに慌てて、春男が返事をした。
「できたよ。」
「え?」
想像していない台詞だったのか、彼女はポカンとしている。
「できたから。机の上にあるだろう?」
彼女は、なにも言わずに、ドタドタと奥へ走っていった。
「やれやれ、うるさいね。近所迷惑だ。」
春男は首を振った。
オレは聞いた。
「できたのか?作品。呪いが解けたってことなのか?」
「んー。」
春男の顔はなぜか渋めだ。オレはなんだか、いやな予感がする。とりあえず、部屋に戻った。
すると、彼女が食い入るように紙を見ている。しかし。
「多くねぇか?」
オレは、彼女が持っている紙の量をみて言った。どうみても、短編の量ではない。
「やっぱり、わかる?そうなんだよ。書きすぎちゃってね。どこでどう切っていいものやら・・・・・・。ちょっと困ってるんだよね。」
彼女はそんな言葉が聞こえないかのように夢中でページをめくっている。はじめて貰った原稿なのだから、こうもなるのかも、しかたがないのかもしれない。
「本当は自分でやろうと思ってたんだけど、彼女に任せようかと。」
「って、本人が聞いているときに言ってやれよ。あれじゃ、なに言っても聞こえてないぞ。」
「ま、読み終わるまでは、待とうかな。君、夕飯は?」
「食う。なにがあるの?もう、トウモロコシは飽きたからな。」
「今日はねぇ……。」
オレと春男は、彼女が読み終わるまで夕食を取った。彼女が春男の小説の世界から現実に戻ってきたときに、削除を申し込むと感激の面持ちで帰っていった。
翌日。編集長も、ようやく彼女の呪いが解けたのだと知り、喜びのあまり、春男の作品の連載の延長を決めた。
しかしその感動もつかの間、その三ヵ月後。彼女は去った。
春男によって呪いが解けたことを知った編集長が新たな作家のところへ、編集員として出したのだ。そこで、新しい作家は彼女に一目ぼれをし、もうすぐ結婚ということになった。
それと同時に、彼女はその作家による提案の専業主婦の道を選んだ。よっぽど編集員時代が大変だったようで、すんなり彼女はやめてしまった。
頭を抱えたのは、当然編集長だ。と、いうよりも倒れた。
自分が、キライな春男の作品は長く載せる事になったし、必要な社員は辞めるしで、げっそりと……ではなく、猛烈に、怒り、怒鳴り、食べ過ぎて腹を壊して入院している。
誰も見舞いに行かないのは、見舞いに行くと、湯のみが飛んでくると、最初に見舞いに行ったやつが言っていたからだ。まぁ、それだけの元気があれば、そのうち復活するだろう。
オレもまだ行っていない。その代わりに、春男の母親に頼んで、クッキーを送ってもらった。編集長は料理研究家の春男の母親の大ファンで、幸せそうにクッキーを食べているらしい。
怒っていた春男もそれを聞いて、ちょっと機嫌が直りつつある。入院したというのが、きいたようだ。相変わらず、編集長と春男は合わないようだ。
ついでに、春男は彼女の結婚式にも行くのだと張り切っている。春男とオレのところに招待状が届いたのだ。
結局、オレは、また春男専用の担当に戻った。それしかないと、編集長も考えたのだろう。
オレの担当している、双子の作家もそれを聞いて安心したのか、ようやく物語の方向性が決まったようだ。おかげで、オレもほっとしている。
今度から誰かに聞かれたら、オレは春男の四番目と六番目と八番目の担当者だと言えるだろう。他のはみんなこの業界から消えてしまったと。
空を見上げると、今日も外はきれいに晴れていた。




