春男、倒れる
春男、倒れる
雨がうっとうしいこの梅雨。これがあるから米がうまくなるんじゃないかと春男は言うが、オレには憂鬱な気分になるだけだ。
この梅雨の時期、春男の家にはたまにしか行かない。春男の家で服が乾いて、また家まで帰るときに濡れるのがいやだからだ。
しかし、今日は原稿をもらいに行く日だ。しぶしぶながらも春男の家に向かった。
ところが、いつもなら、すぐにくるはずの携帯メールの返事がこない。ドアを開けてもいいものか、やめるべきか、迷った挙句、開けてみることにした。
これが正解だった。
「春男?」
いつもなら、明かりがついているはずの部屋が暗い。
「春男、寝ているのか?」
オレはおそるおそる、中に入った。
まさか、死体になっているなんて事はないだろう?
すると、
「うー。」
春男がうなった。オレはほっとして、息をついた。
「お前、いるなら電気つけとけよ。どうした?」
春男は、いつもオレが座っているソファの上に寝転んでいたのだが、顔がどう見ても、青いのを通り越して白くなっている。
「お前、顔が白いぞ?どうしたんだ?!」
「んー。腹が痛いんだ。」
「なに、食ったんだよ?なにか、当たるようなものでも食べたのか?」
「・・・・・・記憶にない。」
オレはため息をついた。
「親父さんには言ったのか?」
普通、こういう場面で出てくるなら母親だろうが、春男の場合は母親が有名な料理研究家のせいか、あっちこっと飛びまわって、日本にいないことも多い。そこで、なにかあった場合の連絡先は、基本的に春男の父親になる。
「言ってない。そのうち、治るし……。」
春男はとにかく往生際が悪い。代わりにオレは決めた。
「医者に行くぞ。用意しろ。」
「えー。」
後ろで行くのを渋っている春男を、尻目にオレはさっさとタクシーを携帯で呼び、春男のタンスから外に出てもいいような服を持ち出した。
「そのうち、治るよ・・・・・・。」
春男はまだ、渋っていた。春男じゃなくても、病院が好きな人間はいないだろうが、春男の場合は早めに行けば、さっさと治ったものを、悪化させるまで行かないのだから、多少、無理をしてでも連れて行くしかない。
「ほら、着替えろ。家の鍵はどこだ?」
「そのへん。」
弱そうに、春男は起き上がって、その辺といわれるところを指さしたが、資料の山しか見えない。
オレはあきらめて、自分のかばんの中にある、春男の家のスペアキーを出した。
オレはタクシーを携帯で呼び、それにとろとろ着替えをしていた春男を乗せて、オレも乗り込んだ。春男の場合、一人で行かせると途中で戻ってくるような気がするからだ。雨が降っているわりには早く到着した。
「近くの内科のある病院まで。」
春男に聞くよりもこの方が早い。タクシーは何もいわずに、そのまま走り出し、病院に着いた。
とりあえず、春男を下ろし、オレはお金を払って、タクシーを降りると、そのまま春男を連れて、病院に入った。正直なところ、自分が元気な状態なときに、あまり病院には入りたくないが、しかたがない。
さんざん待ったあとでの診断結果は食あたりだった。
「なに、食ったんだよ。」
「思い当たるのは、羊羹かなぁ・・・・・・。ヨーグルト風味だと思って、すっぱいの、気にしなかった・・・・・・。」
オレはため息をついた。ヨーグルト風味の羊羹などあるのだろうか?
とりあえず、お尻に注射ということでオレはしばらく待ち、薬を受け取って春男をまた家まで送っていった。
「とにかく寝てろよ。」
「うー。痛いよぉ……。」
春男はあいかわらず、白い顔のまま返事をした。春男を寝かせると、オレはそのままソファに座りこんだ。別に、ここでも十分に寝られる。徹夜でも平気だ。
春男は帰っていいといったが、このまま帰って、また廊下で倒られていては困る。
普通の風邪とかなら、なにか食べさせるのだろうが、食あたりでは食べ物を渡す方が鬼というものだ。
オレは、そのまま眠り込んだ。翌日、春男に揺り動かされるまで。
「洋介。洋介ってば。」
「ん?あー、どうだ、腹は?」
「まだ痛いけど……だいぶマシ。」
「そうか、何時……って、10時過ぎているのか!?やべぇ、どうしよう。」
オレは慌てて、起きた。
「はい、これ。」
春男は紙を差し出した。
「原稿……できていたのか?」
「うん。できたから、何か甘いものもでも食べようと思って、羊羹食べたんだ。これを出来上がるのを待っていたって言えばいいだろ。」
「そうする。いいか、まだ寝ていろよ。」
オレは、そのまま会社へと行った。
その日の夕方、再び春男の家に行くと、春男の親父さんが来ていた。どうやら、腹痛で倒れたことを今日、知ったようだ。
「やぁ、佐々木君。昨日はありがとう。すまなかったね、病院にまで付き合わせて。」
「いえ、そんな。」
「これ、お礼だ。羊羹。」
オレは、無言で受け取った。大丈夫だろうか?そんな思いがちょっと顔に出たのか、春男の親父さんはニコニコ笑って、言った。
「ああ、それは大丈夫だよ。昨日買ってきたんだ。妻と久しぶりに外でデートでねぇ。一昨日、スリランカから帰国したんだ。」
「……はぁ。あ、ありがとうございます。」
オレは丁重に羊羹のお礼を言った。ついでに思った。
なぜ、スリランカの帰国後に羊羹を買いに行ったのだろうか。それともう一つ。あんなに青いのを通り越して、顔が白くなっていたのだから、そうとう痛かったに違いない。それでも、親のデートを邪魔しないでおこうという春男には感心した。いや、本当に病院に行きたくなかっただけかもしれないが。
三日もたつと春男は通常通りになった。
「やっぱり健康が大事だねぇ。」
春男はのんきに言った。




