第八章
翌日は昼前から冷たい雨が降り始めた。
まるでやっと満開になった桜に水をさすかのように、蕭々と間断なく降り続いている。健吾はコンビニの窓ガラスごしに銀色に煙った空をぼんやり眺めた。
「店員さん。どうしたの、ぼんやりして。」
慌てて振り向くと、花穂がにこやかに笑っていた。思わず赤くなる。彼女の笑顔はほんとうにものすごく愛らしい。
「‥今日は学校? 始業式は明日じゃないの。」
花穂は制服を着ていた。
「うん。始業式の準備。あたし、クラス委員だから先生のお手伝い。‥‥あ、紹介するね、こっちが姉の瑞穂。で、あっちが妹の早穂。」
花穂の顔しか目に入っていなかった健吾は、言われて初めて花穂の背後に立つ二人の女生徒に目を遣った。
「実はね、バレちゃって‥。こないだ、ほら堂上さんにおごってもらったじゃない? あの日のこと。」
「え‥‥。」
健吾はどぎまぎして、とにかくぺこりと頭を下げた。
「話がしたいって言うから‥。もうすぐ上がりでしょ? すぐそこのファミレスで待ってるね。」
「あ‥はい。」
瑞穂の視線がやけに冷ややかなのは気のせいだろうか―――いや気のせいじゃないな、と健吾は思った。
話をしたいと言われてもどこまで話してよいものやら、判断がつかなかった。玲に相談したいけれど、連絡する時間も方法もない。
棚の商品を整理しながら、健吾は落ち着けと自分に言い聞かせた。
たぶん花穂につきまとうなとかそんな話なのかもしれない。花穂の迷惑になるのは健吾としても本意ではないし、この店も今週いっぱいで辞めて『懐古堂』へ引っ越すからもう花穂の前に姿を現すつもりはないと告げれば瑞穂は納得してくれるのではないだろうか。
健吾は玲の傍にいられれば妖気が安定して、妖力を使っても自分を見失わない自信がついた。だから花穂の顔を見たい時には、いつでも姿を隠してこっそり見るくらい可能だ。つまるところ健吾にとっては花穂が花のように微笑んでいるのが大事なのであって、彼女の生活を浸食するつもりは毛頭ないのだ。
待ち合わせのファミレスに入ると、花穂はすぐに健吾を見つけてこっちこっち、と手を振った。瑞穂の視線を憚る素振りもない。そして健吾を自分の隣に座らせると、向かいの姉と妹にあらためて紹介した。
「ど‥どうも。初めまして‥。」
早穂がじろじろと遠慮ない好奇の視線をぶつけてくるので、ついうつむいてしどろもどろになる。すると早穂はにこっと微笑った。
「ほんと。よく見ると堂上さんと似てる‥。でも性格は全然違うみたいね。」
「似てないわ。」
やや険悪な顔のまま、瑞穂は言い切ってアイスコーヒーをすすった。
口調の強さについ、びくっと顔を上げて、すみません、と口ごもった。花穂がくすくすと笑う。
「やあね。健吾くんが謝ることないわよ。瑞穂はね、堂上さんが好きなの、だから似てる人がいるなんて認めたくないだけなの。気にしないでね。」
ふん、と瑞穂はふくれた。
きつい視線はそのせいだったのかと思うと、ほっと肩の力が抜けた。同時に瑞穂の膝に乗っているおかっぱの童女に気がつく。燃えるような真紅の瞳をきらめかせて、一生懸命に瑞穂の袖を引っぱっているのだが、今一つ彼女には通じていないようだ。
「あ‥あの。瑞穂さん、すみません‥。膝の上にいる女の子が‥アイスクリームを食べたがってるみたいなんですけど‥。」
おずおずと言うと、瑞穂は驚いて顔を上げた。
「膝の上って‥。あなた、この子が見えるの‥?」
「ええと‥あなたの精霊だって言ってますけど‥。お揃いのヘアピンしてるんですね。」
ぐんと身を乗りだした童女は涙を溜めながら、アイスクリーム、と叫んだ。
健吾は通りがかったウェイトレスにバニラアイスクリームのついたプリンパフェを一つ注文した。桜が玲にプリンパフェを食べさせてもらっているのを見たことがあるので、きっと喜ぶだろうと思ったからだ。目が合って、自分のためだと悟った童女は途端ににっこりと笑った。
「驚いた。うちでは要くんしか見えないのに‥。あなたも精霊遣いの能力があるの?」
早穂がじっとこちらを見た。
「いえ‥。それはその‥。俺が人じゃないからかと‥。」
うつむき加減に小声で答える。すると瑞穂が今度は質問した。
「人じゃないと精霊が見えるの?」
「たぶん‥。主人の守護精霊もこんな感じの可愛い女の子なんですけど、能力者であっても他の人間には見えないんです。だけど物の怪さんたちとは普通にお友だち付き合いしてるみたいで‥。俺には最初から見えました。」
初めて会った時は茉莉花にそっくりの大きい少女だった、というのはややこしいので省いた。
「精霊ってそういうものなの? 人には見えないのかしら?」
「茉莉花さんが説明してくれたんですけど、人に仕える宿命の精霊は通常、主人にしか見えないのだそうです。主人に霊力があるかどうかは関係なくて、存在を絶対的に受け入れてもらえれば能力を最大限に発揮できるのだとか。」
口にしながら自分も同じだと思う。玲が受け入れてくれたから今のまま存在できる。
瑞穂はなぜか赤くなって、目の前の精霊の少女を腕の中に引きよせた。
「じゃ‥。声が聞こえないのはあたしがまだ主人として未熟だから?」
健吾は思わず顔を綻ばせた。
「時間がまだ浅いだけだと‥この子が言ってますよ。あなたが大好きなんだな‥可愛いですね。」
そこへちょうどプリンパフェが運ばれてきた。
健吾は瑞穂に微笑みかけて、プリンパフェを押し出した。
「主人の精霊はスイーツが大好きで、よく主人のスプーンで食べさせてもらっています。彼女もあなたに食べさせてほしいみたいですよ。」
「堂上さんが‥‥?」
瑞穂は再び頬を赤らめて、スプーンを手にした。童女は満面に笑みを浮かべ、口を開けている。
花穂が微笑を浮かべた健吾の顔を覗きこんだ。
「ねえ‥。二人だけの世界に入らないでよ。あたしたちには紅蓮は見えないのよ? ‥そんなに可愛いの? 健吾くんたらすっごく優しい目しちゃって‥。」
つい赤くなって下を向いた。すると早穂もくすくす笑う。
「ほんと。瑞穂ったら似てないって言うわりに赤くなったりして‥。堂上さんがいるみたいに思ってるんじゃない?」
瑞穂は頬を赤くしたままふんと口をとがらせ、またスプーンを紅蓮の口に運んだ。
「ところで‥。あの‥花穂さん。お話って‥?」
懐から緑色の珠を出して撫でていた花穂は、ああ、と振り向いた。
「大丈夫。たぶん、もうすんだんじゃない? ねえ、瑞穂。」
「うん‥。花穂と堂上さんを信じる。それに『懐古堂』の護符を持っているんじゃ、四宮としても認めざるを得ないし。」
スプーンを動かす手を止めずに、瑞穂はあっさりと答えた。
「よかったね。これで健吾くんは無罪放免、少なくとも四宮からはもう追われないわ。」
花穂に言われて胸がじんと熱くなった。
「あ‥ありがとうございます。」
その時健吾は足下からせりあがってくる不気味な気配を感じた。
三姉妹も同時に感知したらしい。厳しい表情で即座に立ち上がった瞬間、どどーんと爆発音が轟いた。
健吾が思わず伏せていた頭を恐る恐る上げて回りを見回すと、店の内部はそっくり結界にくるまれて無事だった。だが外の建物は瓦礫の山と化している。
瑞穂と紅蓮が結界を保持している間に、花穂と早穂が出口を作って店内の人々を路上へ脱出させていた。
「すごいな‥‥。」
地面の下を何かが這いずり回っている不穏な感じは消えたようだ。
だがそれとは別に何かの気配を感じる、と思った。糸のような細い視線―――あるいは妖気だろうか。悪意に満ちた何かだ。
狙いはどうやら瑞穂らしかった。
瑞穂に気をつけて、と言いかけた時、異変が起こった。
瑞穂の作っている結界が急に震え始め、みるみる縮小していく。
「早く‥‥! 避難を‥。」
真っ青な顔に汗を浮かべて、瑞穂は健吾を見た。
「あ‥はい‥!」
慌てて残っている人を急きたて、結界から外へ出す。最後に健吾が出て振り向くと、瑞穂はすうっと意識を失った。
「危ない‥!」
とっさに抱きとめたものの、茫然とした。
腕の中で瑞穂の体は、微かな紅い光にぼうっと包まれている。紅蓮はしくしく泣いて胸にすがっていた。
混乱した健吾は背後に人の立つ気配を感じ、振り向いた。花穂が立っている。
「花穂さん‥。瑞穂さんは大丈夫かな‥?」
「け‥健吾くん‥。ごめん‥逃げ‥て‥‥」
「え?」
まじまじと見返すと、花穂の瞳がおかしい。焦点が合っていないし、虚ろだ。口もとに笑みを浮かべているが―――健吾の好きな花のような笑みとは似ても似つかない、まるで人形みたいな笑顔だ。
救急車やパトカーが駆けつけてくる音がする。
なぜか店から脱出した人々が警官に、健吾を指さして何か言っている。健吾はそろそろと瑞穂を下に横たえ、立ち上がった。すると花穂が腕をぐん、とつかんだ。
「花穂さん‥?」
花穂の瞳は一瞬だけ苦しげに瞬いた。だがすぐに虚ろになる。
―――逃げて‥!
微かな声が頭の中に響いた。警官が健吾に向かって走ってくる。何が起きているというのだろう?
健吾は無意識に、胸の護符をつかんだ。
切羽が花穂の異変を感知したのは若頭領の私室でだった。今夜『懐古堂』へ行くのについてこいと命令を受けていたところだ。
若頭領はにやっと笑った。
「何をそわそわしてるんだい、切羽?」
「いえ‥。空気が変わったんで‥何かな、と‥。」
「そうだな‥。まとまった霊力がぞわぞわと蠢いてやがる。‥で、どうする?」
切羽は目を逸らした。
「‥‥人間どもの争いです。俺には関係ない。」
くくく、と若頭領は眉をしかめて笑った。
「それを言うなら夜鴉には関係ない、だろうが‥。おめェには関係あるんじゃねェのかい、切羽。」
「若‥!」
「惚れてる女は護ってやるもんだぜ? 男だろうが。」
切羽は少し赤くなった。
「ほ‥惚れてるわけじゃ‥。ありゃ女ってよりまだガキです。そんなんじゃねェ。」
「ほう? ガキなら尚更、おめェを呼んでるンじゃあないかい? ‥行ってやんな、少々やっかいな具合になってるようだぜ。」
「若が‥そう仰るなら‥。」
しぶしぶといった顔で切羽は部屋を出た。ドアの後ろで若頭領の忍び笑う声が聞こえてくる。思わず赤くなって、それからぐっと唇を噛みしめた。
若頭領の言うとおり、どうやらひどくまずい状況に陥っているようだ。花穂の霊力が微かにしか感知できない。
「チッ! 世話の焼けるヤツだぜ、まったく。」
ぶん、と漆黒の翼を翻して、切羽は花穂のもとへと向かった。
「‥‥そういうわけでせっかく高値の付いたお皿なのに、売れないんですよ。どうにかお祓いしてもらえませんか‥?」
そう言って婦人は風呂敷から一枚の皿を出した。
少し深型で、竹林で遊ぶ可愛らしい唐子と虎の絵がついている。一昨年亡くなった有名な俳優が趣味で絵付けした皿らしい。婦人の父親がその俳優と懇意にしていた関係で、婦人の家にあるそうなのだが、今年の正月に父親が亡くなってからこの皿が動いたり泣いたりするのだという。
「はあ‥。お祓いですか‥。」
茉莉花はじっと皿を見た。
皿の中からは唐子と虎がうるうると涙を溜めて茉莉花を見返している。お祓い、と茉莉花が口にした途端に唐子がわっと泣き出した。もちろん婦人には見えていないようだ。
「あのう‥。異変はお父さまが亡くなられてからなんですよね? お父さまはこのお皿について、何か言い遺しておられませんでしたか?」
「はあ‥。別に何も‥。」
「そうですか‥。」
虎が咆哮した。唐子が泣きじゃくって、何やらわめいている。婦人に対して言いたいことがたんとあるようだった。
「このお皿には悪いモノは憑いていません。ただ‥お父さまによほど可愛がられていたようで、わがままになっているみたいです。」
「は? お皿が‥‥わがまま?」
「ええと‥。つまりですね、お皿に魂が宿っていまして‥。無理に祓えば割れてしまうんです。ですからお父さまが存命の時になすっていたように扱っていただければ、勝手に動いたりはしないと思います。」
「父が扱っていたとおりに‥。では売ってはいけないのですか? これが売れないと少々困るんですけど‥。」
茉莉花ははまた、うるさく泣き喚く唐子の言葉に耳を傾けた。
「‥‥なるほど。それでいいのね。」
「は?」
面食らった顔の婦人に、いえ、と慌ててとりなして、茉莉花は辞儀を正した。
「‥このお皿は、毎月満月の晩に月見をさせてもらっていたんだそうです。」
「月見?」
「はい。縁側に出してもらって、お酒をいっぱいに入れ、季節の花を浮かべる。お父さまが亡くなられてから誰もお酒を飲ませてくれないと泣いています。ですからお売りになるなら、月見をさせてくださるよう但し書をつけてお売りになればよいかと‥。わたしでよければ但し書を書きますけれど。」
「ではお願いしますわ。」
婦人はほっとした顔で、茉莉花に言った。
その時茉莉花は店の隅に、健吾のただならぬ気配を感じた。
「但し書は明日にでもお届けします。今夜は満月ではありませんけれど、ぜひお酒を入れて窓辺に置いてあげてください。花はちょうど、桜がいいでしょうね。そうしたら動いたり泣いたりしてお家の方を困らせることはなくなりますので。」
茉莉花は最後の言葉はお皿の中の唐子と虎を見据えて、言い聞かせるように言った。唐子と虎は神妙な顔でうなずいている。
婦人は皿を丁寧に風呂敷に包み直して、にこにこして帰っていった。
その姿を見送って戸をきっちり閉めると、茉莉花は店の隅にうずくまっている健吾を振り返った。
「どうしたの‥? 顔が真っ青。また‥?」
「ち‥違うんです。花穂さんが‥。瑞穂さんも‥。その、爆発があって‥。」
健吾は首を振って立ち上がり、しどろもどろに話し始めた。
「爆発ですって‥? 落ち着いて、こっちへ来て。」
茉莉花は健吾の手をつかんで、茶の間へと連れていった。そしてテレビをつける。
午後のワイドショーは新宿区内で起きた爆発事故を速報で流していた。
「これのこと?」
「はい‥。」
うなずいて健吾は、今日四宮三姉妹とファミレスで会った事情から順を追って説明した。
「それで‥警官につかまりそうになったので、思わずここへ飛んできちゃって‥。花穂さんはどうしただろう‥俺ったら‥自分だけ逃げてきちゃうなんて最低だ‥。」
「いえ‥。逃げてきて正解みたい。ほら、これ、あなたのことじゃない? 警察が突然消えた不審な男を重要参考人として捜しているって‥。店内から避難した人たちがみな、あなたが爆弾を投げこんだと証言しているわ。」
「え? なんでそんな話に‥‥。ち、違いますよ、俺はそんなことしてません。」
「わかってる。これは‥たぶん傀儡師の仕業。みんな言わされているのよ。」
茉莉花は厳しい表情で画面を見つめた。
インタビューに答えている人の顔は虚ろで、先日の春奈という女性と同じ瞳をしている。傀儡師に操られているのは間違いないだろう。しかしたまたま店内に居合わせた人が全員、少しでも霊力を持っている人だったとは思えない。ということは先日の傀儡師より強力な術師がいるのか?
「‥‥花穂さんが行方不明だと言ってるわ。」
「えっ! 花穂さんが‥。どうしよう、俺のせいだ。助けに行かなきゃ。」
「ちょっと待って‥。状況を見極めてからでなければ騒ぎが大きくなるだけ。まずは相手の狙いを突きとめなくては‥。」
すぐにも飛び出そうとする腕をつかんで、茉莉花は諭した。健吾は泣きそうな顔をしたものの、しぶしぶと腰を下ろす。
「さっき確か、瑞穂さんを狙ってる感じがしたと言っていたけれど間違いない?」
はい、と下を向いてうなずいた。
「そうなると四宮本家を狙ったのね。瑞穂さんたちが三人一緒の時を狙ったのだとすれば、敵は一人ではないのかも。」
「どうしてですか?」
「日本中探しても、彼女たち三人に匹敵する能力者などいないの。単独で実行するならば一人一人個別に狙うほうが成功の確率は高いし、人質として使う効果も期待できるでしょう? まとまった人数の能力者が協力して動いていると思って間違いないでしょうね。もしかしたら既に本家内に入りこんでいる仲間がいるのかもしれない。」
「はあ‥なるほど。」
茉莉花はうつむき加減でじっと考えこんでいたが、黒達磨に二階で寝ている玲を起こしてきてほしいと頼んだ。それから健吾に向き直る。
「あなた、自分の姿形を変えることができる?」
「はあ‥。前に夜鴉に追われて、通りすがりの他人の姿を借りたこととか、影の中に潜ったこととかありますから‥。」
「気配も消したりできたのよね?」
「一応‥。に‥逃げる方法ばかり身についてて‥。情けないけど‥。」
「そんなことないわ。堂上さんに許可をもらわなきゃいけないけれど、その能力を活かして四宮本家に潜入して、様子を探ってきてもらえないかしら?」
「四宮本家の‥様子ですか‥。」
ええ、と茉莉花がうなずいたところへ、パジャマ姿の玲が二階から下りてきた。
早速茉莉花が事情を説明した。玲は話を聞きながら、じっとテレビ画面の爆発状況を見ていた。そして静かに口を開く。
「‥‥様子ってさ。何を探ってくればいいの?」
「敵の人数。できれば名前。もちろん目的がわかるといいけれど‥。傀儡の術は何代も前に四宮本家に禁じられた禁術の一つなのだけど、甲州あたりに傀儡師の一族がいると聞いたことがある。これだけの人を操るのだから、もしかしたら‥‥」
「一族全部が上京してるんじゃないかと?」
「そう、その一族がまだ残っているのならね。とにかく何人もの能力者が、四宮本家を乗っ取るあるいは潰す、そういう目的で計画的に動いている可能性が高いと思う。昨年の事件で五百年の結界が崩壊した影響でしょうね。」
茉莉花は厳しい表情で唇を噛みしめた。
「健吾さんなら傀儡の糸が見えると思うわ。瑞穂さんさえ救い出せれば、彼女が龍笛で始末をつけるでしょうし。」
「‥たった一人で?」
ええ、と茉莉花は画面を見やった。
「だからこそ一般人の多くいる場所で爆発を起こしたのよ。正義感の強い彼女が、霊力を救助へ振り向ける隙を狙って、引き糸をつけたのだと思うわ。」
「なるほどね。敵は瑞穂ちゃんの性格をよく知っている、だから内通者がいると君は懸念するわけだ。」
茉莉花は再びうなずいた。
「‥‥俺が行くよ。健吾を連れて本家内に入りこむ。」
「え? 堂上さんが‥?」
玲は思い切り顔をしかめ、勢いよく茉莉花を振り向いた。
「あのさ。健吾は健吾さんで、なんで俺は名字のまま? おかしくないか?」
「‥‥今はそんな話をしている場合じゃないでしょ。」
「大事な問題だよ。ね、健吾?」
はあ、と健吾は目を逸らす。
茉莉花は面倒くさい人だ、と内心で溜息をついた。
「‥呼び方なんてすぐには変えられないものよ。花穂さんの行方がわからないんだし、今は急がなければならないの。」
「うん。じゃあさ、俺が無事に瑞穂ちゃんを助け出して戻ってきたら、その時は名前で呼んでくれるっていうのはどうだろう?」
にやっと微笑う顔に呆れながら、茉莉花はしぶしぶうなずく。
危険だけれど彼が健吾と一緒に行って、瑞穂を解放するというのは上策だ。あとから茉莉花が出向くよりずっとうまくいく可能性が高いし、『懐古堂』から本家への霊力的干渉を最小限に留められる。
「瑞穂ちゃんは一昨日の君みたいに眠り姫になってるんだね‥。じゃ、必死で抵抗してるわけだ。確か意識はあるんだったよね?」
そう、と答えて茉莉花はつい、キスの感触を思い出してうつむいた。
察したのか玲は再びにやりと笑う。
「大丈夫。瑞穂ちゃんにはキスしないよ。心配しないで。」
「‥‥してません。」
「うん。俺を信じてるってことだよね。いい感じだな。」
もう何も言うまい、と茉莉花は口を噤んだ。言葉で玲にかなうはずがない。
「じゃあ五分で支度するから。任せといてよ。」
彼は上機嫌でにっこり笑った。